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あなたと私をつなぐ点

人に読まれない文章を書くのは無意味なのか。
有益な情報が入っていない文章に価値はないのか。
そんな文章をネットにあげることはゴミを増やす行為なのか。

無数に存在する文章の書き方についての記事や講座。
それらを浴びるように摂取するうちに、私は文章を書かなくなった。

書きたいと思うことは何度もあったが、そのたびに最初に書いた疑問が邪魔をする。
書くことが無意味なら...
無意味なことを実行するほどの労力も時間も、私は持っていない。

哲学者であり教育学者でもある、苫野一徳さんの著書『はじめての哲学的思考』は、そんな悩める私に一つの答えをくれた。
その答えに後押しされて、私はまた文章を書くことに挑戦している。

この本から導き出した冒頭の疑問に対する答えは「否」だ。
誰にも読まれなくても、価値のある情報が含まれていなくても、自分が考えたことを文章にするのはきっと意味がある。

苫野さんによる哲学の定義はこうだ。

「『考え方は人それぞれだよね』で済ますのではなく、みんなが納得する答えを探す営み」

「答え」と「正解」とは異なる。「正解」なんて絶対に分からない。
その前提のもと、人々の共通理解を得られる答え=本質を探すこと。

自分を知り、他者を知り、共通理解を目指す。

自分の心を打ったこと、打たなかったことを知るのは自己理解につながる。文章を書くのはその一つの方法だ。そして、私が書いたものを誰かが読んだとしたら。読んだ人にとって、私の文章が他者理解の手助けとなるかもしれない。

自己理解の方法は、作品を鑑賞して批評することの効果として書かれた内容だが、日常のいかなることにも通じる方法ではないか。

私は人とつながりたいし、できれば分かりあいたい。
理解できないことや納得できないことがあっても、その人の背景を知ることによって想像できる範囲は広がる。

そのために、まずは自分の感情や考えたことをないがしろにしてはいけないのだと思う。
だから文を書くことに限らず、表現することを自分に許可しよう。

「何のために?」「何の価値が?」
そんな疑問は一旦捨てて、心の赴くままに表現してみたい。


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