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なぜ、繰り返し世界で“バブル”が生まれるのか?

これまでの金融の歴史は、
各国の中央銀行が、景気対策や危機に対処するために
金融政策を行なった結果、
「緩和をすればバブルになり、引き締めればバブルが弾ける」
といったことの繰り返しでした。

たとえば、1980年代後半に発生した日本のバブル景気も、
日銀の行なった低金利政策が一因でした。

1985年、不景気だったアメリカを下支えするために
日本、ドイツ、アメリカで協調為替介入(プラザ合意)
が行われました。
これが、激しい円高を引き起こします。
日銀は円高不況から脱するために
金融緩和を行い、結果的にバブルを生んでしまったのです。

実は、2008年の世界金融危機(リーマン・ショック)
が発生したのも、FRB(アメリカ中央銀行)によって
利下げが行われたことが要因です。

アメリカでは、2000年にITバブルが崩壊し、
翌2001年には同時多発テロが発生するなど、
国家的な危機が相次いだことから、
景気刺激策としての金融緩和が行われました。

金利が低ければ、高額な商品も購入しやすくなるため、
アメリカでは住宅ブームが起きました。
これに起因した低所得者向けのサブプライムローンが
住宅ローン担保証券として証券化され、
世界中で販売されたのです。

やがて不動産バブルが弾けて、
多くのサブプライムローンが不良債権化すると、
それを組み込んだ住宅ローン担保証券も価値がなくなり、
危機が世界中に広がりました。

一般に、リーマン・ショックの
日本への影響は限定的だったと言われています。
しかし実際は、日本も深刻な影響を受けていました。

リーマン・ショックが発生すると、
米ドルは急落し、激しい円高に見舞われます。
これによって日本の製造業は大打撃を受け、
海外需要も落ち込んだことから、
メーカーを中心に株価が下落しました。

多くの製造工場が、受注の激減に見舞われ、
派遣労働者が大量に解雇されるなど、
被害は日本全体に広がったのです。

このように、中央銀行が歩んできたのは、
何とかして経済を制御しようとする苦闘の歴史です。
しかし、もともと制御不能のものを、
人為的にコントロールしようとすること自体が
誤りなのかもしれません。

【参考文献】
『日本銀行と政治 金融政策決定の軌跡』(上川龍之進著、2014年、中央公論新社)、『金融危機の本質は何か』(野口悠紀雄著、2009年、東洋経済新報社)他


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