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喫茶へようこそ① 「自由と無秩序ー個人主義と社会ー」 なんつって

「先に壊れたのは社会で、みんなそんな社会に愛想を尽かしているわ。みんな自分の世界に籠り始めてる……」

「正確には、破壊されたんだ。
 先に壊れたのが社会でも、是正するには個人が立ち上がって、結束するほ
 かない。それ以外は分立し、確実に滅びる。次第に社会を再構築する力を
 失っていくよ。僕も君と同じで、今の社会に危機感を覚えている。」

「偶然出会ったのに、こんなに話が弾むなんて思わなかった。
 私、昔はこういうお話を一生懸命人に伝えようとしてた。それをいうと私
 の友達に言われたわ。貴方は、主語が大きいとか、何様だとか。それを伝
 えることは私のエゴだと。貴方はどう思う?」

「エゴだ云々なんて言われたら、どうやって意見を伝えたら良いのさ?皆、
 自分が望む社会を考えたことがないんだ。僕たちが生きているのはこの世
 界の中なのに。」


ちゃりん、ちゃりん。


いらっしゃい。こんな深夜にお客さんとは、貴方も変わり者ですね。

ああ、あちらの席の人たちの会話が気になりますか。うちにはカウンター席が少し、と大きな丸いテーブルがいくつか。2階もありますが、2階は丸テーブルだけですよ。そこに席が置いてあるだけですから、相席の人が増えるんですよ。

社会について熱心に語る人が、孤独になってしまったとは。
ここでの出会いが彼らにとって幸せなものになるなら、私も嬉しいですね。


貴方には彼らの正義が戦争の火種、に見えますか?


唖然としておられますね。そんなこと聞いたこともなければ興味もなさそうなお顔です。
生意気な店主でしょ?貴方も言いたいことは言っていいんですよ。ある程度、言葉は選んでいただきたいところですが、うちはいろんな人が話しますから議論が白熱することもある。
ここで話し合った内容をそれぞれが持ち帰って、改めて調べては意見を交換するのです。

新しい真実を求めて。

それは論破ではなく、対話、でしょうか?
丸テーブルに何人も集まることもあります。
一人一人の意見や力はバカになりませんね。私の手に負えない時もありますから。もうコーヒーも自分で淹れていただきたいです。
本当に自分で淹れるとかいう人もいましたからね。私の手伝いをしたいという素直な思いやりでした。

貴方もこのお店に来たなら、きっと人の話に興味があるんですよ。


え?思ってた店と違うって?
店の名前が変ですって?

あ〜、映像lanthanumって名前ですからね。
うちは映画見放題ですから。サブスク、スクスク。

ん?関係ない?横文字もダサいって?


違うんですよ。知り合いにスピリチュアル〜な方がいましてね。
画数が良いって言うんですよ、、、

と言いつつ、大枠は自分で名前決めたんですけどね。

今は言葉を使っていますが、思いは変わらないんです。
映像とは光です。貴方は目に入ってくる光で、私や物体を認識している。貴方の目に像を映す。
暗闇の中でソッと光を当てると真実が見えてくるかも、なんて思いと。ほのかに温かみを感じるランタン。
誰もが持てるぬくもりと、誰もが持っているぬくもりと。なんだが寄り添ってくれるイメージがありますでしょう?
ランタン一つ置いて、暗い中、みんなで語らう。移動もできる。
ランタンを持って冒険にでましょう。境界線を照らしにね。

あと私は火が好きなんですよ。


入り口にフクロウのロゴを見ませんでしたか?

そうです、白と黒二対の。
赤と黄色のオッドアイで、お腹の中のところに炎が描かれている。
創造の生き物です。

あれが私の理想のイメージ、この店のコンセプト〜的なやつです。


長話すみません。

はい、これ。ミラクルコーヒーです。
飲む人によって味が変わるんですよ。信じますか?



だいぶ話が脱線しましたね。無駄を楽しみましょう。
貴方は先ほどの会話が気になるようですね。

もう、すんごくざっくり言うと、ですね。
「個人主義と社会」みたいな壮大なテーマを話していたようです。

あの人たちが座っているエリアは、(一般的)に見て少し堅い話題を話す人らが多く集まりますから。

せっかくですから、貴方も考えてみてください。
得意のスマホもありですが、まずは自分がどう思うかです。
少し時間を置いてから、また話を聞きますから……





ー 数時間後 ー

考えられましたか?難しいですか?



なるほど、なるほど。とても興味深いご意見ですね。


?、私の意見も聞いてくださるんですか?
そんなご褒美をいただけるんでっか?

茶化してすみません。でも、会話は言葉だけですからね。
遊びを挟むのも性格です。


それでは一つ、本日の談義ということで、聞いてください。

個人主義と社会、ざっくりしてますね〜。
個人主義、これは貴方がなんとなくイメージする個人主義でも構いませんし、ネットで意味を調べてみても構いません。かけ離れた意味にはならないと思いますので。
なんなら個人主義とは?から考えてみても良いでしょう。

・個人の自由と権利に重きを置く社会。
・自分らしくありたい。あるいは縛られたくない
・今だけ、金だけ、自分だけ
などいろいろな要素が浮かびますね。
これらに基づく主張や思想を総合して、なんとなくまとめると個人主義!みたいな感じですかね。

ちなみに、今だけ、金だけ、自分だけはかなり私の偏見が入っていますね。自覚は持ってますよ。たまに見失うこともありますが。

意見ですから、語り手のバイアスがかかると思って聞いてくださいね。それは個人でも、メディアでも、芸術的な作品でも話し手や作り手を切り離せない。
何かしらの意図が無意識レベルで働きます。
それはその人の思いだったりもするわけですがね。
教育も同じですよ。私は教育と洗脳は変わらないと考えていますから。化粧が違うだけで。
重要なのは得られる結果と意図、でしょうか?私の場合はそこに善意があるかみたいな判断基準も入りますね。
その辺はまたそのうち話しましょう。


話を戻します。
先ほど説明した個人主義、それが社会にどう関わっていくと思いますか?
想像し、推測してください。これはシミュレーションです。
貴方の想像で構わない。

一旦、ノートを持ってきましょうか。
書きながら説明します。


あまり良い例ではないですが、一つ教室を例にしてみましょう。
私は学校が苦手でしたから、教室が嫌なら、家とかでも良いです。

その中で、生活をしていくにあたり、ルールが存在しますね。集団をまとめる必要があるからです。
ルールは秩序です。これに対して、個人主義は自分の自由と権利を主張します。
最初の頃は柔らかいもので、自由な服装がいい。自由な時間に食事がしたい、くらいの主張だったとしましょう。

ところがここがそれぞれ主張を続けていくうちに、秩序が瓦解していきます。自分の自由と権利が欲するところに制限が存在しないからです。
自由も権利も容易く拡大解釈ができます。一つ緩めた秩序に新たな世代が入ってくると、緩めた秩序は当たり前となり、次に更なる自由を求めます。

そのうちテストでカンニングするのは自由だというものが現れました。俺の人生だ、関係ない。理由は探せば見つかることでしょう。何においてもある程度、正当化が可能です。
自由と権利を主張することを是とする環境で、彼らを制御する力を失い、誰もが自分勝手に生活しだしました。おそらく学校でも家でも、最も悪化すれば、離散するでしょう。

確かに、学校の秩序がもともと正常とは呼べない。または、家の環境が最悪である可能性は高いです。成績が高い人が評価されるのは選民的で、経済状況が辛い世帯では愛情が築けるか分かりませんから。
しかし、考えれば当たり前のことで、どういった環境でも、各々が勝手をやり出したら、とんでもないことになると想像ができるでしょう。

そしてそうこうしているうちに、国家や社会という単位のマクロの視点を失います。
現段階は、反社会性から非社会性に変わろうとしています。
つまり、無関心、ですね。
そしてこれがさらに事態を悪化させる。本来、民衆は大きな力を持っています。秩序を構築したものを倒せるほどに、です。
それが国家や社会というマクロの視点を失うことで、国家や社会の単位を好き勝手にいじられてしまうというわけです。

さらに、この中にあっても個人主義で、人々は今を盲信しているのですから、コントロールしやすいわけです。
自由や平等、友愛などの甘い言葉を囁けば、人はそれに追従します。これを利用しない手はないんですよ。もし秩序を作ろうとする側ならば

自らの権利を主張して、秩序を破壊し、かえって不自由な「今」が到来する。
本来、私たちのための社会であったはずが、確かに変わり果ててしまいました。私たちが諦めてしまうほど変わり果てました。ですが、私たちを守るための社会や秩序という視点をすべて捨て去り、自分たちの自由のために社会よ変われと各々が主張を続けたならば、その先はどうなることでしょう。

しかも、その主張は世界を俯瞰したものではなく、個という狭い世界の視点です。なぜ今がこうなっているのか。今しか見ないから気がつくこともできません。
きっかけを与えるであろう世代間の会話はハラスメントがねじ伏せます。

今とは、過去から成り立つものです。未来を考えることは今の自分がどう行動するかその指針を形作ります。
明日になれば、未来は今になります。

次の世代がこの世界に生まれ落ちるでしょう。私も貴方も必ず歳をとる。若き日の美貌も活動力も衰え、残ったのが強すぎる自我だとするならば、どんな年寄りになるでしょうか?
次なる若者は誰に八つ当たりするのでしょうか?

酒も飲み過ぎれば毒になる。今一度、自分たちのあり方を見つめ直した方がいいのかもしれません。


私は「人は一人では生きられないというより、否応なしに集団の中で生きることを強いられるものなのだ」と考えています。
人が生きるだけで、その影響があるのです。人種や性格、思想、発言、その全てがです。集団とは数多の思考の集まりですが、それらの比率によって集団の属性は変わります。
例えば、割合の多い方が集団の主導権を握ってしまうでしょう。
話し合えればいいですが、限度があります。
これを改善するための個人主義でしたが、改善ではなく、分裂を推し進めてしまったということです。
分裂した集団は力を失います。どんどん狭いコミュニティを作っていく。


この仕組みを理解した上で行動し、成長する集団がいたらどうでしょうか?一強です。


以上が、「個人主義と社会」についての私の考えです。
まだ見ぬ可能性がある、と夢を見ても、その具体性が無さすぎて、危険が高すぎるのです。客観が重要であるのは、主観のみの方が利用されやすいためです。


考え方が深まると、多重の視点を持つようになれる、と私は勝手に考えております。
一つ目は、個人の単位。他者から見た自分
二つ目は、集団の単位。集団から見る自分。集団と自分の関係性とかでしょうか?
三つ目は、国家の単位。国家と自分の関係性ですね。私たちは国家に影響を受けます。国家の取り決めが自分たちにどんな影響を与えているのか。自分はそれらに賛同できるか。非常に大切な視点ですね。正しい情報認識をするのは至難の技だと思いますが。
最後に四つ目は、国際の視点です。国家と国家、文化と文化、思想と思想。最も見失ってしまうのがこの視点でしょう。交わるべきかどうか、というくらい本当はシビアな問題が潜んでいます。他の人種の人と話しても、日本人がわざわざ政治の話をすることはありません。そこが一番重要ですが、選挙に行かなかったり、政治の話が日常会話ではなんとなくタブー視されていたりする風潮がある場合、この情報を得る機会をシャットダウンしてしまいます。

三つ目と四つ目では、高度な情報戦が繰り広げられていて、私たちは踊らされがちですね。

五つ目があるとするなら、宇宙とか銀河ですかね?あの世とこの世とか?


もう朝になりましたね。話が止まらなくなってしまうんですよ。
おやお客さん?もう寝てるじゃありませんか。


またお話ししましょう。とても一方的で申し訳ないですが……

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