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どうしても赦せない人 DAY10

1.トラウマから使命を知る

どうしても赦せない人がいますか。怒り、恨み、悔しさ、恐怖、不安を抱えていますか。トラウマ的出来事が起きた時期の記憶がすっぽり抜け落ちていたり、侵入思考(ある記憶が何度も繰り返し勝手に入ってくる)に苦しんだり、叫びたくなったり、人を避けたり、仕事や家事や勉強が手につかなくなったり、睡眠や食事ができなくなったりと、心を制御できない状態ではありませんか。こんなPTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状がある人は、病院でカウンセリングや投薬を受けることによって、より早く、より楽に回復することがあります。

もし、あなたがこのストレス障害で苦しんでいるのなら、それは心が回復に向かうための必要な段階だと理解してください。PTSDからの回復は、直線的ではなく、変化がないようなときもあれば、後戻りするときさえあります。しかし、長い目で見ると、一年前よりはいい、二年前よりは比べ物にならないくらい良くなった、と思えます。

人生のなかで、トラウマ的でぎごとを経験するのは、決して珍しくありません。なぜなら、トラウマとは、警察が関与する事故、戦争、犯罪、災害などにより命の危機を感じたときばかりではなく、日ごろ犯罪意識なく行われる、いじめ、嫌がらせ、裏切り、罵声、体罰、ストーカーなどが原因になることもあります。登校拒否やニートの状態にある人たちのなかには、PTSDの症状を呈している人もいますし、登校/出社/社会生活をしている人たちの中にも、心の中は嵐の人もいるのです。

恐怖、無力感、屈辱、ショック、絶望状態から心があなたを守ろうとした結果がPTSDなのです。あなたの心にも体にも、自然治癒力、回復力が備わっています。どんなに苦しく、時間がかかろうと、いつか乗り越えられる時がきます。あなたは神の分霊で、守護霊に守られているのだから。同じようなトラウマを経験しても、PTSDを発症する人としない人がいますが、それはその人の心の弱さではなく、その人の周りにどんな人がいるのか、どんなことを学んできたのか、どんな親に育てられたのか、どんな考えを持っているのか、どんな過去生を生きてきたのか、など様々な違いがあるからです。

2.今世での使命

トラウマなんて経験したくないし、苦しむことは嫌だ、と思う人がほとんどでしょう。でも、この世は全て苦であるとお釈迦さまが言ったように、苦しみは避けて通れません。ほとんどの人がこの世に生まれた目的は、過去生でできなかったことを今世クリアするためだからです。前世で他人を傷つけたことへの改悛から、今世は傷つけられる側に立って、相手の心の傷を体感することが目的だったり、人生を諦めてしまった過去生を悔いて、今世では試練の多い人生を選び、何があってもへこたれないことを目標にしている人もいます。転生経験が少ない人は、比較的穏やかな今世を経て、器が少し大きくなった次の転生で、理不尽なことを経験して学ぶ人もいます。数は少ないけれど、他の人/霊魂を導き救うためにあえて高い階層からこの低い人間界へと天下ってきている霊魂もいます。

今世だけ見ると、あの人/トラウマ的できごと/PTSDを発症したことのせいで、自分が大きな損をしたと思えても、トラウマを経験した後に、自分の使命を思い出すことがあります。そらに、よく思い出すと、トラウマを経験する直前に、あれが守護霊からの警告だったのではないかと思えるような出来事があったはずです。もし今世で思い出せなくても、走馬灯を見たときに全てを思い出せます。

さらに、トラウマ的できごと/恨みを乗り越えたときには、あなたは以前よりもっと強く、賢く、優しく、深みのある人になります。前世、今世、霊界、そして来世をトータルで見ると、愛と調和と向上と原因結果の法則に沿ってどの魂も公平に扱われ、必ず世界に貢献しています。どんなに悪魔的であった魂も、何世紀、何十世紀もの間に神に近づく方向に進むか、そうできなければ消滅するしかないのです。

3.守護霊と悪霊

歴史上の偉人を見ても、皆、苦境を脱して最後に目的を達成しています。使命が大きければ大きいほど、悪霊の邪魔を受けやすく、不運に見舞われるからではないかと思います。悪霊は、悪意を持った人と同通して、使命を果たそうとする人の邪魔をすることが多々あるし、集合的悪意があれば、犯罪だけでなく、事故や天災を起こすことも可能だと思います。だから、理不尽な目に遭って苦しんでいる人は皆、大きな使命を持っているから邪魔されているだけであり、それを乗り越えて自分の役目を果たす力があると思います。

一方、事故、戦争、犯罪、災害などで命を落としてしまわれた方は、守護霊に守られなかったのではなく、平和で安全な世界を作るために、犠牲をもって、命の尊さを教える崇高な役目を果たされたのだと思います。

人々を教え導く役目、創造/発明する役目、何か/誰かを守る役目、喜び/安心/愛を与える役目、人々を陰で支える役目、苦しみ/痛みを癒す役目、迷える人/霊を救う役目など、いくつかの役割が混じって、一人一人独自の使命になっているのだと思います。

守護霊は、人間の自由意思に任せて、理不尽な出来事のなかで人間が向上するのを見守っています。人間を無傷に守るために存在するわけではありません。ただ、生死に関わるようなときにはシグナル/物理的な力を出して助けようとしています。そのシグナル/力を受けやすいかどうかは、一人一人の考え方、今生や過去生での環境、受け継いだ感覚の鋭さなどによって違うのだと思います。

4.守られている

私は第六感のようなものが非常に鋭かったので、九死に一生を得たことが、数えきれないくらいありました。それらの経験により、神の分霊であること、守護霊に守られていること生きて使命を果たさなければならないことを知っています。神とは、宗教上の神ではなく、宇宙を作った大きなエネルギーだと考えてください。私の例をあげましょう。

私は、裸足でマニュアル車を運転するのが好きでした。靴を平らな靴置きに入れて、運転席の下に置いていました。夜、渋滞しない国道を運転中、その靴置きが、あろうことか、ブレーキの真下のわずかな空間にすっぽりはまってしまったのです。手は届かないし、足でのけようとしても靴置きは動きません。はるか前方にいた車は信号停車したみたいで、どんどんテールランプが近づいてきます。サイドブレーキを引いても、止まりませんでした。

ぶつかると思って、左にハンドルを切ると、そこはコンビニの駐車場でした。そこでも、コンビニの横壁がすぐ目の前に迫ってきます。ぶつかる、死ぬ、神様助けて。心のなかで叫びました。壁に激突する瞬間に、なぜか急ブレーキがかかりました。まるで自動車教習所の車で、教官が横でブレーキを踏んでくれたみたいに。私は大きく目を見開いたまま、涙が流れ、心臓がバクバクして、体から汗が噴き出して、そのまましばらくの間、ぼーっと赤茶色のレンガを見つめていました。足元を見ると、右足がブレーキに載っていて、靴置きはブレーキの真下からは外れています。

ドアを開けて外に出てみると、車と壁の間は、わずか5センチくらいでした。それを見るとへなへなと倒れこみそうでした。どうやって足置きがブレーキの下から外れてくれたのか、物理的には全く分かりませんでしたが、守護霊はそばにいるのだと思いました。

いつか時間があるときに、守護霊から守られたと思われる、生死に関わったかもしれないいくつかのエピソードを書きましょう。

5.自分の使命

私が自分の使命を確信したのは、九死に一生を得たり、トラウマ的できごとを経て学んだり、様々な不思議な体験をした後でした。過去生の一部のような記憶が夢に出たり、過去生からの因縁があると思える人と出会ったり、守護霊かもしれないような人が夢で警告したり、という経験があります。これは、事実かもしれないし、思い込みかもしれません。でも、誰もがそうであるように、私は神や守護霊とつながっていると知っています。

例を挙げましょう。私は、昔から、言葉を使って人を導くのが自分の使命の一つであると知っているような感覚がありましたが、自分の忙しい生活を言い訳に発信はしていなくて、つい最近ブログを始めたばかりです。しかし、これに費やす時間を自分の仕事に回した方がいいのか、これで一人でも知らない誰かを救うことができるのだろうかと半信半疑でした。そんなとき、高速バスで移動中の窓から、明瞭な白い雲が三つ見えました。二つが大きく長く、一つが中くらいでした。その、中くらいではっきりした雲に向かって祈り、それを見つめました。もし神がいるのなら、証拠としてあの雲にわかりやすい変化を起こしてください、と。すると、たちまちその雲が輪郭からぼやけてきて、真っ白だったのが薄くなり、どんどん形が縮んできました。あれよあれよと見ているうちに、薄く、小さくなり、消えてしまいました。時速100キロなら1分で1.7キロほど進みます。計っていませんが、1分くらいだったと思います。

次は前方から横に見えてきた薄い雲に向かって祈りました。どうか、もう一度、神がいる証拠として、あの雲に変化を見せてください、と。すると、たちまち今度は、獅子のような形になり、たてがみ、牙、脚、など立体的になり、微妙に動き出したのです。私以外に祈っていた人がいたのかわかりません。でも、一瞬にして変形しました。

雲と意思疎通したような経験は、これが初めてではありません。ストレス障害で苦しんでいたとき、森のなかで青い空を見上げました。目をつぶって、神様、私は立ち直りたいのです、と祈り、自分の思いを語りました。その後見上げた空には、龍のような頭とうろこに覆われた長い体がしっぽまで、見渡す限りの空に現れていました。それは神々しいばかりに美しく、圧倒されるような力を感じました。そのとき私は、苦しみから学ぶものがあること、私は守られていること、そして自分の使命を果たさなければならないことを感じました。

全ての人がいきなり雲に話しかけてそれが形を示してくれるわけではないと思います。それ以前に、自分に対する深い洞察と、中立的な考え、他人を害さないこと、周りに対する愛、困難を乗り越えようとする努力、恨みを捨てることを実践していたからだと思います。そして、神を試すような行動が続けば、神は応答しなくなるかもしれません。なので、証拠を見ることができないからと言って、神や守護霊がいないと思わないでください。

明日、この続きである、どうやって使命を知るのか、守護霊とつながるにはどうしたらいいのだろうか、について自分の考察を書きます。ぜひ、自分で自分をカウンセリングしてみてください。

7月は4週目まで旅行で各地を転々としているので、あまり更新ができないかもしれませんが、wifiと時間が使えるときに更新したいと思います。助けが必要な人によい言霊が届きますように。

注記

これは自分のブログからの転載です。


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