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水鏡

魂が目覚める段階で、人間関係が強制的に整理されてしまうことがある。

それまで属していたコミュニティから離れることになったり、親友だと思っていた人と絶縁したりと色々巻き起こるのである。

気がついたら友達が一人も居なくなってしまった、という声を聞くこともよくある。

『それはもうあなたに必要のないご縁なんだよ』

『空いたスペースには新しいものが入ってくるから』

そういう言葉も耳にするかもしれない。だけど一人になってしまった人には、その言葉はうまく届かない。

なぜなら、漠然としすぎていて「腑に落ちない」からだ。


大前提として、私たちすべての人間は導かれている。

その視点が抜け落ちていることが多すぎるかもしれない。

私たちはいつもいつでも愛され、守られて、導かれている。

どんなに孤独でも、希望が見えなくても、見放されることなんてない。

だからどれだけ「最悪」な状況でも「生きている」という事実こそが、宇宙から愛されている証拠なのだ。

いつもいつでも愛されて守られているという前提だからこそ、もしも今孤独ならば、その場所が「正しい場所」と言える。

もしもお金に困っているのなら、その状況が「正しい」のである。

あなたの魂は素晴らしいギフトを受け取らなくてはならないのだが、この世は表裏一体の世界なので「影」の中から「光」を取り出す方法が一般的となっている。

よっぽど魂が磨かれている人ではない限り「光」の中からさらに「光」を取り出すことなんてできないのだ。そしてそんな人はほとんど存在しない。

もしも今周りに人がいないなら、今こそ感覚を拡大するべき時で、目の前の「物」たちや植物、見えない存在について知ることが大切だ。

すべてのものは生きている。生命活動のない「物」だって生きているのだ。

道具たちはあなたと一緒に働いている仲間だし、身に付けると嬉しくなる服はあなたを包み込む親友だ。

私たちはあらゆる物やアイテムを身につけ、心の平穏を保っている。

それらすべてを擬人化してイメージして欲しい。

あなたはこんなにも一人じゃない。

さらに、あなたの後ろには何人もの守護霊がいるので、実はあなたは「あなた」というチームとして生きている。

苦しい時は「ない」という状況にフォーカスしてしまうものだけど、それはどれだけ「ある」かという奇跡への感謝を忘れている証拠でもある。

「すべてから見放されている」と思うこと自体がそもそも傲慢なのである。

本がある・テレビがある・ゆっくり眠れる布団がある・家がある

自分の意思で体が動く・目が見える・耳が聞こえる・自力でトイレに行ける・食べられる・息を吸える・痛覚がある

皮膚が新陳代謝する・髪が伸びる・爪が伸びる・怪我したら血が出て、勝手に止まる

今書き出したことが「ない」人だってたくさんいる。例えばうちにはテレビがないので、あなたは私より「持っている」のである。

上には上がいるけど、下にも下がいるのだ。

あなたはこんなにも持っている。

それはあなたが愛されていることに他ならない。


『どれだけ「最悪」な状況でも「生きている」という事実こそが、宇宙から愛されている証拠なのだ。』と先程書いた。

では亡くなった人は愛されていないのか?と思うかもしれない。見放されたから亡くなったのかと。

亡くなった人も、愛されていたから亡くなった。

宇宙はその人を愛しているからこそ、その魂が選んだ道を了承したのだ。

すべては自分の魂の意思のもとで行われている。

その死を通してお役目があることもある。

だから、可哀想なのではなく勇敢な魂なのだ。

その魂が体験したかったこと、達成したかったこと、選んだこと。

それをさせてあげるのが宇宙なのである。

なぜなら「愛してる」ということは「信頼してる」ということだから

その人が未熟で弱いから死を渡されたのではなく、死んだ後の魂の成長を信頼してるのだ。

肉体は滅びても魂は終わらないから、その摩擦の体験を許すのである。

許すことは、究極の愛だ。


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見えているものが真実の水鏡に映ったならば、また違う姿がそこにあるのかもしれない。



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