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【追悼コラム】アルフォンス・デーケン上智大名誉教授―「死」のタブーへ果敢に挑戦し続けた

―“巨星墜つ”そんな使い古された言葉はこの人のためにあるのだろう

「死生学」の上智大名誉教授アルフォンス・デーケンさんが、6日に肺炎で亡くなられた。88歳だったそうである。各媒体に大きく取り上げられている。

優しい語り口にその佇まいは、一般に想像されるキリスト者を絵に描いたような方だった。ただただ、清冽なだけではなく、たっぷりのユーモアも決して忘れない人だった。

大学入試を経験したことのある多くの人が、一度はデーケン先生の文章に触れているはずである。大学入試の現代文では頻出だった。本試験ではなくとも、模試や問題集で一度くらいは目にしたことがあるのではないだろうか。

1行目でアレ?と思い、2~3行も読めば、デーケン先生だとすぐにわかった。この問題は落とせないと、テンションの上がったことが思い出される。

また、ウィキペディアの情報によれば、『ユーモア感覚のすすめ』が中学校の国語教科書に掲載されていたそうである。

ホスピス(終末期医療)やグリーフケアという言葉は、今や当たり前のように使用されるようになった。それは、キリスト世界に止まらず、仏教の世界でも普通に使われている。

―それまで聞いたことのない話ばかりだった。
1993年に放送された『NHK人間大学―死とどう向き合うか』という番組である。

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これが番組テキスト表紙の写真。改めて読み返してみたが、今もまったく色褪せない。すでに、エンディングノートについても触れている。

1993年の当時においても、日本にはまだまだ「死」へのタブー意識は根強いものがあった。日本で終末期のさまざまな概念を定着させたのは、間違いなくデーケン先生であろう。

学問は長年の集積によって、ときには何代にもわたって深められ、その概念がじわじわと効いてくるものである。日本における「死生学」を開闢して、一代で私たちの概念にこれほどの変革をもたらした学者は数少ないだろう。

「死生学」の権威は、どのような終末期を、どのような最期を迎えていらっしゃったのであろうか。下品な勘繰りではなく、いずれ「死」を迎える者のひとりとして知っておきたい。そして、それは筆者だけではなく、日本人にとって大きな財産となる。NHKなどが密着していなかったのであろうか。

筆者はキリスト流のお悔やみを知らない。いや、きっとデーケンさんに怒られるだろう。「死」は悔やむものではないと。そう理屈では分かっていても、やはり悔やまれてならない。

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