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【コラム】カタチに弱い日本人

―いよいよ猶予のない75回目の終戦記念日を迎えた

戦争を経験した祖母は今年で89歳となった。おかげ様で存命している。

毎年、この時期になるとテレビや新聞をはじめ、マスコミはこぞって戦争特集を組む。祖母は70代くらいまで、戦争に関するテレビ番組や映画を何となく避けていたように思う。

ところが、80代を過ぎたあたりから、積極的にそれらを観るようになった。そして、筆者は生き証人である祖母に、実際のところどうだったのかを聞くようにしている。

どれだけ、内容の素晴らしい番組であっても、本当の意味で実感を伴うことは難しい。やはり、身近な人から聞く戦争の話には、理屈を超えたリアリティーが宿る。

そんな祖母に聞いてみた。

8月6日の広島、8月9日の長崎、そして8月15日の終戦記念日。これらの日には黙祷と称して、サイレン音が鳴り響く。

―おばあちゃん、あのサイレンどう思う?

「そんなもん、空襲警報を思い出してイヤに決まってるやろ」
こんな風に感じている戦争経験者は祖母だけであろうか。今のカタチは本当に戦争経験者の方々に寄り添ったものとなっているのだろうか。

たとえば、仕事を覚えるであるとか、趣味を上達させるためにカタチから入ることは大切だと思う。ところが、日本人はセンシティブな問題や宗教などにおいても、すぐにカタチから入ってしまうところがある。それは、継承するという長所がある一方、思考停止にも繋がっていく。

筆者は根っからの吉田松陰シンパである。ほとんど理屈はない。あまりに有名な辞世の句

身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂

に出会って、いわば一目惚れしてしまったのである。普段、吉田松陰という言い方はせず、“松陰先生”と呼んでいる。

出演者が吉田松陰と発言すると、テレビ局へクレームの電話が掛かってくるという話を何度か聞いたことがあり、大きな違和感を覚えた。筆者自身は、松陰先生と呼んでいるが、それを他人に押しつけるつもりは毛頭ない。そのような人には、互いを先生と呼び合った「野山獄における松陰先生のお姿や如何に」と問いたい。

以前、とても気になるCMが流されていた。おもらく松陰先生の地元である萩の小学生が、松陰先生の言葉を大きな声で唱和していたのである。これにも大きな違和感を覚えた。教育の一環として、地元の偉人である松陰先生との出会いを提供することには賛成である。機会を提供した後、興味を持った子どもたちが自ら学べばいいのである。ただ、言葉の唱和となると意味合いが違ってくる。ともすれば、洗脳に近いものを感じてしまう。

「国家斉唱ご起立ください」にも違和感を覚えるし、行きすぎた平和教育にも違和感を覚える。カタチは同調圧力を生む。同調圧力は差別を生み、再び惨禍を生む土壌となる。

戦争を経験された方々がいなくなる世界を考えると、暗澹たる気持ちになることを禁じ得ない。

もう本当に猶予はない。我々にできることは、身近にいる経験者の方々からできる限り色々な話を聞くことだけだと思う。

ただ、去年あたりからNHKが取り組んでいる戦争中の楽しかった思い出を掘り起こすという試みは、素晴らしいと思う。戦争というテーマにおいて、これまであまり取り上げられなかった話は、普遍的なものであるため戦争を知らない世代も実感を伴いやすい。

かなり長くなってしまったので、ひとつだけ祖母から聞いた話を披露する。

もう、筆者自身も何度聞いたかわからない「耐え難きを耐え 忍び難きを忍び」。終戦時、祖母は女学校の学生であった。玉音放送を聞いたときの感想を聞いたことがある。

「何を言ってるのかサッパリわからない。ただ、周りの大人が泣いてるから戦争に負けたのがわかった」

そう言われ、全文を読んでみると、確かに非常に格式高く難解である。辞書なくしては、とても読みこなせない。

こういった、キモチのある戦争の話を、もっと知りたいと思う。

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