高校教諭40代・惑ってばかり
中高一貫校の教諭である私の不妊治療の記録
今年の夏、夫と娘と3人で久しぶりに実家に帰省しました。
その際、主人に対する私の態度がひどかったらしく…、
兄からも…そして叔父からも
「ご主人をもう少し大切にしなさい」と忠告を受けました。
カチンときて、「そんなことない!」と言い返した後に、
(だって、夫は私にひどいことをしてきたんだから、私が夫にひどいことを言っても仕方ないんだ!)と言いたくなった自分がいました。
その時に、「あ、私はまだ夫を許せていないんだ」と思ったんです。
私の心の中で、特に不妊治療をしてきた過程で、彼を許せていないところがあり‥それどころか憎しみすらおぼえている…。
幸か不幸か、自覚してしまったのです。
もやもやしながら、でも一晩実家でぐっすり寝た次の朝、ふと、
「そろそろ手放して、ぜーーーーーんぶを一旦許そう。」
不思議ですが、その言葉が頭の上から降ってきたのです。
そうだそうだ許せていないのは自分もつらい。
「いつも自分ばっかり💦」というのもやめよう。
そう私は思って、今までのことを文章にしようと思ったわけです。
私は今、4歳の娘がいます。
不妊治療は約10年におよびました。
出産は44歳になる歳でした。
子育てをしながら、忘れかけている記憶を紐解くように
(記憶が前後したり、思い違いがあったりするかもしれないけれど)
そして、自分に「頑張ったよね~」とねぎらいながら
気持ちの棚卸をしていこうと思っています。
よろしくお願いいたします。