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民主主義の限界~衆愚政治に行きつく~

はじめに

民主主義は限界だ。
ウィンストン・チャーチルの「民主主義は最悪の政治形態である。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては。」という言葉が全てである。

人は常によりより政治形態を紡いできた。それまでの政治体制の課題を解決する新たな政治体制が生み出され、しかしその新たな政治体制にも課題があり、また新たな政治体制に変わっていくという連鎖だ。それがたまたま今は民主主義であり、諸事情によりそれが長く続いているだけなのだ。決して、万能であるから、優れているから、今、民主主義が採用されているわけではない。

民主主義が続いている理由

ではなぜ民主主義は長く続いているのか。ここから先はあくまで持論だが、主に3つの理由があるのではないだろうか。

1.とはいえ、今までのなかでは最良の政治形態である
チャーチルの言葉にあるように、良い形態かと言えば、決定には時間がかかるなど、まだまだ改善の余地が大きく、デメリットも存在する。しかしそれでも、民衆の声を拾うことができるという点において、過去の形態よりはずいぶんマシだ。

2.正義は勝つって?そりゃそうだろ、勝者だけが正義だ!!
民主主義の延命と、ポスト民主主義の抹殺を決定づけたことが冷戦だ。冷戦は宇宙開発に代表されるように武力以外で争った。これは政治形態も同様であり、また大義名分としても用いられた。すなわち、民主主義VS社会主義の構図ができたのだ。
そもそもこれらはいずれも、よりよい社会を目指して考えられたものであり、本来、対立構造にないものだ。歴史の変遷を見れば、恐らく社会主義こそが民主主義の次にあるべき政治形態だったのではないだろうか。
つまり、民主主義の衰退前に、ポスト民主主義の種である社会主義が生まれた。民主主義が成熟し、腐敗していくなかで、社会主義がブラッシュアップされていき、やがて少し混ざりながら引き継いでいくはずだった。しかし、戦争の道具に利用された結果、対立構造を作られ、そして社会主義は負けた。
負けたのだから社会主義は悪で、勝ったのだから民主主義は正義なのだろうと印象付けられた。もちろん当時の社会主義をそのまま実践すればいいのかと言えばそうではない。繰り返しになるが、成熟と民主主義との融合の段階を経る必要があったのだ。

3.民主主義の次がない
前項にも重なるが、結果としていまだに民主主義の次となるものが出てこなくなった。仕方ない。なぜなら民主主義は正義なのだから。そして、ちょっと違ったことを考え、発すればこう言われるのだ「世論ではこうだ」と。出る杭は打たれる。

民主主義の限界

ところで、民主主義が限界に来ていたとして、それはどういう状況なのだろうか。
それは次の2点であろう。

1.明らかなデメリットが提示されている
例えば、時代の変化が加速し、意思決定の遅さがリスクになった。例えば、民主主義を勝ち取った経験が薄れ、民が政治参加することが当たり前になり、政治に興味を失っていった。例えば、政治権力が大きくなり、あるいは他の権力と結びつき、政治および政治家を批判できない状況になった。
こうしたデメリットを感じている方は多いのではないだろうか。それも昨日今日の話ではない。

2.人民が愚かである
そもそも民主主義とは主権が人民にあることをいう。民の声を選挙を通して拾い、代理のものがその声をもとに政治を行う。現行の日本の制度そのものだ。近年の日本では、なぜあんな人を当選させたのか、ということやコメントがよくある。あるいは、ニュースでは世論を取り上げ、世間はこう見ていると伝えている。
以前書いた記事のなかで述べているが、そもそも世論はそんなに正しくないではないか。少なくとも私の見てきた限りでは間違ってばかりだ。
例えば、少し前になるが、自民党の政治に不満が溜まった結果、民主党の政策に共感したからではなく、自民党じゃないからということで投票が集まり、結果として国政政党が民主党に移ったことがある。その後、民主党の方がさらにひどかったため自民党に戻った。
最近の例では、東京都知事選にて石丸氏が2位で落選した。選挙前の評価からすれば躍進したと表現されることもある。どの程度本気かはわからないが、総理大臣になってほしいなどの声も出ている。現状の政府、総理大臣に不満があったとしても、流石にそれは短絡的過ぎではないだろうか。
政治だけでなく、人が少し道から落ちれば叩く、情報に踊らされる、自分の正しさではなく空気に流される。自分がよければよくて、しかもその視野は1年も先を見ていない。
つまるところ、衆愚政治である。

ちなみに参考までに、銀河英雄伝説のヤン・ウェンリーの台詞を紹介しよう。
「政治の腐敗とは政治家が賄賂をとることじゃない。それは政治家個人の腐敗であるにすぎない。政治家が賄賂をとってもそれを批判できない状態を政治の腐敗というんだ。」

銀河英雄伝説はこうした政治に関する学びもある作品なので興味があれば是非視聴してほしい。※個人的には古い方のアニメで。

予断を挟んだが、どうだろうか。私たちが今、目にしているのは、政治家個人の腐敗だろうか、あるいが政治の腐敗だろうか。

おわりに

最後に、民主主義は衆愚政治であろうがなかろうが、次の政治形態があろうがなかろうが、民衆の声が政治に反映されるという点で優秀であり、少数の声を殺すという点で最悪の政治形態である。
確かに一定の国を除いて、私たちは民主主義のなかで生きており、私個人として不満はあるものの、そこに対して行動を起こしているわけでもない。次の政治形態が出てこない以上、「民主主義は最悪の政治形態である。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては。」という状態のため、ひとまずはそのなかで生きていくしかない。
重要なことは、そのなかで、民主主義を当たり前とせず、どうしたら「よりよくなる」のかをもがき続けることだ。誰ももがかなくなったときが民主主義の終焉である。

余談

余談①
そういえば、成田悠輔氏が「22世紀の民主主義 選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる」という本を出していたのでちょっと興味がある。

余談②
記事中で銀河英雄伝説に触れたが、政治体制のメリットデメリットやそれぞれの存在意義、そしてなぜ様々な考えが必要なのか、など、こうした話題が好きな方は楽しめる内容かと思う。もう少し触れたい部分もあったが、文章の内容が散らばることと長くなりすぎるという理由で省いたので、興味があれば見てみてほしい。

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