私が貯金体質になるまで①
こんにちは。
「私が貯金体質になるまで」。
このnoteを読んでくださっている方に、私の解像度をもう少しあげていただくために、今日はこういうお話をしていきたいと思います。
「貯金出来ない私」が育つまで
今でこそ貯金体質が染みついている私ですが、大学を卒業するまでは全く貯金が出来ないタイプの人間でした。
私の背景を簡単にお伝えします。
私は首都圏のド郊外の一般中流家庭で育ちました。
父親は都内の職場に片道1時間かけて通勤する会社員、母親は専業主婦で、3歳年上の兄がいます。
いわゆる都内勤務のサラリーマンのために作られたベッドタウンにある建売一軒家に住む、昭和を絵に描いたような家庭の出身です。
父親は懐かしの「24時間戦えますか」を彷彿させる、6時過ぎに出勤し24時30分過ぎに帰宅するという、ザ・企業戦士的な働き方をしていました。
自分が40代になって改めて、本当に過酷な働き方(しかも毎日往復満員電車)で家族を支えてくれていたのだなと、感謝の気持ちが沸き上がっています。
そんな父ももう70代になり、今はボランティアに勤しむ生活をしています。
そのような環境で、ありがたいことに私は、特に金銭面での心配を経験することなく成長しました。
母親はいつも「うちにはお金がない」と話していましたが、おそらくそんなことはなかったのだと思います。子供に必要以上に
物をねだられたりするのを回避するための手段だったのだろうと思います。習い事もスイミング、習字、ピアノ...と、3つもさせてもらっていたし、高校、大学は私学に通わせてもらいました。
旅行もちょこちょこ行っていたし、外食も時々連れて行ってもらいました。このように振り返ると、本当に、不自由なく育ててもらえたんだと言う事を実感します。
そのように、お金の心配をすることなく、というよりもお金に関してあまり意識をせずに育った結果...
困ったことに私は、「お金をあるだけ使ってしまうタイプの人間」に成長していきました。
貯金が出来なかった頃のお金の使い道
お小遣いの使い道ですが、小学生の頃はマンガ、ゲームソフト。あとはイラストを描くのが好きだったから画材なども買いました。
中学生になっても、書籍や漫画、ゲームなどなどは買い続けていて、そこにCDや雑誌も入って来ました。
ちょっとコレクター気質もあったので、お年玉が入るとゲームのグッズなども買っていました。
高校生になると、友達との遊興費。お茶したり、カラオケに行ったり。
あとは好きなアーティストがいたので、ライブチケットやCD代、グッズ代、ファンクラブ代などにお金が消えていきました(今で言う推し活代)。
大学生になってアルバイトをするようになりましたが、今度はおしゃれに目覚めたので、洋服代がかかるようになりました。
なぜか1着1万円以上するTシャツとかを買っていましたね。なぜそんな高価な服を買っていたのでしょうか...今思うと信じられないです。
あとは部活をやっていたので、合宿等の活動費、飲み会代でもお金が飛んでいきました。
通帳にはいつも残高しかない
このように、私の手元に入ってきたお金は、どこかしら行き場をみつけてどんどん手元から無くなっていきました。通帳を見ても、いつも残高的な金額しかありません。まさに火の車状態でした。
ただ、人に借りるなど、自分の持っている額を超えて使うことは無かったので、そこが救いかなと思います。
初任給をもらって意識に変化が
そんな私ですが、なんとか大学を卒業し、新宿にある企業に入社しました。
初任給は確か20万円無いくらいだったかと思うので、手取りは17万円くらいだったでしょうか。
ただ、それまでアルバイトでも少額しか稼いだことのない人間だったため、この初任給には感動しました。感動して、両親に贈り物をした記憶があります。
そして、こう思ったのです。
「このお金が、今までのようによくわからないうちに消えて行ってしまうのはいやだ。計画的にお金を使ったり、適正な管理が出来るようになりたい!!」と。
自分が通勤時間も含めて1日10時間以上仕事に費やしたことではじめて、
「苦労して手に入れたお金を無駄に使いたくない!」と思うことが出来たんですね。
自分が大変な思いをして、やっとやっと、お金の価値に気づく事ができたのだと思います。
そこから、私の家計管理ライフが始まりました。
長くなってしまったので、続きはまた次の記事に書いていこうと思います。
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