コーチングをきっかけに、書きたい気持ちが迷走した2023
※コーチングに対して、少しネガティブな意見がありますが、あくまで個人の感想、体験です。
コーチングを受けたよって話
昨年、縁あってコーチングを受けることになった。
コーチングとは、簡単に言うと施術者との対話を通して、自分の夢や叶えたいこと、今の生活上の問題などを明確化しようという取り組みだ。
施術者が主に傾聴に回るカウンセリングとは異なり、コーチングでは施術者が積極的に話を深ぼる質問をしてくれるため、自分一人では難しかった思考が可能になる。
日本ではあまり聞きなじみがないが、海外のビジネスシーンでは日本よりも普及率が高いらしい。
お値段も1時間あたり数万円かかることも多く、おいそれと簡単には手が出せないのだが、知り合いの知り合いがコーチングを勉強することになり、モニターとして無料でコーチングを受けてみないか、という誘いを頂いた。
アラサーにもなり、自分の将来や仕事のキャリアプランに相応の不安はある。
しかし、何より数万円単位のものが無料だという、どうにも貧乏くさい理由で、私は安易な気持ちでコーチングを受けることにしたのである。
わくわくって難しい
コーチングが始まり、簡単な自己紹介と現在の仕事、実はやりたいと思っていることなどを施術者にお話した。
看護師をしながら細々とWEBライターをしているが、もっと文章がうまくなりたいこと。
欲を言うと、ゆくゆくは書く仕事を増やせたら…などと私の願望を伝えると、コーチングの方から「夢や成し遂げたいことは、だれかに止められてもやってしまうこと、わくわくすることの中から選ぶといいですよ」という言葉を言われた。
自己啓発本のお手本やビジネス書にも書かれていそうな、なんとも真っ当な言葉だ。
そりゃそうだ、自分がわくわくできることの方が、長続きするに決まっている。
けれど、この「わくわく」という子供が感じる単純な感覚を、自分の日常に見い出すことができない大人は、とても多いのではないだろうか。
私は、自分がわくわくした経験など、短いコーチングの時間の中ではすぐに思い出せなかった。
何なら中高生以来、感じていないかもしれない。
改めて「わくわくしているかー?」と他者に言われたことで、私は自分が言葉を紡ぐ行為が楽しいのか、ということに疑問を持ってしまった。
私、誰かに書くなって言われたら、普通に書くのを辞めるよな。
本当に、私は文章を書きたいと思っているのだろうか?
そもそも、わくわくしないのだったら、大した思いではないのでは?
などと、考えても無駄だとわかっていながらも、負の連鎖のような思考が止まらなくなってしまい、結局、夏を過ぎたあたりからnoteへの足が遠のいてしまった。
やっぱり、自分の好きを言語化したい
父が肺がんを患ったり、姪っ子が生まれたりと、家族事情にいろいろな変化があったこともあり、2023年後半はとにかく静かに過ごした。
訪問看護の仕事をし、同棲している恋人のために料理を作り、明日の用意をして眠る。
WEBライターの仕事も、良くも悪くも特に大きな変化もなく続けることができた。
プライベートでは時々本を読み、映画を見た。
特に映画はよく見た。良い映画にもたくさん出会えた。
すると徐々に、良いものをに触れたからか、感想を誰かと語り合いたいという気持ちが私の中で大きくなってきた。
人は心が動く瞬間に出会えると、どうしても他者と共有したくなるらしい。不思議だ。
そんなこんなで、約半年をかけて、私の書きたいという気持ちが晴れて戻ってきたのである。
書きたいなどと大げさなものではないが、2024年は自分の好きな映画、本等を中心に自分のペースでしっかり言葉を発していきたいと思っている。
大好きな彼とも同棲1年を突破し、有難いことにさらに幸福な日々が続いているので、日常の小さな幸せや気づきも言葉にしたい。
ゆるゆると、自分らしく言葉を紡ごう。
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