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ギルバート・グレイプ

一昨日、映画館でリバイバル上映中のギルバート・グレイプを観た。
初めて観たのが映画館でよかったと、心から思った。

言葉に表せない感情に溺れそうになった。
とりあえず、忘れないうちに、noteに自分の感じたことを残しておこうと思う。

話のテーマを一言でいうなら、「ヤングケアラー」になるだろうか。
他にもたくさんの要素があるから、ヤングケアラーという言葉の器からあふれ出ていてそれがメイン!主題!という感じはしないのだけれど。

それでも確実に恋愛ものではない。
家族愛とまとめるのも何か違う。

うん、気になる人には一度見てほしい。

私は家族を扱った映画が好きだ。
家族って、正解がない。
いつも円満な家族なんてなかなか無くて、
ぶつかって削り合って成長するのであって。

切なくて苦しくて、でも誰よりも近い家族との
日々、葛藤の様子を描く映画が好きだ。

だから、ギルバート・グレイプも私の好みだった。
理想的な家族になれない、なりきれない家族。
他の家族を見て
「羨ましい」とか
「なんでうちはああなれないんだろう。」
と思ったことはないだろうか。
そういう思いをしたことがある人は
必ずこの映画を観て切なさを思い出すだろう。

そして、生活上の支援を必要とする家族を支える子供たち。
今でこそ「ヤングケアラー」という言葉が浸透して、
理解が増えて、作品も多くなったけど、
この映画が公開されたのは1993年。
今から30年前。
この映画が焦点を当てた場所は、
きっと世界の隅っこにあるような問題で、
その当時ほんの少しの人しか知らない
苦しみ、痛み、そんな問題だったと思う。

そしてこの映画で印象的だったのは、
「死」に対する表現。
人間が死ぬとき、必ずしもそこに理由とか正しさとか
あるわけじゃない。
残された人が考えても、悩んでも
たどり着かない、教えてくれない。

それをレオナルド・ディカプリオやジョニー・デップが
圧倒的な演技力をもって表現してくれて
こんな作品を残してくれて、なんだかありがとうの気持ち。
何様のつもりで言ってるんだ、私。


同じような経験を持つ人には
忘れられない程 胸に刺さる
登場人物に自己を投影できないという人も、
きっとこれからの人生でこの映画を思い出すときが来ると思う。


まとまりのない文章になってしまった。
でもこれこそ、映画を観て感情に溺れた私を表しているので、もうそのままにしておきます。

ここまで読んでくださってありがとうございました。

あぁ~~!映画館のある時代に生まれてよかった!




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