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【短編小説】学園の事件簿

第1話      秘密のペンダント
                                                              あらすじ
仙台の私立高校で、女子高生の首にかけていたペンダントを別の女子高生が自分ものだといい、口論となった。指導教員と担任が謎解きを進めると、同じペンダントが二つあり、二人の生徒の誕生時の秘話が明らかとなった。
https://note.com/famous_nerine137/n/n8621b4c3995e

第2話      消えた名画

あらすじ
仙台の私立高校で、図工室からルノアールの絵が消え失せた。指導教員と担任それに美術の先生の必死の探索で見つけ出したが、絵はすり替えられていた。その裏には、一人の女子生徒の悲しい物語が潜んでいた。
https://note.com/famous_nerine137/n/n94efbbb18141

第3話      家族のきおく

あらすじ
仙台の私立高校で、図書室の置物が壊された。男子生徒一人と女子生徒二人
が壊したと名乗り出た。指導教員と担任が三人から事情聴取したが誰が壊したか判じかねた。そんな中、置物は模造品との話が出て、美術の先生も加わっての本物探しとなり、十三年前の大津波で両親を波にさらわれた女子生徒とからむ悲話の真相が明らかになる。

本文

 四月になったと思ったら、もう十日が過ぎてしまった。この月は寒暖の差が激しく、一日ごとに十度の差がある日もあった。六月下旬並みに、真夏日になる日もあった。気温に応じて、人々の衣服も薄くなったり厚くなったり、落ち着きのない毎日となった。庭のチューリップや水仙などの春の花々も強烈な高温にあぶられ、早々と色あせていき、昆虫と戯れる暇も見いだせない。
 仙台の私立高校で二年の南石欣也は、早くも半そでの白シャツ姿で、放課後の図書室に入り、本を漁っていた。時間が遅いせいか、その時は欣也が一人きりで、借用簿に借りる本の名を書き、ひょいと部屋の隅に目がゆき、そこに飾ってある赤銅色の彫像に違和感を感じた。どこかが変だと四角い顔の目を細め確かめようとしたが、その前に言い知れぬ不安を感じ、慌てて図書室を飛び出した。とにかく事実を知るのが怖かったのだ。
「あっ。欣也。急いでどうしたの」
 廊下で鉢合わせとなり、顎がゴリゴリと筋入りの盾隅東吾がぶつかりそうになって右に跳んだ。東吾は、隣のクラスで同学年だが、部活が一緒で卓球をやっていた。
「何でもない。本を借りてきたのさ」
「本だって?お前の柄じゃないみたい。書名は何?」
 東吾がびっくり声で欣也の顔を見た。
「俺だって本ぐらい読むさ。ドストエフスキーの『罪と罰』だよ」
 手に持った本の表紙を見せて、欣也が東吾の目の前でそれを右左と揺すった。
「えええー、まじかよ。マンガじゃないの?それじゃ、俺はトルストイの『戦争と平和』でも借りるとするか。ライバルはピンポンだけで沢山だけどな。じゃあな」
 冗談なのか本気なのか分からぬ言葉を残し、東吾は図書室のほうに歩み去った。
      
 次の日の朝、ホームルームの時間となった。担任の畑石孝信先生が言いにくそうに、髪をオールバックにした端正な顔をしかめて口を開いた。
「こんな話でホームルームを始めるのも嫌なんだけど、言っておく。昨日ある生徒から通報があって、図書室にある「親子像」が両親と娘のうち、父の手首が曲がっているというんですね。原因は分からない。心当たりのある者は届け出てほしいということです」
 先生がそう告げると、生徒たちは一瞬静かになった後、隣の者と私語したり、見合ったり、教室内にざわつきが渦巻いた。その話を聞いて、あの時感じた不安の正体が分かり、欣也は納得したものの、彫像の損傷報告をしたのは東吾に違いないと確信した。同時に損傷の犯人と疑われるだろうということも避けることができないものと覚悟した。いつ教員室に呼び出されるかとか、東吾が隣のクラスから来て話しかけてこないかとか余計な気を使い半日が過ぎた。
 昼飯となり、食べ終わった後は、外は暑いし、欣也は自分の机にぼんやりと座って転寝をしていた。意識が遠のき、はっとしたとたん、真ん丸眼鏡をかけた丸澤八重の大きな声が教室の後ろのほうから聞こえてきた。
「あなた。いつだったか、図書室の置物嫌いだとか言ってなかった?」
 わざと他の人にも聞こえるようにと、ことさら声を大きくしているように欣也には感じられ、初めは自分に向けられたのかと思い一瞬狼狽したが、後ろを振り向くとどうやら違うようだった。
「そんなこと言った覚えはないわ。誰かさんの間違いじゃないの?」
 八重の前で、髪を後ろで結んだ丸顔の華奢な容姿の神園唯子が、気色ばんで首を振った。
「あら。私、この耳でちゃんと聞いたわよ。図書室の置物が壊されたから嘘をつくのかしら。怪しいわね。ひょっとするとひょっとするわね」
 八重が話を妙な方向にもっていこうとしている。それを聞いて、欣也は机から腰を上げ、後に動き八重と唯子の間に分けて入った。
「待て、待て。唯子さんはあの像を壊してはいないよ。なぜなら俺が壊したんだから」
 訳は分からない。なぜか無意識のうちに欣也は唯子をかばっていた。それを聞いて、驚きで目を真ん丸にした唯子が上ずった声で言いつのった。
「南石さん。そんな。見え透いた嘘は言わないで。本当言うと壊したのは私よ」
 意外な展開となった。周りを取り囲んだ級友たちが興味津々で事の成り行きを見守っている。すると八重がその場の雰囲気にのまれたのか、感化されたのか、焼きもちを焼いたのか二人の言動を制してあり得ないことを口走った。
「二人とも、お互いをかばいあっていい子になりたいのね。そうはさせないよ。あの父親の手をひん曲げたのは私なのよ。これでどうだい。二人の演技はお終いよ」
 八重が勝ち誇ったように両手を上げ笑った。
 その時、クラス委員の知らせに驚き、担任の畑石先生があたふたと駆けつけてきた。
「どうしたんだ。三人でコントでも始めたのか」
「まさにぴったり。たまに良いこと言うじゃない」
 畑石先生がその場の雰囲気をほぐすため軽口から入ると、早速、周りの男子生徒からやじが飛んだ。
「誰だ?成績評価減点するよ」
 声のした方に先生が目をやると、その生徒は素早く人の陰に隠れた。
「それで、何があったの」
 興奮をそがれ、その場に立ち尽くした三人に向き直り、畑石先生がもう一度訊いた。
「今朝のホームルームの話ですが、あれ俺が壊したんです」
「それで」
 欣也の前後の無い要領を得ない話に畑石先生がさらなる説明を求めた。すると、唯子と八重が間髪を入れず声を出した。
「先生。私が壊しました」
「壊したのは私よ」
「何だって。三人で壊したというのか」
 畑石先生が何のことやら、判断しかねて頭髪を手で撫で、当惑の表情を浮かべた。
「三人寄れば文殊の知恵。ここが思案のしどころだ」
 そこで、またまた男子生徒のヤジが飛んだ。先生はそちらにちらと目をやったが、知らんふりをして、目の前の三人に告げた。
「ここで嘘、真を判断するには場所が悪い。放課後に教員室に来てもらおう。さあ、解散だ。ところで、後ろに隠れている石脇も後で教員室に来るように」
 畑石先生は、チラリと周りの人垣に一瞥をくれるとそそくさと教室を出ていった。
 
 教員室の応接コーナーに指導教員の皆橋公子先生と畑石先生が座り、生徒の来るのを待っていた。
「これは難問ですね」
「この間のテストですか。平均点が低すぎて」
「おほほ。先生。彫像の話ですよ。彫像……」
 皆橋先生は、空気の読めない畑石先生の顔をまじまじと見た。
「これは失礼しました。とにかく三人とも自分が壊したと、お互いが張り合っている有様ですからどうしようもありません」
「いずれも気軽に犯人になりたがっている。その親子の像はそんなに安物なんでしょうか」
「私には分かりません。生徒たちにそんな意識はないと思いますが」
 畑石先生は、勘違いは禁物と慎重に言葉を選びながら答えた。
「そうですね。置物の価値よりは生徒の方が大切ですから、それを肝に銘じておかなければ」
 皆橋先生が自分に言い聞かせるように言ったとき、最初に唯子が入ってきてお辞儀をした。
「さあ。固くならないで。ソファーに座って」
 皆橋先生がにこやかに微笑んで緊張気味の唯子を手招きした。
「神園さん。最初に訊くけど。あの親子の像をどう思う」
「どうって。率直に言うと好きじゃないです」
 皆橋先生の問いに唯子は、考えることもなく即座に、自分には不利になりそうなことを口に出した。
「えっ。差し支えなかったら訳を教えてください」
「訳ですか。ええっと」
「言いにくければいいですよ」
「言います。言います。実は両親がね、父が浮気して離婚したんです」
 そう言って、唯子がつらそうに顔をゆがめて涙ぐんだ。
「ふーん。そうなんだ。いやなこと思い出させてごめんね」
 皆橋先生はそう言って詫び、唯子の気が収まるのをしばらく待った。
「それで、何故なの、それに、どうやって壊したの」
「とにかく、円満な雰囲気がたまらなく嫌だった。父が憎いし、それでバッグに隠して石を持ち込み、それで打ったのよ」
 水流のつっかえが外されたように唯子は、一気に汚泥を吐き出し息をついた。
「つらかったんだねー。私はこれで終わるけど、畑石先生何かありますか」
「えっ。まあ何もないです。学校の備品を壊すのは……」
「あっ。ちょっと待って。本当かどうかは、もっと先の話よ」
 慌てて、皆橋先生が畑石先生の話を遮って、ばつが悪そうに唯子を見た。唯子はこの時には、すべてを語り、気分が楽になったのか、笑いをこらえ、皆橋先生を見返した。
 次に呼んだのは南石欣也で、彼は先生の前に来ると、ぺこりと頭を下げ
「よろしくお願いします」と気弱そうに挨拶した。
「さあ。そこに座って」
 畑石先生が着座を促すと、両膝をきちんと揃えてぎこちなく腰を下ろした。事前の打ち合わせ通り今度は畑石先生が担当した。
「そんなに緊張しないでいいですよ。ちょっと訊くけどね。あの図書室の置物の印象はどんなですか」
「印象?あまりよく見たこともなかったから何とも言えません」
「関心がなかったということですか。それなのにどうして壊したのですか」
 畑石先生がいきなり物事の核心部分に入り込んでいった。
「それはね、酒におぼれて家庭を顧みない父親への反発です」
 矛盾を突かれたように感じたのか、欣也はそれを吹き飛ばす勢いでまくしたてた。
「お父さんへの反発?それでどうやって壊したのですか」
 欣也の気配に押され、畑石先生は足早に結論を急いだ。
「気づいたらそこに親父の顔があったから、本の入ったバッグを思い切りぶつけたのです」
「バッグをぶつけた。そうですか、私はこれで終わりです。皆橋先生いかがですか」
「そうね。南石さん、ちょっと訊くけどね。その日は何か特別なことがあったんですか」
「特別なこと?何もなかったです」
 欣也は、しばしの間その日の記憶をまさぐったが何も浮かばず、ポツリと答えた。
 最後に丸澤八重が呼ばれて職員室に顔を出した。
「壊したのは私です。すみませんでした」
 ソファーの前に来るなり、いきなり八重は頭を下げて謝った。
「まずはそこに座って、謝るのは話が分かってからだから」
 皆橋先生がソファーを手で示して、にこやかな笑顔で八重に着座を促した。八重が座るのを待って皆橋先生が身を乗り出した。
「単刀直入に訊きますけど、丸澤さんはあの像に何かうらみでもあったのですか」
「うらみなんてありません。今の今まで気にかけたこともなかったです」
「無関心だった。じゃ、どうして壊したんですか」
「故意じゃないです。たまたま本を借りに図書室に行って、なんかよろめいちゃって、かばんごと置物に倒れ込んだのです」
 それを聞いて、皆橋先生が質問を変えた。
「単なる事故ならどうして届けなかったんですか」
「転んだなんて格好悪いからです。黙っていたら誰も知らない訳だし、そのうち何ともなくなると思いました」
「そうですか。これで私は終わりです。畑石先生、何か」
 八重のあっけらかんな答えに二の句が継げず、皆橋先生は突然、八重への聴取をやめ、畑石先生にバトンを渡した。
「えっ。えーと。丸澤さんは知らんふりを決めたんだよね。それなのに、どうして神園さんが壊したといったんですか」
 急に役割を振られ、畑石先生は、動転しながらも最も素朴な疑問を発し、八重の致命的な矛盾に迫った。この突込みに窮鼠猫を噛むごとく八重の顔色が変わり、トンボ眼鏡の奥の目が光った。
「彼女はね、いつもツンツンお澄ましで皆からちやほやされるから困らせようと思ったのです。私なんかこの通りです」
 八重が突然眼鏡をはずし、素顔を畑石先生の前にさらし目をつむった。
「おいおい、何をするの。止めなさい」
 畑石先生がどうしていいか分からず、狼狽して八重を制止した。
「おやおや。丸澤さん。ここは学校よ。落ち着きなさい」
 皆橋先生も突然の生徒の逆上に戸惑い、八重をたしなめたが効果はなかった。
「分かった。分かった。八重。お前は、眼鏡がなくても綺麗で可愛いよ。もっと自信を持てよ」
「本当?今まで誰にも言われたことがなかった。先生に言われて嬉しいな。お世辞でも嬉しいよ」
「お世辞じゃないよ。本当だから。さあ。これで終わり。帰っていいよ」
 畑石先生の人が変わったような言い草で、八重は花のような明るい表情で教員室を出ていった。皆橋先生が目を丸くして、畑石先生を眺め、その変身を訝しんだ。
「何なの、あれ。何が何だか分からなくなった。それに先生でしょう。いい子ぶっていたんじゃない」
「いやいや。そんなことないです。とっさに出た窮余の一策ですから」
「私には、そんなのないですよ。見た通り。このままですから。それにしても足りないわね」
「あっ。すみません。今すぐに」
 皆橋先生が空の湯呑を手に持ってあげたり下げたりしているのを見て、畑石先生が慌てて立ち上がろうとした。
「お茶じゃないですよ。生徒たちの話を裏付ける証拠がないという話よ」
 湯呑を持ち上げの自分の動作に気付き、皆橋先生が釈明するも、そうですかと座りなおす訳にも行かず、畑石先生は教官室の給茶機に向かいお茶を持ってきた。
「それにしても、神園さんは意図的で、南石君は衝動的、それに丸澤さんは偶発的と三人三様ね。どれもありそうな話だけど、先生はどう思いますか」
 皆橋先生が畑石先生の運んだお茶をうまそうに飲みながら湯呑をテーブルに置いた。
「そうですね。動機から言えば、神園の可能性が一番じゃないですか。後は動機も状況も希薄に感じますね」
「なるほどそう思いますか。もしそうだとしても、これはもっと物的証拠とか調べる必要がありそうですね。結論は急がないことにしましょうか。それにしてもこの度は、品行方正、一分の隙もないような先生の意外な側面が見えて、心が和みました。ほっとしました。いえね。悪口じゃないですよ。その逆ですから」
「いやいや。本性がばれたみたいですね。アハハ」
 畑石先生は、その話を聞いて、照れ隠しに笑い声を立てた。皆橋先生は、眼鏡の奥の目が緩み、穏やかな表情で、テーブルの上から湯呑を持ち上げ残り少ない茶をすすった。

 五月のゴールデンウイークが終わった。今年も真夏のような高温の中、各地の行楽地は大入り満員で、人々はこの時ばかりと浮かれ遊びまくった。休みが終わってしばらくぶりに学校に出てきても、行楽の疲れでさっぱり学業に身が入らぬ生徒が大勢いた。何となく気の抜けたような様子でぼーっとしているのだ。
 この休みの間に、図書室の「親子像」は修理が済んで元の場所に戻っていた。折れ曲がった手はまったく元のままで、損傷の痕跡はみじんも見られなかった。この修理で分かったことがあった。それは、この像がアルミ製だったということで、ブロンズ像との通念が否定されたことだ。
「ついでだから調べてほしいと校長に言われたけど、どうしましょうか」
 皆橋先生が応接コーナーで畑石先生に困ったような顔で打ち明け、協力を求めた。
「確かに損傷事件とは関係ないですよね。だけど彫像の正体によっては、事件の重みが違うかもしれない」
「事件の重み?なるほどね。それじゃ本気で考えてみましょうか」
 弱気の皆橋先生が畑石先生の言葉を聞き、得たりとばかりに、にわか探偵に立ち戻った。
「それじゃね。とにかく学校内にある彫像関係の資料に全部当たってみましょう。先生もお願いします」
「全部ですか。そんな怖い目で見ないでください。やりますよ。やりますよ」
 探偵の俄か助手に就任した畑石助手が両手を前に出し、後ずさりをする風でおどけた。ところが、学校備品や美術品などの関連帳簿を調べてはみたものの「親子像」とはあるが購入経過や品質、特徴などの詳細は分からなかった。何らの手掛かりもなく、ブロンズとの思い込みだけで、もともとアルミの模造品かと言われそうなありさまだった。
「関連の帳簿類はほとんど見たけど、手掛かりはないわね。あれは本当の安物でないかしら」
 六月になって、大振りの雨が降り市内の河川が氾濫する騒ぎが起きた。最近の梅雨はしとしと雨ではなくてまるで熱帯みたいに土砂降りとなる。その雨を教員室の窓越しに憂鬱な顔で眺めながら、ソファーに沈んだ皆橋先生が愚痴った。
「そうだとしても、図書室に置かれたのはどうやら十二年前と分かったのは収穫じゃないですか」
 そんな皆橋先生を見て、畑石先生がことさら楽観論を述べて、気分の落ち込みを止めようとした。
「そうね。マイナスに考えている場合じゃないわね。打開策を考えなくちゃ」
 皆橋先生がそう言って、背筋を伸ばした時、美術の岡坂里奈先生が応接コーナーに来て畑石先生の隣に座った。何やら香水の香りが漂い、そこはかとなくその場の空気がなまめいた。
「皆橋先生の要請で美術品の帳簿を当たりましたが、図書室と同じ名のものはありませんでした」
「そうですか。お疲れ様。きっと図書室のものは単なる置物で美術品じゃないのでしょう」
 皆橋先生が失望の声をあげ、再びソファーに沈んだ。それを見ながら岡坂先生が帳簿点検中に気になったことを付け加えた。
「いえね。帳簿を見ていたら一つだけ妙なものがありました」
「妙なものって?」
 皆橋先生が、シャンとなって岡坂先生の口元を見つめた。外の雨は、校庭の樹木を揺らす風と共に激しく降り続けている。何か収まりのつかない不安な雰囲気が充満した。 
「ええとね。ページの一面にばってんがついてて、十三年前の六月に廃棄と記されてありました」

「えっ。廃棄?品名は何ですか」
 皆橋先生の問いに岡坂先生が思い出をたどるかのように曖昧に答えた。外の雨脚がさらに強くなった。
「品名はですね『家族のきおく』とかでした。ブロンズ像とも書いていましたね。作者は早元桔平とかでした」
「聞いたことがない名ですね」
 畑石先生が思わず口をはさんで岡坂先生の横顔を見たが、彼女はそれには答えず口を閉じた。
「十三年前に廃棄ですか。この年は東日本大震災が起きてるし、図書室の親子象は十二年前だというし、何か関連があるのかしらね」
 額に手をやって思案したと思ったら、皆橋先生はその手で眼鏡をはずし、ハンカチでレンズを拭いた。
「私、当時の美術の先生、諸川さんといいますが、知ってますので当たってみます」
「それは好都合だわ。よろしくお願いします」
 その提案に皆橋先生はあっさり応諾して、テーブルの湯吞を取り上げ冷えたお茶を飲んだ。

 それから十日ぐらい経って岡坂先生から報告があった。諸川さん本人に会って話しを訊いたけど、本人は高齢で物忘れがひどくさっぱり要領を得なかったという。古い話は知ってる部分もあったが、それは恐ろしく曖昧だった。それらをつなぎ合わせるとおぼろげな輪郭が浮かんできた。それによると、問題の彫刻はどうもこの学校を創設した仙台の古い資産家、紫崎家の貯蔵品だったことがうかがい知れた。作者の早元桔平は明治中期に活動の画家で彫刻家だが、美術界の評価はいまいちのようなのだ。
「彫刻の廃棄の話になると、妙に気持ちが高ぶったようで、諸川さんは唇を震わして、地震が、地震がと何度も繰り返していました。地震で壊れたということでしょうか」
 余り実りのない報告と意識してか、岡坂先生は、恐縮して報告した。
「岡坂先生、たいしたもんですよ。そこまで分かれば上出来です.お疲れさま」
 すかさず、皆橋先生が気持ちを察し、岡坂先生をねぎらった。
「これで終わりという訳にはいかないでしょうから、もっと調べましょう。それはね、当時の日記とかメモとか備忘録とかをみてみるのよ。岡坂先生、申し訳ないけど、もう一度、諸川さんにお願いしていただけないでしょうか。畑石先生と私は紫崎家を訪ねてみましょう」
 皆橋先生の探求心がさく裂し、即座に三人の役割を決め、ゴーサインを出した。
「えー、えっ。紫崎家ってどこにあるんですか」
 余りに急展開の話になり、畑石先生が泡を食って、戸惑いの声をあげた。
 それから一週間後の日曜日となった。この日は珍しく朝から晴れ上がり、梅雨明け前の一休みとばかりに、気温もグングン上がって、黙っていても汗ばむ陽気となった。皆橋、畑石、岡坂の三先生は朝から休み返上で、学校の図工室で、窓を開け放して、日記類の読破に精を出していた。
 須崎家も諸川さんの家でも好意的ですぐに承諾してくれてたくさんの文献が図工室に運び込まれた。とても根気のいる作業に三人は、冷たいジュースなどを飲みながら読解に没頭した。昼は出前のラーメンを食べ、休む間もなく紙面に目を走らした。とにかく重要か所、キーポイントと思われたり、その外でも気になるところは残らずタブレットに写し込んだ。そんなこんなでその日は資料の収集だけとなり、意見交換は二日後として夕方に散会した。
 その日になって、ソファーに座ると、畑石先生がバタバタと給茶機からお茶を運んできて、テーブルに置いた。
「それじゃ、畑石先生から報告していただきましょうか」
 三人がそろうと皆橋先生がお茶に手をやりながら打ち合わせを先導した。
「私が見たのは紫崎家の日記以外の文献ですが、その中に早元桔平の手記みたいなものがありました。それがこんどの件にピッタリかと思い、お話しします。遠い昔の話ですが、明治二十九年に東北太平洋岸の三陸地域に巨大地震が発生したんですね。そのメカニズムは分かりませんが、震度2~3で揺れはそれほどでもないのに大津波が襲い、人にも家屋にも甚大な被害が出たというのです。その時沿岸被災地域に開設された避難所を訪ね、早元桔平が子供たちへの紙芝居で慰問をして歩いたという記録でした」
「あら、今どきの芸能人の慰問と一緒じゃないですか」
 岡坂先生が驚きの声を発し、手を口元に持っていき目を見開いた。
「本当にね。それじゃ、岡坂先生お願いいたします」
 皆橋先生の指名に岡坂先生が口元から手を放し説明を始めた。
「諸川先生の日誌なんですけどね。やはり地震で、東日本大震災の話です。つまりは、当学校の女子生徒の話で、名前は記されていないのですが、両親が津波にさらわれ行方不明となり福島の叔父の家に引き取られることになったと記されていました。図工室の『家族のきおく』の前で泣いていたみたいですね。諸川先生はそれを見て、同情してその像を生徒に贈呈したみたいなんです。学校が了解してたかは分かりませんが」
「うーん。百年をつなぐ彫像ですか。それで皆橋先生は何かビッグなものあったんですか」
 畑石先生が岡坂先生の話に感銘を受け、待ちきれずに皆橋先生の報告をせがんだ。
「おほほ。そんなに特ダネとなるようなものはなかったわ。当時の紫崎家当主の日記には、放浪の画家、早元桔平が時々の投宿のお礼に明治三十一年の来仙の折、『家族のきおく』と被災地慰問の際使った「桃太郎の紙芝居絵」を置いていったと記録していたのを見つけたけどね。さあ。これで概要はつかめたじゃないの。細かいことは後で詰めるとして、本当にお二人さんありがとうございました。夕飯をどこかでご一緒しましょうか」
 皆橋先生が深々と頭を下げ、探索の山が越えたことを畑石、岡坂の両先生に告げた。三人の顔に安どの表情が浮かび、笑みがこぼれた。

 次の日の放課後に、生徒の丸澤八重が教員室におずおずと入ってきて、畑石先生の机に近寄った。
「先生。お話があるんですか」
「おっ。丸澤か。何ですか」
「えーと。ここでは」と八重がもじもじしているのを見て、畑石先生はすぐに彼女を応接コーナーに誘った。
「おっ。眼鏡なしだね。どうしたの」
「素顔を褒めた人、先生だけだから外したのです」
「それは、それは。ところで何の話ですか」
「はい。実は、図書室の置物の話ですが、その置物と同じものが他にあるのです」
「他にある?どこに?」
「言おうか言うまいか迷ったのですが、先生に顔を褒められたので、言う気になりました」
「本当だから褒めたんだけど、それはともかくとしてそんなにじらさないで教えてください」
 よほど言いにくい場所なのか、それともからかいにきたのかと畑石先生は思ったが、顔には出さず根気よく待った。
「親戚の家だから言いにくいんだけど、いえ、思い切って言います。私が小学校に入る前に親に連れられて福島の祖父母の家に行ったら、確か同じようなものを見たような気がするんです」
「えっ。福島ですか」
「はい。居候していたおばさんの持ち物で、何かおばさん、その前で泣いていたことがありました」
「泣いていた?おばさんってどんな人なの」
「詳しくは分かりません。お千さんとか呼ばれてました」
 子供の記憶なのでそれ以上は無理だろうと判断し、畑石先生は黙った。
「それでね、先生。この間の話だけど、図書室の置物を壊したのは絶対私だから、先生に嘘は言いません。申し訳ありませんでした」
 すると、今度は何を思ったのか、八重が置物の損壊事件を蒸し返し、深々と頭を下げた。
「分かった。そんなに頭を下げなくてもいいですよ。皆橋先生に伝えておきますから」
「きっと。きっとですよ」
 八重は、心のうちのわだかまりを全部なくし、晴れ晴れとした顔になって教員室を出ていった。

 校長室の応接コーナーで、壁側のソファーに座った皆橋、畑石、岡坂の三先生は、真向いの塩谷校長に調査結果の報告をしていた。季節は、梅雨が明け、暑い七月となり、冷たいアイスコーヒーが振舞われ、半そで姿でストローを吸いながらの和やかな雰囲気の中で会は進行した。
「今回の事件の概要はこんなものです。そもそも発端は、図書室の置物の損壊ですが、これを契機に重大な齟齬が明るみに出たのですから、考えようによっては生徒三人は功労者ともいえるのではないですか」
「おやおや。仏の皆橋先生と言われるだけあって、最初から生徒擁護の論陣を張ってきましたね。良く動機と言いますよね。悪意とも言いますか。それはともかく生徒を悪く扱う意図はありませんからご安心を。アハハ」
 塩谷校長は、豪快に笑って皆橋先生の心配を吹き飛ばした。
「おほほ。それを聞いて安心しました。さすが校長は心が広いと感心しました。それに付け加えますと、丸澤さんはその上、畑石先生にブロンズ像の行方を知らせてますから二階級特進ものです」
 最初の話で終わらず皆橋先生はさらに生徒の功労をあげ、校長にだめ押しをした。
「それに丸澤はその時、絶対に自分が壊したのだからすみませんと私に謝ったのです。悪い子じゃありません」
「そのおかげで、『家族のきおく』の行方はすぐわかったのですから、貢献度は高いと思います。ついでに申し上げますと、OBの諸川先生の行為は彫像の名に込められた作者の思いが現実に活かされた訳だし、単純に非難はできないような気がしてなりません」
 皆橋先生に次いで、畑石先生も岡坂先生もそれぞれの思いを語った。
「おやおや。チームワーク抜群ですね。皆さんの意見は最大限尊重させていただきますよ。他にありますか」
 塩谷校長がそう言うと、皆橋先生がすぐに手をあげて付け足した。
「くどいといわれそうですが、図書室の置物については、修繕店に確認したところ、損壊の起き方は、打撲によるものではなく圧迫によるものとの見立てでした。そこから言えることは、神園さんと南石さんの打撃説はあり得ず、二人のかばいあいとみられ、一つだけ丸澤さんの圧迫説が当てはまることになります。図書室の置物に限って言えばこれが結論となります。以上です」
「いやいや。名探偵かくもありなんですね。助手とのトリオもぴったりで言うことなしです。ご苦労様でした。生徒の対応については、担任の畑石先生の指導的注意にお任せしましょう。『家族のきおく』事案に関しては、法律問題もあるでしょうし、理事会に相談したいと思います。とにかく長い間、お疲れ様でした。近いうちに慰労会をすることにしましょう」
 最後に塩谷校長が晴れやかな顔で締めくくり、三人の先生は探索の任務を解かれ、校長室を後にした。



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