見出し画像

私に向き合って耳が痛いことを書いてみる

自分に向き合いはじめて

向き合い続けている日々です


嫌なところ

見たくないもの

見ないふりをしていたもの

いっぱいありました


うつになった時も思ったんだけど、

私は
“私が嫌いな私が好き”なんです

“出来ない私が好き”

ポジショニングを下に取りたいんです


上になると調子に乗るし、
限界が見えてつまらないから

自分が決めた限界を越えるほどの
労力をかけたくないから

疲れるから

だから、イキって
ポジショニングを下に取りたい

「やらないだけだし」
「実際は出来るし」

スカしたい

ダサいけど、
失敗して笑われ続けた屈辱を味わいたくない

恥ずかしい



自分は間違ってないって思うし
わかっているけど
大多数に理解されずに笑われることに疲れた

手柄を横取りされることに疲れた

最初に見つけた人がすごいはずなのに

声が大きい人が目立ってすごい
えらい

なんてくだらない世界に疲れた




目立ちたいわけじゃない

褒められたいわけじゃない

ただ、わかっては欲しい

私の努力と良さをわかってほしい





根本にある感情ってこれだと思います

自分がムキになること

感情的になってしまうこと


舐められた

バカにされた

貶された

晒された


幼少期から今までの経験がずっと蓄積されてて

何もをしてもアホらしい

結果なんて知れてる

私がする意味なんてない

私である意味なんてない

誰でも良い

何でも良い

どうでもいい





そう思うしかない

そう思わざるをえない

そう思わされている

そう思いたい自分

そう思っている自分でありたい

そう思ってる自分で良い




理由、原因なんていくつも出てきます

ただ捉え方は自分次第

選んできたのは私

選ばされてると思って選んできたのは私


私なんて

良いなあの人は

私なんて


そう思いたかった私

守られてきた私

守ってきた私





なんで
もったいない

なんて言われてきたけど

結局あなたも同じでしょ
ハシゴ外すんでしょ

ほらね

なんて

傷付いてきたのか

傷付けてきたのか

わからなくなってきた


“私が悪い”は

また自分が都合の良いように生きる言い訳だと
思ってる


大多数とは、
少し違うであろう感覚

逆の感覚で生きてた

嫌いな自分が好きだったんだなって

初めは本当に自分が嫌いだったんだと思う

死ねないってことに気付いて

自分が嫌いな自分を好きになるしかなかった

多分、本当に嫌いだったらもう生きてないから




それに気付いたら

言語化できないけど

かなしいような痛いような

でも何かスッキリしたような

不思議な感覚でした


生かされてるんじゃなくて
生きてきたんだなって

仕方なく

そんな気持ちがずっとあったし、
強かったけど、

私は生きてきたんだなって思いました


自分で亡くなった同級生

SNSに溢れる絶望の言葉たち


私も同じだと思って生きてきたけど

結局生きてる限り

自分のことが好きみたいです

家族のために生きてると思ってたけど

私は私が好きみたい


身長低いし、

太ってるし、

そこまでかわいくないし、

めっちゃ頭良いわけでも
超真面目なわけでもなくて、

良いところは特に挙げられないけど、

でも私は私が好きみたい



生きてて当たり前だろ

好きなように生きるに決まってるだろ

いつか

いつか

好きなように生きて、見返して、
図々しく生きてやるんだ


っていう

きもい反骨精神もってるなあって
思います

地球が滅亡するとしても

私は生き残りたいって

目立ちたくはないけど、

嫌な存在、邪魔な存在が消える時、
生き残るのは私だ

本物が残る時に私が残る存在でありたい


そんな

熱いのか

無謀なのか

意味がわからないのか

謎の信念を常にもってます


やることは絶対やるんだ

使命があるなら果たすんだ


ネガティブで平凡で
大したことないと思われてるとしても

なぜか常に心にあるもの


そして、なぜかそれで生きてます

形がないものを大切にする意味が
ここにあるのかもしれません


辛い時にいう言葉では、絶対にないし、
私がそう思っているというだけです

生きない選択も生きる選択も
私は善悪ないと思っています

何を思って、何を選んで、何を表現していくか

全部自分次第なんだなと感じています

そんなお話でした




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?