ドラマを見てから自分が思うこと

今、高校教師2003にまたハマっている。元々、1993の高校教師も好きで、続編なら見るぞという高校3年生な2003年だった。

18の頃、そして39の今では様々なことを考えるようになった。そして高校教師の終わり方は1993でも2003でも解釈の仕方は沢山ある。見る人だけの未来が存在する。ちなみに私は、湖賀先生は緊急オペでなんとか命は取り留めたけど、自分が誰かわからない意識の状態になり、その後1年くらい生きて、やっぱり病気で亡くなり、雛は、湖賀先生をひきずりながら、でも落ち着いたら約束守る努力しよう、でも今はひきずるよという思いを抱いて瓢湖に行くという解釈をしている。

あれから21年経過して、私が怖いと思うものごとも変化し続けた。湖賀先生みたいに、自分が死ぬことについてのとてつもない恐怖というのは小さい時はあった。死生観も決まっていない子供の頃であり、難しい言葉を理解する力もまだなく、幼稚園で絵本を通じて、天国や地獄の存在を教えるようなところだったため、死後の世界というものは親に教えられる前から、悪いことをし続けて生きれば地獄に落ちて、良い行いをし続ければ天国に行けるという、そんな安易な考えだった幼児期。小学校のときは、なんだか死ぬことが怖かった。でもその恐怖の箱の蓋を開けてみれば痛いか痛くないか、死ぬ時に苦しいのは怖いであった。

それから心が押しつぶされるような恐怖の対象は変化し続けた。
今の私が怖いと思うのは、持病が悪化したとき、たまたま違う箇所に良性腫瘍が見つかり、またこれがネット検索してもなかなか見つからないもので、でも難病ではなく、悪ければ取りましょうで、現実に治った人は沢山いる。でも文献が見つからず、経過観察していても、もし悪化したとき、この良性腫瘍が引き金となり違う症状で死んでしまうことが怖い。でも死ぬ事が怖いというより、死ぬ事が早まって、自分がしなきゃならないことをやらないで死ぬことが怖い。
はっきり言って、20代の最初の頃なんて、こんな人生早く終われば良いと思うほど悲しみとか苦しみが深かったけど、今はどうか許される限り、それにわりと長めに、しなきゃならないことをするために生きさせて欲しいと思う。

でもメンタルがやられたとき、治療日がとてつもなく怖く、睡眠時間は取れないし、とても辛い思いでメンタル治療の日を終えた日は、次の治療日が来て欲しくないと思ったし、心と腸が連動してお腹がめちゃくちゃ痛かったし、安眠できたのは30代になってからである。本当に悪夢見続けて呼吸出来なくなって起きたり、罵られる夢を見たり、寝言で大声でやめてやめて!助けて!と叫んで隣の部屋から親が飛んできたこともある。

高校教師2003を見て、まず考えたのは自分にとっての恐怖はなんだったのかについてであった。

とにかく様々な考え方があり、私の考え方を否定されたくないし、私も沢山の考え方を学びたいとも思う。湖賀先生が死の恐怖に押しつぶされるところの、湖賀先生の死生観については死後の世界などなく、若くして難病で死ぬ、生きていたいのに、死んだらみんなに忘れられ、無になると思う死生観なのかなと推測する。フィクションだし、俳優さんが架空のキャラクターを演じるわけで、野島伸司さんが湖賀先生のバックボーンを作っているため、こういう考え方もあるとフィクションの中での事としてというのは、誰か、実在の人の考え方を言っておらず、沢山の考え方のミックスでキャラクターがこういう考えというのは、人を傷つけることはあまりないのではないかとも思う。そして勉強にもなる。

18だったあの頃はわからなかったこと、考えられなかったことを想像できて私の意識も少しは大人になったろうか。でも、18で雛の気持ちがわからなかったのは、私は高3でもある種ストレスフルな世界にいて、雛みたいに親と切り離して自分のことや周りの人と解決していくという環境は憧れて見ていた。2003年の高校教師にて雛の両親は一切出ておらず、親に頼らずは憧れだった。

私だって高校生な時があったんだから、自分の意思で雛みたいに、思春期特有の親は関係ないと強い意思で生きようと思えばできたとあとから気づくのだが、生まれ育ちの環境から雛みたいにはできなかったし、やっぱり雛も架空キャラクターなんだろう。

憧れがいっぱいつまって、更に勉強にもなるし、影響も受けるけど、やっぱり、当時18の私には2003の高校教師もまた、フィクションならではのあまりなさそうなことが連発しているし、あんな世界はおそらく現実にあまり数はないのではないかと。

ドラマのフィクションの良さでもあるけど、高校時代の自分の心が弱かったことは事実だとそれだけはわかる。

支離滅裂文章すみません。

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