最近気づいたこと

私の人生、お葬式に参列した数は数え切れないほどあり、親族側とかとても家族の経験もまた多い。
ただ、私にとり家族の葬儀や親しい方々の葬儀も、不幸中の幸いは、亡くなった方々は精一杯生ききってからのことだったこと。
私の父親も若くして病死したが、致し方ない。だって病死だもん。祖父も老衰だった。祖父が亡くなった時、身内が死ぬことを痛感した。父のことは覚えてないから、長年一緒に暮らした祖父の死というのは、様々気づいたのだが、まだ気づけていなかったことがあると今年気づいた。

年明け、親しい方の親族の方がお亡くなりになり、参列させていただいた。出棺のとき、喪主様、喪主様のご兄弟が、遺影とご位牌を持たれていて、ここではたと気づいた。
私は一人っ子だから母親が亡くなる未来に、いったいどうやって遺影と位牌を持てばいいのかと思ったのである。

祖父のとき、祖母と母が遺影と位牌を持っていたような。

私も母が亡くなるときおばあさんだし、腰は悪いし、でも喪主になるし、どうなる?と思ってそのまま母に言った。
「お母さんが100とかで亡くなったら、私は75なわけでおばあさんなわけよ。腰も良くないだろうし、遺影と位牌はどうやって持てば良いと思う?」
とかなり未来なことなので言ってみた。すると、
「大丈夫!葬儀屋さんがどうにかしてくれるって!なんとかなるなる!」
と言った。

祖父が亡くなったのは2015年。9年前のことで、まだまだ私も気づいていなかったことがあったとはとそう思う。
葬儀については、はっきり言ってどこか慣れていた感じもあり、自分が色々としなきゃならないとなっても大丈夫だろうと思っていたが、それこそ15年くらい経ったら母が望むセレモニーのことをきちんと聞いて、本人の最後の儀式をしたいと思った。

人が亡くなることは非日常で、よそ様のことでもドッと疲れがくる。祖父のときも実は通夜と葬儀についてはめっちゃ疲れたのである。気持ちも非日常、身体の緊張度合いも非日常で、通夜の夜は頑張って起きていようとしてもまぶたが落ちていくというのを経験したことを覚えている。そしてある程度の日数が経過して、いつもいた人がいないことにかなりの違和感を覚えた。とにかく慣れるのに時間がかかった。

祖父が亡くなったとき、私は一人暮らしだったが、それでも5才くらいから28歳くらいまで一緒に暮らした人がいきなりいなくなるのは、実家にたまに帰っていたから違和感がすごかったことを覚えている。この違和感がストレスになるのもわかった。

そして葬儀に限らず、身体の治療やこれから歩く人生で様々なことを気づいていくのだろう。

だけど、私がおばあさんになったときの母の葬儀どうしよう問題に気づいた最近である。

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