見出し画像

学校が始まる恐怖をどう乗り越えたんだっけ?今だに8月の終わりは憂鬱だ。

今だに
8月の終わりは
憂鬱になる


なぜなら
『夏休みの終わり』を
思い出すからだ

私の中学時代は暗黒だった

日常的に
いじめがある学校に通っていた

特別体が小さかった私は
日常的に
友達からからかわれていた


「いじめ」と捉えたら
私はどうにかなってしまいそうだったので
それを「いじり」と捉えることにしていた

ひたすら笑っておちゃらけてみる。

自分が傷ついていることは
見て見ぬふりをしていた


ある日
私のグループの一人が
無視され、ハブられだし
私はグループのリーダー格の奴に
「〇〇を無視しろ。」と指示され


私はそれを拒否した。

その日から
ハブられの対象は私になった

かばった友達も一緒になり
私を無視していた


私に聞こえるように
毎日「ブス、死ね」と言ってきた。
休み時間や放課後は
トイレに呼び出しがかかる。

行ったらボコボコにされるので
私は、休み時間になると
ダッシュで、教室を飛び出し
他の教室に隠れていた


学校を休みたいけど
一度休んだらもう二度と行けなくなる

毎日必死で学校に通った

親を悲しませたくもなかった

そんなぎりぎりの状態で
学校に通っていたので
夏休みという長期の休みは
逆に地獄でしかない

休んでいる間に
妄想で恐怖は膨れ上がり
ますます学校に行くのが恐ろしくなる

それでもどうにかこうにか
『親にバレたくない』という思いだけで
我が身を奮いたたせ
学校に通った


段々と
『よく考えたらこんな人間と仲良くするくらいならハブられたほうがマシじゃね?』と開き直ることができるようになり、「こんな低俗なやつらと付き合うなら、一人のが楽じゃん」という結論にいたるようになった。

結果的に
私は最後まで学校に通うことができた


ちなみに
そのいじめのリーダーは途中から
学校に来なくなった。

詳しいことは分からないが
クラスの男子といざこざがあったらしい。

因果応報。
やったらやり返されるのだと
そのときつくづく思った。

私がそのときいじめられたのも
過去にどこかで誰かを
ひどく傷つけてしまったからかもしれない。


20年以上たったのに
私はまだ
あのときのことを
鮮明に思い出す。


❋❋❋❋❋❋❋❋❋❋❋


私は、
まだましだった。
我慢できるくらいのいじめだった。

が、

きっとそんなんじゃすまないいじめもある。
もしそんないじめになっていたら
私はどうしていただろうか。

大人になった今だから言えるのは
『逃げていい』だ。

大人がどんなに手をつくしても
改心しないいじめっ子は存在する。

もう
脳みその作りが根本からして違うのだ。
人を傷つけることに
なんの罪悪感も感じない悪魔が存在する。



普通、
山で熊に遭遇したら一目散に逃げる。
熊と話し合いする奴なんていないでしょ?
「痛いから殺さないで、見逃して。」って
言って話が通じるわけがない。

それと同じで
言葉を理解できない
獣同然の人間に
「気持ちを分かってくれ」と
話し合いをしたところで意味がない。

だから
そんなやつに遭遇したら
一目散に逃げるしかないのだ。



世界はとても広い。
学校以外のところにも
世界は広がっている。

最悪、学校に行かなくともなんとかなる。


私は
あの頃
学校が全てだった。
「行かなきゃ人生終わる」と
本気で思っていた。

今は
そんなんで人生が終わるほど
世の中は残酷ではないのだと思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?