子どもがいない人は身を削ってでも子どもがいる人を助けなければならないのか

結婚して15年以上が経つが子どもがいない。
こんな人生は想像していなかった。

子どもの頃からずっと
お嫁さんになることが夢で、
お母さんになることが夢だった。

「夢」と言うか
そうなることが当然だと思っていた。

子どもは3人。
20代のうちに産みたい。

子どもには全員大学に行ってもらいたい。
できれば留学もさせたい。

やりたいことはなんでもやらせてあげるんだ。

そう思って手に職をと公務員を選び
早いうちに結婚した。


が、
待てども待てども子が授からない。

生理が来るととても苦しかった。
友達に子どもができるたびに
心臓がぎゅうっとつぶされるようだった。


34歳を過ぎるころ
不妊治療とやらを始めることにした。

でも、仕事が忙しくて
なかなか通院することができない。

産休、育休、シングルマザーに囲まれて
全ての負担が子どものいない私の所に回ってきた。

「お母さん方は大変だから助けてやって。」
男性の上司にそう言われるたび
胸をえぐられるようだった。

「育児は大変だから、子どもいる人を助けてあげなければならない。」それは頭では分かっている。

でも、心がついていかない。

子どものいるお母さん方を
助けようとすればするほど
私がおぼれていく。

睡眠時間を削って仕事をし、
休日に出勤し
生活がめちゃくちゃになった。
同時に不妊治療ができない焦りで
心が壊れそうになる。

ストレスと、疲れで生理も不順になり、
気がおかしくなりそうだった。

このイライラをぶつけようにも
ぶつける場所がない。
お母さん方が悪いわけではないのだから。

ある日
どうしても耐えきれなくなり上司に
「不妊治療したいので、仕事の負担を軽くしてほしい。」と懇願した。

が、

周囲からは白い目で見られ
無責任だと言われた。

子どもいれば負担を軽くしてもらって当然だけど
「子ども欲しいから負担軽くしてくれ」は
「わがまま」となる。

まさしくそうなのかもしれない。

それでも

一言だけ言わせてほしい。

確かに子育てしながら仕事するのは大変だけど、
それを覚悟したうえで選択した道じゃないのか?

私は子どもいない道を選択したわけではない。
なのにそれに対してなぜ
罰を与えられなければならないのだろうか。

お母さん方の肩身の狭い思いは
注目されるが
子なしも実は結構肩身が狭い。

そしてお母さん方とは違い
それをオープンに語ることも許されていないのだ。

しかしながら
絶対に
絶対に
勘違いしてほしくないことは
これは「お母さん方が悪い」のではない。

それは断じて違う。

全ての負担を一人に押し付けて
それで丸く収まったことにしてしまう
組織が悪いのだ。

お母さんの負担を組織全体でカバーすべきだ。


実体は何も言えない誰かが
必死で耐え忍んで何とかかんとか
取り繕って
まるで何事もなかったようにしているだけなのだ

その分給料が上がるわけでもなく
助けて当然だという雰囲気が漂い
誰からも感謝されることはない


自分の家庭や人生をドブに捨てて
誰かの家庭を必死で守っているという事実に
周囲も、自分自身も気が付いていない

子育ても
仕事も
うまくやっている人に
嫉妬し、矛先を間違えた恨みを抱え
完璧になれない自分に
絶望し

そうして
35歳の私は完全に壊れた

人生が壊れても
心が壊れても
誰も償ってはくれない

自分で自分を労るしかないのだ
自分を大切にしてくれるのは
自分しかいない

私は仕事も
子供を作ることも
全てを放棄した

自分を守るために









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