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驚愕!家庭教師は紙だった!

午前中は眠気がひどく、朝、家族を送り出してから、もう一人が起きてくるまで、小説を書いたり、Twitterをさ迷ったりしているうちに、家族が起きてきて、静かな朝が荒らされた気持ちになって、それでもおはようと、言ったのに、家族はまた寝てしまった。

それもまた悔しくて、そのせいでわたしも眠ってしまった、と罪を家族になすりつける。惰眠は気持ちよい。

ようやく起きて、2人してノロノロ活動する。朝のホットサンドを温めたら焦がしてしまい、片側だけたべてもらう。たべている間小説を書く。

今日は家族の定期テストのための計画づくりを手伝うことになっていて、午前のうちに、手はずよく家事を澄ませておきたかったのだ。が、なんか、エンジンがかからないまま、昨日遅かったので、気を取り直しシャワーを浴びていると、家族が帰宅し、あわてて昼御飯を作る。

もらった、いくら醤油漬けが余っていたため、鮭のカマをほぐして、ペペロンチーノにして、いくらを最後にトッピングした。

パスタは控えめに言うて旨すぎた。宇宙一うまい、少ししょっぱいけど、うまい。

甘いものもたべたいと言うので、フルーツとカステラに、純生クリームを泡立てて、添えて、わたしのはヨーグルト多めにした。旨くないわけなくて、昨日の自分の樽のような下半身のことは忘れて、つまみ食いしてしまう。

小学生の頃から、生クリームの誘惑に、うち勝ったことがない。

ちょっと休憩、といって、職場みたいに少し小説を書いて眠ろうと思って、約二十分も寝てしまう。眠い。異常な眠気は、血糖値の過度な急上昇のためか。

年齢的な?更年期?

とにかく、つらい。

家族はつかれているようで、少し寝てしまい、その合間、夜ごはんのカレーを仕込んだり、家事の続き。

ひとり、出掛けることになり、そろそろ勉強モードになりましょねーってことで、二人でテーブルにワークだの教科書だの広げる。

 よし、やるぞ、となりテスト範囲に付箋をはったり、一緒に範囲を確認したり励ましたりした。

こんなとき、家庭教師がいたらいいなと思い、家庭教師を紙に書いてあげる。

架空の家庭教師の似顔絵と、プロフィール、男はすっきりとした一重にしてなるべくイケメンにして、女は大人しそうな感じの人と、青いインナーカラーをいれている人物にする。

楽しくなって、かなり脱線してしまう。

計画がなんとか終わって、カレーのルウを入れた。死ぬほど美味しそうにできあがる。

たぶんわたしのカレーのおいしみは、たくさんのすりおろしニンジンと、にんにく生姜。


どうしてもめんどうでさきのばしにしていた、Yodobashiカメラに夕方というか、七時近くに向かう。故障していたタブレットの受け取り。しかし、高額だからただの受け取りだけで、修理しないことになったのだ。家族はしばらく故障に落ち込んでいたけど、最近はアナログで絵を描いている。

寒いと思って外に出たため、妙な厚着で、気温と服装があっておらず不快。

途中に、家賃を振り込みを駆け込みで行う。金なし。つらいよー。
根性と創造力だけがわたしのみかた。

だけど、自由になるお金があったらなーとおもう。


地下鉄にのって、小説見直しのため、pomeraを持ってきたけど、土曜の夜の地下鉄だから、開くの躊躇して、なんとなく、ニュースとかスマホでチェック。

着飾ったり、仕事がえりだったりする人の服装を観察したりする。

急に自分の中ではおしゃれだと思っていた服装が、へんちきな感じがしてきて、居心地悪い。

夜の街中は自由さに満ちていた。


前なら、夜回りでチカホとか土曜日歩いていたのに、寂しいなーと思って、冬になったらまた参加したいなと思う。


Yodobashiのギラギラ蛍光灯のした、修理コーナに引き取り後、頼まれていた文房具を購入。


帰り道、どうしても寄りたくて、紀伊國屋書店へ。本屋は神殿のよう。

買えないから仕方なく、愛は時間がかかるをたちよみ。


写真集のコーナにあるのは前に来たときチェック済みだったから、一目散で2階にあがったのだ。



読みながら顔を上げる。


写真の本ばかり当たり前に並んでいる。


写真のことをわたしは、なんとなく雰囲気でとれると思っていたのだが(十代の頃)、写真を撮る人は、なぜ写真を撮るのだと考えるようになった二十代の終わりから、軽々しく考えるのをやめて、恐ろしくもあったからか、むやみに、写真のことを考えるのをやめていた。


写真、そこにあるものを写す。

真の姿を映す?


あるものとは、全ての現実であり歴史である。

それは、小説とはまったく別の方法であり、じゃあ小説は、なんだろうーと、考えて、棚に並んだ写真集のたたずまいや、タイトルに、勝手に苦しめられ涙が出そうになる。


うしろから若い男の声がして、わたしの前にある写真集を手に取りたいようだった。



一階に移動する。


桜木紫乃さんの、最近のサイン本が並んでいる。

カズオイシグロの娘の小説に驚き戦き、文芸雑誌のコーナーへ。


ふと、自分が書いているものを今日の午後、文藝に応募したいかなーと閃き、応募するということは、書き上げるのも勿論だけど、落ちる可能性があるということだから、ぞくぞくとする。


乗り換えが面倒なので駅前通りを歩く。



フェラーリがすごい勢いで、爆音でやってくる。

運転手の顔見えないけど、新庄剛志だったらどうしようと思う。ファンでもないのに。フェラーリに乗ってそうなイメージだからだ。


大通公園を通り越す。オータムフェスタがやっているらしい、北海道は食べ物が美味しいから、幸せだけど、催事の食べ物なんてめったに、たべられないことの方が多いから、悔しい。



若者や恋人や外国のかたと、たくさんすれ違う。


三越の前に来たとき、また例のカミナリみたいな音を出すフェラーリが、戻ってきたのか信号で止まる。


信号無視で走り出したら牽かれる、と恐ろしい気持ちで信号をわたる、


ドラッグストアで鼻炎の薬を買う。中華圏の人が大勢で、異国の言葉が飛び交う。

土曜の狸小路は若さで一杯だ。賑やかな通りを歩き、地下鉄へ。

明日は北海道マラソンらしい。

地下に潜るのがいやで、また三越のところまで戻ると、さっきのフェラーリと仲間の車が、路駐していた。

細い恐らく美女と、フェラーリを撮影しているのかドローンを繰る人が降りて楽しそうに話している。


結局のところ、恋と刺激と安心に飽き飽きした、おろかさが人を、貶めたり、戦争が起きたりするのだろうと思い、わたしには、それが二度と訪れることのない旅行先のように、遠い出来事として、確かに記憶された。
もよりの駅に降りると、すごい雨、自転車を押しながら帰宅する。


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