果てしない歌声の旅

 起床。

 昨日の夜からアレルギー症状がでて、目のかゆみがひどかったせいか、朝は目が開けられない。はれている。すでに一人は起床して、課題を広げている。洗面所にいって、鏡をみると、片目があけられず、もう片方の目はおかしなゆがみ方をしている。目が弱いのだ。しょっちゅう、目がごろごろして、どろどろしたものやらが出てくる。

 家族に、見せるためにじっとしていると、ようやく課題から目を上げてくれる。こういう、うざい期待をやめた方がいいのかな。気がついてくれて、笑ってほしい反応がほしい。道化と悲しみ、って、もしかしてわたしは、○○病(広義の抽象的な思春期特有の)かもしれなくて、それは、光栄ありがとうと御礼申し上げたい時と、あなた物事の本質わかってないっしょ、って思うときがあるから、人間の不思議さ。

 とにかく、毎日が不思議で、未知だからわたしの人生も今の一呼吸で決まる。なってしまったことは、すべて結果で、考えたことも、感じたことも、すべて反応することと一緒で、朝。

「失敗した人みたいでしょ」とわたしが言うと、「埋没ね」と家族がうすく笑って、その顔が、ああ、わたしの家族の顔だった。

 三羽のうちの小さな鳥たちが、それぞれの声でピピピとさえずる。まだ幕は掛けたままだけれど。

 中村佳穂をYouTubeで再生しながら、この日記を書いている。今日は蕎麦の金曜日なので、昼食の心配はしなくていいから、少しのんびり出来ると思って、日記を書いている。

 今、中村佳穂にわたしはすごく救われているので、これからライブやCDを購入したり、身近に感じられるようにしていきたい。

 歌は不思議で大業な感じなくて、流れるように歌っている。歌っている時の彼女が解放されているように見えるのも印象的。

 中村佳穂を知ったのも、坂口恭平のTwitterで、娘のアオさんと歌っていた「忘れっぽい天使」が、あまりに透明で、さりげなく心の中をと抜けていったから。

 歌詞を抜粋するのはとても辛い気がする。ライブの時の彼女の言葉も辛い。あまりに素直で、そのまま本質すぎて、自分の立ち位置がわからなくなるから、足下が歪んでしまうから。暗いな私。暗いけれど、光に向かうよ。って、もしかして、羽のついた虫の類かな。

 楽しかったならいいんだけど、皆様の帰り道にどうか歌がありますように

 またやろう、またあおう、それが繋がり、そのまま棺桶に入りたいよね

 歌は君に会いたいんだ

 

 

 わたしはわからない、ままならないと言いながら探し続けて、いつのまにか、諦めて、それでいいんだと快諾して、でも生きることにほかならない。

 

 手帳に 文学賞の 期限を

 家族の予定の 整理を するって 思ってたけど 日記 書いて おのれは おのれは いったいなにをしたいのか。

 朝がこんなにすてきな始まりで、光を排除した、磨り硝子ごしの光の中で、蛍光灯の下で、今日もただ生きる

 

 

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