見出し画像

2008年インド旅 ブッタガヤ編

こんにちわ

いやはや、岡山ですね。此処に居ると僕のルーツがガンガン判明してきます
僕の、オカンの運転はアイルトンセナの全盛期を髣髴させます。横に乗ってると僕の顔が引きつるのを感じます。
以前これに普通に乗っていた僕は、度胸があったのか唯単に無知だったのか恥部だったのか?

最近は、お彼岸のそれでやたらに車で連れ回されています。

次第に僕の13年間の空白が絡まった毛糸玉を解す様に脳内が閃きます。

妄想が最近酷くなってきた様に思います。インド的に酷くなってきます。
車に乗って、町を眺めているとお腹が痛くなってきます。脳が締め付けられるようです。
ついでに、沖縄に行ってきます。32歳はっちゃけています。僕は、果てして社会復帰出来るのでしょうか?

うんこインド日記スタート。

2月19日 ブッタガヤ初日

変な夢を見た。確か日本の女の子の夢だった。

目覚めはインド人のモーニングコール。時間は朝4時

係りの親父が、僕を起こしたのだ。
たぶん、僕の列車の時間から1時間前がチェックアウトの時間のようだ。

結局バラナシ駅のリタイアリングルームでは、2時間ほどしか寝れなかった。モスキートに悩まされながら。

寝不足でフラフラしながら、顔を洗い歯を磨いた。荷物をまとめて、プラットフォームに向かった。

タイムテーブルを見ると、ヒンドゥー語でしか書いていない。
トレインナンバーでプラットフォームナンバーを確認するが分からん。くそ

新聞売りのインド人が、「なに探してんの?」
僕は、「プラットフォームナンバー」って言った。
彼は「NO.9」と言い、また新聞を売り始めた。

僕は、基本的にインド人は信用していない。だから、この「NO.9」も信用していなかった。だが、タイムテーブルにもNO.9の文字が。
「うーん。どうだろう」独り言が出た。たぶん。

ヘルプデスクに聞くことにした。はじめからこうしておけば良かった。

ヘルプデスクのインド人爺は「NO.5」。ほらな。「インド人は信用すべからず。」日本の諺辞典に載せるべきだ。

ん!待てよ。確かインターネットで調べたときプラットフォームナンバーもメモしたな。って、記憶が甦る。

僕の、手帳には「NO.9」馬鹿か!もう、意味が分からん。こういう時なんだよな英語が話せればって、思う瞬間は。

一番信用出来そうな、ヘルプデスクの爺を信じプラットフォームNO.5で待つことにした。

この日も吐く息は白く、温かいチャイが一段とうまく感じ砂糖たっぷりのチャイは体を温めた。

プラットフォームを徘徊していると、寒さのあまり柱の下で蹲った日本人らしき男性が居た。

彼は、宮崎出身の大学4年生。Gさん(まあ、今後の日記の内容的にあまりね。って事でGさん)
僕は行き先を聞いた。彼も、ブッタガヤに行くとの事で、プラットフォームを聞いてみた。
列車の遅れか何かでNO.9からNO.5に変更したらしい。

あらら、新聞売りさん疑ってごめんね。

寒そうにしているので、特に会話も弾みそうにないので、僕は彼と別れまたプラットフォームを徘徊した。
彼とはこの後、ブッタガヤで1日を共に行動するのだが。。。。

インドの列車はやはり遅れる。もはや、遅れても何も感じやしない。これが、インドスタンダード。
今回は、30分遅れ。定刻かと思った。そういう感じ

列車に乗り込むと、僕の席にはインド人が座っていた。どうやら、家族で乗っているから日本人、席を移ってくれって言っているように聞こえた。

「まあ、別に構わない。僕は、ブッタガヤに着ければ良い」って、言ってみたい。ああ、えいご英語英吾

3人掛けの真ん中に座った。僕のシートは本来なら通路側。まあいい。どうって事ない。どんとうおーりー

窓際にはインド人ガキ。その前には、母親。隣には、誰だっけな?なあ、そういう感じ

列車は5時20分発で9時に到着予定。近いわな。これがインドスタンダード。

僕のシートの周りでは、隣のガキが上のシートで昼寝しだしたり、途中駅で集団で乗ってきたインド人が、カードをやりたいからって詰めてくれって。

3人掛けのシートに4人づつ座ってキツキツになったりした。このカードゲーム、しばらく眺めてたけど全然ルールが分からん。法則がまったく掴めなかった。

たぶん遅れた時間を加味したらガヤ到着時間。この、瞬間が列車移動の難点。まったく、アナウンスが無い。

減速する列車。僕は、窓から何か手がかりが無いかキョロキョロしてみた。くそ、まったく手がかりなし。
対面のインド人母が、「ガヤRailway Station」って教えてくれた。僕は、笑って「Thank You」って言った。

彼女は僕の事なんて既に見ていなかった。これが、インドスタンダード。

列車を降りると、5人ほどの日本人が降りていた。なんとなく固まって歩く日本人ご一行様。

僕は、駅で会ったGさんとブッタガヤまでの行き方を話しながら歩いた。
Bus Stopまでリクシャーで行き、バスで移動するのが1番安上がりだとの地球の歩き方情報。まずは、この方向で僕とGさんは合意した。

そんな話をしていたら、僕とGさんは集団からはぐれていた。

英語が堪能なGさんは乗り合いリクシャーとの交渉に入っていた。僕は地球の歩き方を確認した。

Gさんが言うには「こいつら、Bas Stop無くなったって言ってる」僕は、あほかと思った。絶対嘘だし。

Gさんは乗り合いリクシャーの親父と交渉して、一人40ルピーでブッタガヤまでつれってってやるって事になった。

僕は煩わさもあり、これからBas Stopまで連れてってくれる乗り合いリクシャーを探す気にもなれなかったので、合意した。

約30分の乗り合いリクシャーの移動で、僕たちは色んな事を話した。彼の就職先の事とか。バラナシで買った笛を彼は吹いた。

お世辞にも言えない位上手くは無かったが、なんかインドだって思った。運転手も、もっともっと吹いてって言ってた。
彼は、英語で運転手と何かを話していた。僕は、走るリクシャーから空を眺めた。

その空は、夏のような空だった。

実際、気温は28度ぐらいあった。徐々に南下しているのが実感できるぐらい気温が高かった。湿度が無い分居心地は良い。

たぶん、メインホテル街だと思うがそこで降ろされた。僕たちは上着を脱ぎTシャツになった。それでも、暑い。

僕は、ガイドブックに載っている「Welcome Guest House」に泊まろうと思っていた。
しかし、乗り合いリクシャーの中で今日がインドLast NightのGさんに付き合うって言っちゃった。テヘ

彼の希望で僕たちは糞重いバックパックを担いで、日本寺を目指すことにした。日本語ペラペラのおやじに出会うまで。

口から生まれたようなGさんは、口から生まれたようなインド人おやじと喋っていた。
どうやら、Gさんはお寺に泊まりたいらしい。僕は、安ければ何処でも良いって言った。

おやじに連れられてチベット寺の宿泊施設に行った。シングルルーム1泊50ルピー。この旅で最安値。日本円で約150円。シャワー&トイレは共用だが

このおやじ、後から考えるとどうやらお土産屋となんかガイド的な事をして、日本人の身に付けている物品をねだるみたいな感じだった。
どんな、職業やねん。っていま思った。

この、オヤジよく見たらユニクロのTシャツ着てやがった。日本人旅行者から貰ったって言ってた。

Gさんの部屋に入っていったおやじは暫く出てこなかった。僕は、部屋で荷物をほどきトイレに行った。

Gさんは、要らなくなった物をくれって言う親父に、日本円のコインとかをあげていた。僕にも言ってきたので、1円と5円と10円を数枚渡した。

「もっとくれ、100円とか500円が良い」って言うおやじ。ああ、インド。くそめんどくせーって思った。

おやじは、「後で菩提樹の実で出来た物をあげるからもっとクレ」って言った。僕は、納得しちゃって50円と100円を数枚渡した。
おやじは、「500円」って言ったが、「そりゃ無理だわ」って断った。後で考えればホテル代以上の出費をこの時していた。

ルピーと日本円の感覚が既に麻痺している僕。

僕たちは、早速日本寺を目指すことにした。その前に、おやじが家に来てお土産を見ていけって。Gさんは、ガンガン付いていった。

僕はちょっと、厄介な空気を感じながら写真を撮りながら後を付いていった。

ホテルの屋上におやじの家。いや、部屋があった。

おやじの部屋に入ると、奥さんがチャイを持ってきた。ブッタガヤのチャイはあまり美味しくなかった。

街によって、味の傾向が変わるチャイ。僕は、New Delhiのチャイが一番合った。次が、バラナシかな。

おやじの子供がきた。この子は、掛け値なしに可愛かった。このおやじの子供とは思えないぐらい。行く末が心配になった

おやじは、ボロボロの電池のショーケースにいっぱい入っている、自分で作ったっていうアクセサリーをベッド上に次々に出し始めた。

僕とGさんは次々に出されるお土産を、ベッドに腰掛チャイを飲みながら見た。全然つまらないアクセサリー。

僕は、なんとなく手にとって値段を聞いた。ホテル代より高い。これが示すところは、あれだよ、あれだよ、僕の直感があれだよって言ってるよ。
おやじは、もっともらしい理由を付けて僕らにお土産を売ろうとしている。僕は、まったく買う気がなかった。Gさんはそれでも見ていた。

僕は、バラナシでみた沐浴しているインド人が首に付けている銀のネックレスが気になっていた。あれば、買おうとも思っていたが。。。

ちょっと気になったのが、なにに使うのかわからない銀のストラップみたいな小物。僕は、おやじに値段を聞いたらもっそい値段を吹っ掛けて来た。

確か理由は「銀だし、チベットのお坊さんからもらった物だから」じゃあ、大切にしとけちゅーの。そんなことは、言わなかったが。

僕は、だんだん面倒になってきた。おやじの言い方が、おまえたち買わないと帰さないぞみたいになってきた事もあり、僕の言葉も汚くなってきた。

それを感じたのかどうかは分からないが、Gさんが交渉に入った。ブレスレットの紐を交換したら買うって話でまとまった。

おやじは、僕にも買え的な言い回しをしてきたが「いらんし」って普通に断った。

交渉がまとまったのにも関わらず、一向に紐を替えようとしないおやじ。「奥さんが交換するから一寸待って」馬鹿か!
彼は、夜中に一人で作っているお土産を見てくれって言った。それなのに自分では交換すら出来ない。ガンガーか!

時間は、13時。Gさんは明日にはブッタガヤを出る。つまり、今日しか観光出来ないって事だ。あーめんどうー。もー運子ちゃん達大変ね

おやじからハサミと紐を取り、僕が紐を交換した。「まじ、手先の器用さで日本人なめんじゃないよ」って、おやじに言いながら。

おやじは黙って僕を見ていた。奥さんと子供と一緒に。Gさんも手伝ってくれて、いや手伝うべきかもしれないな、5分ほどで終わった。

Gさんはいくらか支払っておやじの部屋を後にした。おやじは、僕にストラップをただで持ってけって言ったが、僕は断った。

インド人に借りを作るとろくな事にならない気がしたし、こいつらから施しを受ける日本人は駄目な気もしたし。

おやじは、僕に日本の品物で要らないものがあったらストラップと交換するから、探しといてねって言った。僕は、それなら良いよって言った。

僕たちは、観光をすることにした。おっと、その前にGさんの明日のTrein Ticketを購入するべく列車予約センターに向かった。

この頃には、さらに気温が上昇し日本の真夏日和の様だった。

ブッタガヤは、いわゆる田舎町。それも小さな小さな。たぶん人口なんて1000人ぐらいしか居ないんじゃないかなって、小さな田舎町。

ブッタが悟りを開いた、仏教的には聖地なんだけれど、インドでは一時的に仏教が無くなった時期もあるぐらい、小さな1宗教にしか過ぎない。

発祥の地だってのに可笑しいったらないよね。まあ、そんなことはどうでもよくて、列車すら走ってない、駅から10キロも離れているこの町。

今までのインドとは、一味も二味も違う。何が違うってぇ?田舎なんです。人が、インド的じゃ無いんです。
つまり、客引きも消極的。断ればすんなり引くし、サイクルリクシャーもそれほどしつこくないし、何より数が少ない。
ほのぼのしているとは言いがたいが、それに近い感じがするこの町。

僕の脳が多分スパイシーになっていたからだと思うが、なんとなく物足りなさを感じていた。もっと、ガツガツこいよ。

なんか、もっと俗俗こいよ。って、来たら来たでうっとおしいんだけど、インドとは、と言うなんかウンコ哲学的な感じ。

列車予約センターに着いた。Gさんは、なにやら揉めていた。僕は、日陰から井戸水を飲んでいる女の子を見ながら、ストレッチをした。

日陰には、インド人が二人腰をおろしていて、足を組み、なにも喋らずぼーっと中空を眺めていた。

どうやら、Gさんのチケットはウエイティングチケットで揉めていたらしい。多分だが、インドの列車は座席指定なんてあまり関係なくて、お金さえ払っていれば特に問題無さそうに思えた。

Ticketを買いに来ていた2人のインド人も「そのチケット持って乗れば大丈夫だよ、日本人」的な事をGさんに言っていたし。

時間は14時。僕たちは、強い日差しの中朝からなにも食べていないことに気づき、とりあえず遅めの昼食を食べることにした。
乗り合いリクシャーの料金を、僕がGさんの分も払っていたので、昼食はGさんのおごりで。

1軒の駄菓子屋的な、食堂があった。それは、何か昭和の匂いがした。

僕とGさんは、確かチャーメンと言う名だったと思うが、それと僕はMade in Indiaのコーラ、Gさんはビンの白い炭酸飲料を注文した。
暑い中飲むコーラはとても美味しかった。

出来上がったチャーメンはとても美味しかった。ビン詰めの口がカチカチになったケチャップをかけたら、もっと美味しくなった。

僕とGさんのテーブルに、13歳ぐらいのインド人少年が座りチャーメンのハーフを食べた。
僕が、ケチャップが中々出なくて四苦八苦していたら、彼がかけてくれた。その後、自分もかけていた。多分、早くしろって事。

Gさんは、その少年と英語で何か喋っていた。多分、なにか英語についてのレクチャー。

意外に大盛りで、お腹がいっぱいになった僕たちは、しばらくテーブルでボーっとした。

夏を思わす風が心地良かった。黄色いぼろぼろの大きなスクールバスから、子供たちが僕らを眺めていた。多分僕らは見世物。

どういう運びか忘れたが、少年とその友達と僕たちは一緒に行動することになった。たぶん、Gさんが何か言ったんじゃないと思う。

少年たちは、Gさんと英語のレクチャーをするかわりにガイドをおこなうっていったとこだったような気がするが、僕は何も話していないので忘れた。

僕たち4人は、といっても主にスタイルのいい少年とGさんなのだが、喋りながらお寺巡りをした。眉毛のつながった少年と僕は彼らの後をついて回った。

ブッタガヤには、いろんな国のお寺が建てられている。仏教の国は、この地にお寺を建てるのがひとつの、あれなのかも知れない。

その中でも、やはりタイ寺はズバ抜けていた。なんか、Gold。すごいね。もちろん、日本寺もあった。その名も「印度山日本寺」渋い。

印度山日本寺に行ったとき、何か学習発表会みたいなことをやっていた。日本寺には、やはり日本から来たお坊さんが居る。

チャリティー的な感じだろうか?幼稚園も運営しているらしい。僕の記憶が確かなら無料で受け入れている筈。

僕たち4人組みも、その集団に吸い寄せられるように見に行った。日本人大学4年生のケイタさんが居た。彼は、岡山出身。同郷だ。

しかも、ケイタさんとはブッタガヤで2回逢い、僕のインド最後の地、Munbaiでも偶然出あった。ブッタガヤとムンバイはインド亜大陸の西の果てと東の果て。距離にすると、あーめんどくせー

この旅では、本当によくあった。このシンクロニシティーは、何を示しているのだろう?

ケイタさんとは、日本寺で毎日夕方に行われる座禅で再会しましょうと約束をして別れた。

僕たち4人は、座禅まで暫く時間が余っていたので町を徘徊した。Gさんがフレッシュジュースの屋台に興味を持ち立ち止まっていた。

僕は、バラナシで仕入れた言葉を教えてあげた。それは、ザクロのことをヒンドゥー語では「アナール」と言うんだ。って

バラナシでは、日本人の女の子が美味しそうにアナールを食べていた。僕は、女の子にアナールをチョビット別けてもらって、「アナール美味しいね」って、みんなで笑った。

日本語が達者なインド人も、アナールも美味しいけどバナナも美味しいよって、みんなで笑った。下ネタは万国共通って事がわかったインドの旅は、すでに成功を収めている気がした。

Gさんは、みんなにアナールのフレッシュジュースを奢るから飲まないかって、言ったが僕は断った。
僕は飲みたいとは思わなかったアナルのフレッシュジュース。

木の台に座り、僕以外の3人はアナールのフレッシュジュースを美味しそうに飲んでいた。

Gさんが気をきかせたのか、僕にアナールのフレッシュジュースを分けてくれた。
アナールのフレッシュジュースは、あまり美味しくなかった。アナールの実を食べたほうが美味しいと思った。

Gさんが、自分のジュースを近くに寄ってきた子供にわけてあげようとした時、それは起こった。

スタイルのいい少年がダッシュで来て、子供からグラスを取り上げ自分の持っているグラスを子供に渡した。

そして、それ全部飲んでいいよって子供に言った。スタイルの良い少年は、すぐに何事も無かったかのように笑って、Gさんに話していた。

後で、Gさんに聞いた話だが、近寄ってきた子供は元不可触民と呼ばれるカースト。一昔前なら見ただけで汚れるとされていたカースト。

日本人というか、外国人旅行者は、お金を持っているからかは分からないが、かなり高いカーストとみなされるらしい。
そんな、高いカーストの飲んだものを、彼らに分け与えることは、日本人あなたが汚れることになるんだよ。って言ってたって、Gさんが教えてくれた。

どう考えるかなんて、その人次第だろうけど僕は、「僕たちはツーリストなんだから、傍観するしか無いんじゃないかな」って、インドで初めて、まともな事を言ってしまった。ちんこ
その夜は、そんなことをベッドで考えながら寝た。

座禅の時間が近くなってきたので、僕たち4人は印度山日本寺に行った。このあたりから僕の腰の調子が致命的に絶不調になってきた。

僕は、Gさんに腰の調子が悪いから申し訳ないけど、座禅が終わったらホテルに帰るって言った。それぐらいの、絶不調。

僕は、お寺の大理石の上でストレッチをしてみた。まったく、改善はしなかったがスタイルのいい少年にヨガかって聞かれた。
僕は、「ああそうだよ」って言った。あながち間違ってはいないはず。あなる

小鳥のさえずりしか聞こえないお堂。お堂の中にも小鳥が飛び交う。そんな中、座禅は始まった。

18時からの回は基本的に体験的な座禅。本番は朝6時からの回。体験では、足の組み方、姿勢などを教えてくれる。

体験して分かったが、座禅めっさ難しい。これは、もっと体験してみなくてはと思った。
足はしびれるは、集中出来ないは、こんなに何も考えないって事が難しいとは思わなかった。

お経と木魚だろうか、そのリズムが何かロックンロールのように思えた。脳みそが途中でグニャグニャしてきた。

お堂には、小鳥がたくさん入って来てさえずる。小鳥のさえずりとお経と木魚の音しかしないお堂は、時々トリップしそうになる。

足の痺れと、なにか敗北感で僕は座禅の終わった。終わった後、お堂の外で夕焼けを眺めていた。

Gさんを待ちながら。

Gさんは、日本人の男性と女性と話していた。
仏教の研究をしている男性と、鎌倉で料亭の若女将をしている女性。たまたま、知り合ったらしい。

詳しくは、聞くことが出来なかった。
Gさんは、彼らと夕食を食べたいって、僕に言ってきた。僕は、「かまわない」って言った。

ああ、ぼくが彼らに言うのか!って思ったが暫くほって置いた。
Gさんが切り出した。彼らは、快くOKしてくれた。男性を仏教さん女性を料亭さんって呼ぶことにした。僕とGさんのなかでは

仏教さんは、一寸前に1ヶ月ほどブッタガヤに滞在し仏教の研究をしていた。料亭さんは、大体僕と同じルートで3週間の旅らしい。
仏教さんと料亭さんは、多分僕より年上。

ご飯の前に、僕たちはマハボディー寺にお参りに行った。このお寺は、ブッタが悟りを開いた菩提樹がある場所に建立されたお寺。
暗くなっていたので、さらっとお参りした。明日、改めて行くから。

仏教さんのお勧めのチベット料理屋に行くことにした。座禅のおかげか僕の腰は若干回復していたから

お勧めのチベット料理屋で、僕はツゥクパってホウトウみたいなやつを食べた。日本的な味がした。

仏教さんは、フライドライスとモモっていう肉まんみたいなやつを注文していた。モモはみんなに分けてくれた。ほんと、肉まんみたいで美味しかった。

仏教さんは、甘党らしくてインドのスイーツ情報を教えてくれた。それは、こうだ。バラナシの辺りのミルクは濃厚なものが取れるからチャイとかラッシーとか美味しい。

バラナシ・ガヤ・コルカタはスイーツが有名で、1番はバラナシだそうだ。僕は、バラナシでスイーツをほぼ食べていない。くそ

この借りは、ガヤで返すぞって意気込んでみた。仏教さんは、ここのレストランのチョコレートケーキがべらぼうに旨いとしきりに言っていた。

僕が、甘党だって言ったからどうかは分からないが、仏教さんが自ら追加注文した。旨そうに食べる仏教さん。

残念ながら、僕の胃は千切れそうなぐらい一杯だった。
仏教さんが、「ちょっと食べてみる?」って、僕に言ってくれた。僕は、ちょっと食べてみた。馬鹿かって思うぐらい美味しかった。

それは、インドであまり美味しいものを食べてなかったにしても、僕の胃は千切れそうなぐらいの感じであったにもかかわらず、日本で食べるより美味しいと思った。

Gさんもちょっと食べたが、やはりおなか一杯だったらしく、チョコレートケーキを残した。それを、僕は全部食べた。
仏教さんに、「ほんま。甘いもんって別腹ですわー」っていいながら、僕たちは笑った。

夜も遅くなったので僕たちは別れた。帰りに、仏教さんお勧めのクッキーを5ルピーで買って帰った。

僕とGさんは、道に迷った。くそ。僕は、太陽が出ていれば迷わないんだ。って言い訳しながら、迷った。くそ

「野犬が怖いね。噛まれたらどうなるのかな?」って言いながら、田舎町特有の街灯のない月明かりの道を僕たちは彷徨った。

Gさんは口笛を吹き野犬を呼ぼうとしていた。あー少し面倒かもしれないって思った。

僕は、完全に役に立たなくなっていた。疲労困憊で意識が少し朦朧としてきたからだ。

食べすぎかなって思ったけど、それは気のせいだった。
早くホテルに帰りたかったが、元気一杯の興味深々Gさんはいろんな店に寄っては、いろんなインド人に話しかけ色んな物を買っていた。

僕は、少し離れたところで空を眺めた。そんな時、Gさんが不可触民の話をした、月明かりの暗い夜道で。
僕たちは、少しおセンチになった。たぶん

どうやら、道が判ったらしく。僕も、なんとなく見覚えのある道になった。
地球の歩き方によると、暗くなってからの外出は控えるようにって書いてあったのを、次の町で見つけた。あなーる

ホテルに帰り、シャワーをチェクしたがHot Waterがどうやら出ない。つか、ボイラーすらない現状。くそ

昼間はTシャツで十分だったが、夜は吐く息が白い。こんな状態でシャワーを浴びることは、アレなんですよね。

インドでは、2日ぐらいシャワーを浴びなくても特に気にならなかった。今夜もシャワーも浴びずに寝ることにした。

蚊が部屋に200匹ぐらいいたので、僕の買った香取リキッドのやつと、Gさんが買った蚊取り線香をチョビットもらい20分ぐらい、外を徘徊した。
蚊が、居なくなったのを確認してベッドに倒れこむように、歯も磨かずに寝た。たぶん、夢も見ないで寝た。

2月20日 ブッタガヤ2日目

朝5時半に目覚めた。印度山日本寺の朝の座禅を体験する為起きた。しかし、体がダルイ。昨日、頑張りすぎたからだろうか?
シャワーをチェックしてみた。一箇所ボイラーがあり何となくHot Waterが出そうな気配のシャワールームがあった。
が、しかしホースが切れていてお湯が飛び散りシャワーヘッドからは何も出てはこない。くそ
Hot showerを探し、宿泊施設内を歩き回っていたら、歯を磨いているGさんに出くわした。
僕は、「どうやらHot showerは出ないらしい」って。Gさんに言った。Gさんは、困ったなってポーズをして歯を磨いた。

歩いていたら、お腹が痛くなってきた。あの、嫌な感じの痛くなり方だった。くそくそ糞あなーーーーる
トイレに篭る事約30分。嫌な汗をかき、疲労感満載の体ではどうすることもできなそうだったので、部屋に帰り昨日買ったクッキーを食べ、ポカリを作りいっぱい飲んでベッドに潜り込んだ。

12時ごろ昨日のおやじが僕の部屋をノックした「オニーサン。オニーサン」何回もノックした。
僕は、体調が優れなかったし、面倒だったので出なかった。暫らくしたら、おやじは帰っていった。
僕は、風邪を引いたらしい。くそ、くそ。やっぱり、昨日は早くに帰っておくべきだった。ってちょっと後悔した。

この辺が一人旅の辛い所で、いくら風邪を引いて体調が悪くても、ご飯を食べないことには回復しないから、外出せざるを得ない。

僕は、唯一Hot showerの出るブースに入り、ホースを細工して何とかシャワーを浴び、洗濯をした。
この日のブッタガヤは寒かった。風邪だってのにやれやれ。

若干の厚着をして外出した。

Gさんはすでに外出していた。

僕は、重い体を引きずるように、水と食事とIntrenet Cafeを目指して歩いた。

道端でケイタさんに再会した。ケイタさんは、夕方の座禅に参加したらブッタガヤを出るって言っていた。3分ぐらい話をして僕たちは別れた。

チベット料理屋に入り、チーズパンケーキとベジタブルスープとジンジャーティーを注文した。

昼下がりの店内には、中年の韓国人らしきおばさんと、日本人らしきファットボーイが、それぞれを牽制するような距離に座っていた。

僕は、日差しが唯一差し込むテーブルに座った。ブルーのプラスチックのテーブルと、土の座席。

わらがひいてあって、その上に布が被せてあった。

僕たち3人は、テレビモニターから流れてくるインド人歌手PVのDVDを眺めた。印度の音楽はよくわからんですたい。

なぜか、ミュージカルっぽいPV。途中で、デッキが調子悪いらしく、しょっちゅうDVDは止まった。
止まるたびに店員が、電源を入れなおしていた。

チベット料理屋で食べるご飯は、基本的に僕に合うらしい。この日の、パンケーキとベジタブルスープも美味しかった。

ベジタブルスープとジンジャーティーは、僕の体を温めた。額から汗が出てきた。いい感じだ。

ちょっと気分が良くなってきたので、マハボディー寺に行くことにした。この辺りのお寺は、昼のクローズタイムが12時〜14時まである。

その間は、竹竿で封鎖され立ち入ることが出来ない。この日も、もちろんそうだ。

インドは基本的に時間にルーズ。日本の、ビザオフィスですら定時には開かない。ここは、インドの田舎。もっと、ルーズであって当たり前。

15時にマハボディーに行くと、封鎖された竹竿の周りには、人だかりが出来ていた。

どうなってんだって、インド人に聞いてみたら「有名な人が来て見学中だから、まだ封鎖されている」って、たぶん言っていた。
要するに、VIPが来てるって事らしい。やれやれ

僕はミーハーだから、誰が来てるのか判らなかったが、VIPが出てきたのと同時にざわめくインド人集団の中に入り、VIPを見てみた。

サングラスをかけた女性に群がる、パパラッチ。女性は、一般市民に手を振り握手をしていた。それに群がる、一般市民。

将棋倒しになりそうな勢い。僕の体が重くなかったら、もっとアグレッシブに行ったのに、残念。
たぶん、ムービースターとか、そんな感じだろうか?僕は、見たこともなかった。

封鎖が解かれたマハボディー寺には、レッドカーペットがまだ敷かれていた。僕は、レッドカーペットの上を歩いてみた。

何も、感じやしなかった。いつか、民衆に囲まれてレッドカーペットの上を歩く人間になりたいものです。

封鎖の解かれたばかりの、境内にはあまり人が居なかった。お坊さんはたくさん居て、オレンジ色の袈裟をきたチベットだかネパールだかのお坊さん。

僕の体調は悪かったが、この旅の目標の一つでもあった菩提樹の下で読書をしようと思ったが、座りこんだら何もする気になれなかった。

菩提樹の下は、木陰でちょっと寒かった。お坊さんが、菩提樹に向かってお祈りの準備をしていたのでそれを眺めた。

風が吹いて、菩提樹の葉が1枚落ちてきた。それを拾うインド人。額でお祈りをして懐にしまっていた。

僕もそれを見習って、風が吹くまで暫らく待った。タイの人だろうか、お寺を回りながらお祈りをしていた。

そんなときだったか、風が吹いて僕の前に菩提樹の葉が落ちてきた。僕も、額でお祈りをして、葉っぱを写真に取り、バックにしまった。

体調が、非常に不味い状態になってきた。まだ夕方だったが、ホテルに帰り横になることにした。

僕の部屋の前には、Gさんのローソクと蚊取り線香の箱が置いてあった。Gさんの部屋には鍵がかかっていた。

どうやら、Gさんはチェックアウトしたらしい。ちょっと、感動した。意外に良い人だったかもなって思った。

ベッドに横になり、PSPと本を読んだ。

眠くなったので、プロテインとビタミン剤と風邪薬を飲んで寝ることにした。
明日には、回復していることを祈りながら。

2月21日 ブッタガヤ3日目

朝5時に起きた。

日本寺の朝の座禅に参加するためだ。昨日飲んだ、風邪薬のおかげで体調は若干回復した。7割といったところか。

顔も洗わず日本寺に向けて出発した。朝5時のブッタガヤはまだ暗い。

しかも今日は朝靄が酷くて視界が異常に悪い。10メートル先すら判らない。

木の葉に付いた靄が雫となり地面に落ちる音は、まるで小雨が降っているかのようだった。

僕は、街灯もまばらな薄暗い朝靄の中を歩いた。僕の髪の毛は靄でうっすら濡れてきたから、それで寝癖を直しながら歩いた。

この日、起きたときから右足アキレス腱が痛み歩が遅い。
この、アキレス腱炎症は恐らく歩きすぎの代償だと思うが、インド滞在中ずっと悩まされた。

いまだに違和感があるが、このときは捻ったかな?ぐらいで、明日には直っているだろうって安直に考えていた。しかし、歩は遅い。

僕の、泊まっている所から日本寺までは意外に距離があり、ガイドブックに載っている地図だと端と端。

痛む右足を引きずりながら、出来るだけ早足で歩いた。おかげで、日本寺には1番のりだった。

誰も居ない朝の日本寺は、インド人従者が朝のお勤めの準備をしていた。僕は、お堂に入り座蒲を用意し足を組んで座ってみた。

朝のお堂には、小鳥の囀りと羽ばたく音しか聞こえなく何か神聖な気がした。

しばらくすると、欧米人やら日本人やらでお堂には15人ぐらい集まった。仏教さんと料亭さんの姿もあった。

朝の座禅は、何の説明も無く淡々と進められた。座禅奥が深い。まったく、集中できない。日本に帰って練習しようと思った。が、今だにやっていない。くそ。こういうところがきらいなんだぴょん

風邪気味だって、自分に言い訳の理由を付けてお堂を後にした。

料亭さんに挨拶をして。仏教さんはまだ座禅中みたいで、料亭さんが外で待っていたから。

時間は7時。このころになると外は明るかった。帰りがけ、客引きっぽいインド人とくだらない会話をしながら歩いた。

まだ、若干の靄がかかった道には、自転車を押しているインド人と、数台のサイクルリクシャー

僕は、朝食をとる為ホテル街の準備中のカフェに入った。名前は忘れたが、Welcom Gest Houseの横だった。

僕は、アメリカンブレックファーストのセットを頼んだ。50ルピーもした。僕の、1日の部屋代と一緒だった。

アメリカンブレックファーストは、ホットティーとボイルボテト&トマトの炒め物とバタートースト8枚とボイルドエッグ2個。

どんだけアメリカ人食べんねんって、突っ込みながら何とか完食。朝から腹いっぱい。げふっ

お腹一杯で、歩いてホテルを目指していたら初日に会った日本語ぺらぺらのおやじに遭遇。

約束の日本製で要らなくなった物と、チベット製の銀のストラップを交換しようって、ホテルまで付いてきた。

おやじは、ラジオを聴きながら歩いていた。

僕は、「何聞いてんの?」って、聞いたら「天気予報」だって言った。この朝靄が、いつごろ晴れるか確かめているんだって。
「いつ晴れる?」って聞いたら、「昼には晴れる」って言った。確かに、昼には晴れた。

ホテルに着き、おやじは僕の部屋の椅子に腰掛けた。僕はベッドに腰掛、要らないものをバックパックの中から探してみた。

おやじはラジオを聴きながらあれこれ喋った。
PSPを発見して、「見せてくれ」って言ったから渡した。おやじは、「これいくら?」って聞いたから「3万円」って答えた。

おやじは、「インドならバイクが買える」って言った。僕は、バイクの値段と携帯の値段を聞いた。

バイクは、中古なら3万円ぐらいで買えて、新車は5万円ぐらい。携帯は1万円ぐらいって言ってた。

おやじの携帯を見せてもらったらNOKIAだった。

僕は、軍手とTシャツをおやじに渡して、これで終わりって言った。おやじは、日本のコインを欲しがったが僕は、「ストラップは要らないからこれで終わり」って言った。

おやじは、「わかった」って言って。「約束だからこれはあげるって」僕のバックの中に、銀細工のストラップを捻じ込んだ。

いま、僕の携帯には銀のストラップが付いている。これを見るたびに、おやじを思い出すのが癪に触るが、今となってはいい思い出だ。

僕はシャワーを浴びようと、唯一Hot Waterが出たシャワーブースに入ると、ホースが致命的に切れていて電源を入れると熱湯が飛び散る有様。

僕は応急的に直そうとしたが、電気ボイラーのおかげで、ホースを触るとビリビリした。いわゆる感電。くそ。

仕方ないから電源を切り、熱湯が掛かっている元栓を締めた。「やれやれ、今日もシャワーはお預けか」

ん!んんん!閃いた!この切れたホースとトイレのホースが同じじゃないかって!僕は、痛む右足を引きずり宿泊施設内のトイレを隈なく調べた。

1箇所だけ、同じホースのトイレを発見した。僕は、素手で力の限りプラスチックのボルトをまわした。ん!取れたぴょん!

小躍りしながら、僕はHot waterのでるシャワーブースに入り、ホースを交換した。シャワーヘッドからは、暖かいお湯が出た!

「エクセレント」って、意味もわからず、僕は叫んだ

こんなに、お湯が出て嬉しい事は生まれて始めてだろう。僕の国では、お湯なんて出て当たり前。海の家だって夏なのにお湯が出る。
それだけ、お金を払っているんだが。

帰国した後、スペイン人のママが経営している、行き付けの居酒屋に行った時ママと話をした。

「海外を見てきたら、この国に生まれてきたことはラッキーだったって思わない?」って、ママは言った。

僕は、「まったくその通りだよ」って、ママに言った。ママの国、スペインはサッカーは強いし、歴史だってある国だし、芸術も盛んな国。

だけど、犯罪とか経済はあまり褒められたものではない。って、以前言っていたように記憶している。

ママも。若いころいろんな国を旅して、その旅で日本人の今のパパと結婚したって言ってた。

僕たちにも、もっと旅を経験してくれって言ってた。

僕は、インドに行って他の国も見てみたくなった。これからも、時間を作って見に行こうって思う。僕は、どうやら旅が好きになったらしい。

昼過ぎにおやじの言ってた通り、晴れてきた。僕は、荷造りをしてチェックアウトをした。お寺の宿泊施設だからか、インド人だからかは分からないがオフィスに人が誰も居ない。

僕は、途方に暮れてみた。しばらくすると、インド人女性がやってきて、チェックアウトの手続きをしてくれたが、この女性なに言ってるかまったく分からない。くそ

インド人青年がやってきて、何とかチェックアウトできたが、どうも1箔分多く支払ったような気がする。2泊3日で150ルピー。日本円で約450円。くそ

バックパックを背負い、痛む右足を引きずりながら昼食をとる為にチベット料理屋に行った。

ぼくは、同じチベット料理屋には入らなかったから、この日のチベット料理は韓国風のスパイシーな感じ。くそ。

ツゥクパはスパイシーだし、風邪だからってんで頼んだ、ジンジャーティーもやたら汗をかく。インドの紙ナプキンはすぐ破れる。
おかげで、僕の額にはたぶん紙ナプキンがついたままだった気がする。

印度では、日本のフェーマスギャグは、「そんなのかんけーねー」と、「ちょっと、ちょっとちょっと」だった。
カフェの店員と客引きは、大体言ってたしな。誰が教えてんねん!って思った。

ブッタガヤの最後は、座禅で締めようって決めていた。

ただ、一つ気がかりなのが夕方になると乗り合いリクシャーが駅に集まり、ブッタガヤ周辺にはあまり居なくなるって事だ。

座禅が終わるのが19時。なんとなく大丈夫な気がした。明日の早朝の列車だったから何とかなるってんで、日本寺目指して歩いた。

最後の座禅も結局駄目だった。ほんとに難しい。座禅。

仏教さんと料亭さんも来ていた。僕の横に座っていた、白いズボンで茶髪の日本人が居た。
この、青年とも後日コルカタで会うことのなる。この話は、後でする事にしよう。

仏教さんは、しばらく出て来そうに無かったから料亭さんにお別れを言い、仏教さんにクッキー美味しかったですって伝えてもう事にした。
僕は、歩いて乗り合いリクシャーのいそうなホテル街を目指した。

2台の乗り合いリクシャーが居て、そのうちの1台に乗った。100ルピーだった。たぶん一寸ぼられてるが。

あたりは、すでに暗くなり始めていたブッタガヤからガヤ駅までは、ほぼ真っ直ぐな道。

恐らくスピードはそんなに出ていないのだが、混沌とした交通事情の街頭すらない田舎道は、何かの恐怖を煽った。

このまま、どこか知らない街につれて行かれたって、きっとぼくはどうする事もできない。くそ

窓の無い、乗り合いリクシャーのフレームをしっかり握った僕の手は汗ばんでいた。風は寒いってのに。くそ

行きより長い時間がかかったように感じた。ガヤ駅に到着。時間は、20時。やれやれ。

僕は、バックパックを背負い駅のリタイアリングルームを目指した。駅の簡易宿泊施設。

ガヤ駅のリタイアリングルームは、意外にすんなり見つかった。だって、看板が出てるから。珍しく。

ドミトリーをチェックした。ベッドが10個ぐらい並んでいて、バラナシのそれよりチープだった。

部屋の中には、1人のインド人が寝ていた。
僕はオフィスと呼ぶには甚だ問題があるであろう部屋に入り、初老のインド人男性にドミトリーの値段を聞いた。

彼は、「ハル」って言った。ん?はる?春?ハル?僕の脳ではハルっていったい幾らなんだ?って、なんだかよく分からなくなった。

僕は、発音が悪かったのかって思い「ドミトリールーム、ハウマッチ」って、ゆっくり言った。

彼は、「フル」って言った。古、振る、降る、ふるって嫌ね。ふられるのも、もっと嫌ね。いやん、ばかぁーん。

僕の、脳の中で何かがつながり大きな声で「Full。いっぱい。満室かよ」って、彼に言った。「マジかよ」って

僕のプランはあっけなく崩れた。さあ、インド人を見習って今夜は床で寝ようかとも考えた。くそ

すると、彼がオフィスの中に来るように手招きした。僕は、言われるがまま入った。通された部屋は、オフィスの奥の部屋。

この部屋は、ドミトリー用の寝具置き場みたいだった。彼は、木箱の上に積んであったシーツやら枕をどかし始めた。

僕は、何が起こっているのかよく分からず、ただただ彼の一挙手一投足を眺めた。

しばらく眺めていたら、木箱の上に薄いブランケットとシーツを敷いて、枕を置いたらベットになっていた。

彼は、それを指差し「ここに泊まるか?」って、聞いてきた。僕は、即答で笑いながら「OK」と言った。

もっそい面白い状況に僕は満足した。

ああ、値段を聞くのを忘れたって「いくら?」って聞いたら、彼はその質問には答えず、使いさしの蚊取り線香を取り出し「これはサービス」って、火を付けた。
僕は、もう一度「ここ幾ら?」って。、聞いた。彼は「100ルピー」って笑っていった。僕は、笑って「OK」って言っって親指を立てた。

気の箱に寝転がってみると、天井が高かった。印度の寝室には必ず天井扇がついている。この部屋。もとい、この物置にも付いていた。

天井には、数百のモスキートが漂っていた。くそ。
僕は、Gさんに貰った蚊取り線香を取り出し、火をつけてペプシの空き瓶の上にのせた。

蚊が居なくなるまで、夕飯と日用品の買いものに出かけることにした。

まずは腹ごしらえって事で、Platformにあるレストランに入った。
足を引きずったインド人爺が僕のテーブルにやってきて、「Veg.Nonveg」って聞いてきた。

あー、ここターリーしか出さないって事だ。僕のお腹は風邪の為、インド的スパイシー料理に恐怖感満載だった。

僕は、「あー御免」って、言いながら出て行った。爺は「なぜ出て行く」って言ってたけど、僕は何も言わず出て行った。

さて困った、夜の街にあまり出て行かないようにしていたのに、この状況じゃ出て行くしかないじゃないか。くそーうんこ

とりあえず、駅前の通りを見ることにした。ガヤの駅前は意外に賑わっている。

僕はカフェを探したが、どうやらこの駅前にはターリー的な安食堂しか無かった。つまり、スパイシー。くそ
僕は、あきらめてスイーツショップで6個ほど甘いやつを買い。駄菓子屋でペプシとクッキーを2袋買った。

帰ると、オフィスには鍵が掛かっていた。すぐに、爺が開けてくれた。なんか、門番つきのホテルに泊まっている錯覚には、陥らなかったが。

早速、ブッタガヤ最後の晩餐。スイーツとクラッカー的なクッキーをペプシで胃に流し込んだ。食べ合わせは、最悪だった。

クラッカーを半分食べて。ベッドに横になった。することも無かったので、バラナシで買ったブランケットを掛けて寝た。

この個室、意外に熟睡できた。たぶん、この日は夢さえ見なかった夜。列車の音と、インフォメーションの声が聞こえる中で。

コルカタ編に続く

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?