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第三十五話 深渓

もくじ

 それほど歩くことなく、足場の良さそうな場所を見つけた。川面にも適度に変化がついていて、まずまずのポイントと言えそうだ。

 小さく開けた砂地まで行くと、サシを入れるための穴を掘る。身を屈めた拍子に、カレーの匂いのゲップが出た。「アルカディア」 のメニューに書いてあったところによれば、カレーの米は棚田米を使っているらしい。傾斜地で採れる作物は、一般的に味が良いとされる。寒暖差の大きさが糖度に影響するのだとか。真一が食べた米も、確かに粘り気があって旨味が強い気がした。猫の額みたいな畑で採れる野菜も、きっとおいしいのだろう。土産物屋がやっていれば、何か買って帰りたかったが残念だ。

 サシを針につける。ウキ下は、とりあえずいじらない。

 川面と向き合って、白く泡立つ落ち込みを狙って竿を振り出す。目標から少し逸れて着水した仕掛けは、滞留気味に水面を漂って、すぐに速い流れに乗った。目の前を横切っていく赤い玉ウキを、注意深く見守る。ウキに変わった動きはない。複雑に揺れているのは水流のせいだ。道糸が伸び切ったところで、手首を返して竿を上げる。こうして最後に軽くアワセを入れてやると、エサを追ってきた魚が針がかりすることがある。

 だが、回収した仕掛けに、魚はついていなかった。

 ウキ下を調整して、二投目を投入するもアタリは来ず。三投目、四投目も同じで、その間、川下でマサカズの、釣れた、という声が上がった。

 ここはあまりいいポイントではないのかもしれない。

 それでも五投目を投じると、ようやくウキが反応した。流れの緩やかな場所で一度大きくピクンと跳ねたあと、持続的にピクピク動いている。ただ、ウキが小刻みに動くだけでは、魚はエサをつついているだけのことが多い。竿を上げず、食ってくるのを待つ。

 大きな岩や石が目立つ渓谷だ。S字を描く川筋の突き当たりを見上げれば、空を貫く巨大な岩峰がそそり立つ。一見すると、ヤマメやイワナが生息していそうな景観だが、実際に釣れてくるのは中流域の魚。子供の頃遊んだ野川は、もっと開けた場所を流れていたので、同じ魚が釣れてくることは奇妙な感じがする。

 結局、五投目も食ってこなかった。

 ようやくウキが消し込み、ブルブルッと小気味よい手応えを味わうことができたのは、八投目か九投目のことだった。

 しかし、釣れ過ぎて手返しが忙しくなってしまうことも望んでいない。ゆったり竿を構えて、たまに魚信があるくらいのペースが、今の気分に合っている。

 釣った魚を水に放し、今度はやや深い場所に仕掛けを投げた。ポイントを替えれば違う魚が釣れるかもしれない。

 谷を渡る風は冷たく、川上側の頬がピリピリして少し痛い。この風が心地よく感じられるようになるのは、五月の連休くらいからだろうか。ちょうど新緑がきれいな時期だ。

 清冽な水の流れに、その頃の様子を想像してみる。

 初夏の陽射しが若葉を透かし、谷底の空気までぼんやり緑色に輝いて見える……そんな環境で竿を振り出すことができたら、格別のひとときになるに違いない。

 アタリが来て竿を上げる。水面から飛び出したのはアブラハヤ。体の側面に入った黒い帯が特徴だ (帯がはっきりしない個体もいる)。針を外して放してやると、浅瀬を素早く泳ぎ去っていった。

 エサをつけ替え、また仕掛けを投じる。

 右手の岩陰の水は恐ろしく澄んでいる。雨が多いこの時期、川の汚れはすぐに浄化されてしまうのだろう。水晶玉みたいに透き通った止水の底で、青白いサワガニがじっと石に身を寄せている。仄暗い谷間の空間と同じ色。薄闇に消え入りそうな儚げな色だ。以前、居酒屋でこれの素揚げを食べたことがあるが、香ばしくてとてもおいしかった。ただ、青白いタイプより、赤いタイプのほうが味は良いらしい。

 日没が近づいて、カジカガエルの鳴き交わす声がますます盛んになった。

 万葉集に登場する 「かはづ」 はこのカジカガエルのこと。

 深渓に響く美声に聞き入っていると、いつしか心は物語の世界へ入り込んでいく――

 山水 臨むに随つて賞す
 巌谿 望みを逐つて新たなり
 朝に看る 峯を渡る翼
 夕に翫ぶ 潭に踊る鱗
 放曠として 幽趣多く
 超然として 俗塵少し
 心を佳野の域に栖ましめて
 美稲の津に尋ね問ふ

 山水の風景を歩み行くままに賞し
 岩のそそり立つ渓谷は一足ごとに趣きが変わる
 朝に峰を越えてゆく鳥をみ
 夕には淵に遊ぶ魚と親しむ
 のびのびと奥深い景を楽しみ
 超然とした心には世の煩わしさがない
 心をこの吉野の地におき
 美稲が梁を仕掛けた場所を尋ねてみた

 日本最古の漢詩集 「懐風藻」 に収められている一首だ。吉野に伝わる伝説 「柘枝伝」 が詠み込まれている。「柘枝伝」 の原文は残念ながら現存していないが、話のあらましは次のようなものと推察される。

 昔、美稲という男が、川に梁を仕掛けて漁をしていた。そこへ上流から柘 (山桑) の枝が流れてきて、梁に引っかかった。美稲が拾い上げると、枝はたちまち美しい女に変わった。女の名を柘枝仙媛という。二人は見初め合って仲良く暮らした。しかし、何らかの事情があって、後に女 (あるいは両者) は天に帰っていった。

参考 懐風藻 訳 江口孝夫 講談社学術文庫


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