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短編小説 「チョコレートと納豆」

空はなぜ青いのだろう?
雲はなぜ流れるのだろう?
この時期の水はなぜ冷たいのかしら?

自然には当たり前だけれど、なぜかしらと思うことがいっぱいです。

人間にもなぜかしらと思うことありますよね
そんな思いを綴りたいと思います。

2つ離れた姉がいます。
名は由美子と言います。
幼い頃からキャッキャとよく話す自分とは対照的に
あ〜、う〜しか話せませんでした。
それは、今でも、親の脳裏にインプットされていて
全く由美子はいい年して、なんでいつもああなのかしらね、と言う声が聞こえます。

末っ子というのは、上を見てどうすれば、自分がおいしい思いができるのかどうすればヘマをするのか、皮膚感覚で学んでしまうもの。

そんなものもあり、おいしい思いをしてきました。

中学生の頃には私だけ羽毛ぶとんを買ってもらいました。

「ずるい、なんで陽子だけ」
と言われましたが、私にとっては当たり前の感覚でした。

甘い汁はどんどんエスカレートし
勉強と努力嫌いな私は、馬鹿でも入れる私立に進学し、これといった人生の苦節を味わうことなく過ごしました。

社会人になるまでは

就職した会社は、超ブラック企業
ノルマの世界
罵倒は当たり前。
そこで、上下関係、礼儀作法全てを学びました。
でも、幼い頃からの夢で、どうしてもやりたかった仕事なので
踏ん張り、何とか親、親戚に頼ることなく、細々と成績を残すことができました。
そして20代半ばで店長を任されることになりました。

女姉妹というのは喧嘩もよくするけれど
仲は良いもの
カラオケに行くこともありました
その時に、姉が歌った曲は
大黒摩季の「あぁ」

ああ〜君のように輝いていたい〜

このフレーズが妙に響きました。

あれから姉も結婚し、子供も生まれ
不運なことに旦那さんは事故で亡くなりました。
突然シングルマザーになった姉は親を頼る以外に方法はありませんでした。

姉の姿に気がついたのは
祖母の葬式の時でした。
奥で寝ていた姉の子が突然泣き出しました。
母親はとっさ的に、ぱっと駆け寄るものなのだと思いますが
瞬間的にぱっと見たのは私の顔でした。
その時に悟ったのです。

その後、私も結婚し慌ただしくしていて、姉の事は忘れていましたが
親の話によると
いまだに派遣労働を繰り返しているとのことです。

姉の子、いわゆる私の姪もすっかり成長し、名の知れた大学を卒業しました。
母親に頼る以前に私の両親を頼ります。

若さと美貌は、年齢を増すごとに枯れてくるもの
それが自然な状態だと思いますが
生きる力、能力は年齢とともに増してくるもの
もともとその力のない者はどう生きれば良いのだろう
母にこぼす姉は
「もう私は何のために生きてるのかわからない」

母は姉を見ていて、もう哀れだといいます。

私はもう自分で欲しいものは買えますし
いい年して、年老いた親に頼るつもりはありません

姉はよく親に怒られると泣きわめきます。
その鳴き声もまるで馬のような鳴き声でした。

何一つ取り柄がない?

幼い頃から習っていたクラシックバレエは生まれつき足が強いのか
運動神経が良いのか
他の生徒さんより頭角を現していました。
私も見ていて飽きなかったと思います
あのまま続けていれば、プロにはなれなかったかもしれませんが
もしかしたらお教室は開けていたかもしれません

今度、姉に会ったとしたら
何を言おう
どんな言葉をかけよう
親はびっくりするかもしれない
ショックを受けるかもしれない

この世の中に姉のような人間はもっともっといるのかもしれない。

ふとベランダの洗濯物をしまいながら、ふぅ〜と漂ってきた香りがチョコレートかな
と思ったら、なんと夫の食べていた納豆でした。
香りがとても良く似ていたんですよね。

                  おわり

         

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