見出し画像

看取りから学ぶ②

↑ レースフラワーの花言葉は「感謝」
ほかに「可憐な恋」「繊細」「ほのかな思い」

生きること、命を全うすること

母の最期を看取ることで
多くを学ぶことができました。
母に感謝です。


母は入院するなり「余命3週間」と宣告されました。
(上のリンクに詳しく書きました)

最後の2週間は、
意識もなく、それでもただひたすら
「生きる」ことに拘っていたように思います。

それは、
新しい環境、新しい人、新しいことを始めるのを
とても心配で不安になってしまう母だから
「生きたい」気持ちはもちろんあったにせよ、
それ以上に

「生きる」以外の道へ進むことが
とても恐怖だったのかもしれません。


母と娘は不思議なもので
気持ちや言いたいこと、本音など
よくもわるくも、わかってしまうんですよね。


告知のタイミング

母が入院してすぐ、地方へ住む弟に連絡しました。

弟は嫁の実家近くで暮らす、いわばマスオさん。
こちらで私と暮らしている母とは、
物理的に「遠い」ことを理由に疎遠でした。

弟は、
30年以上前の母の若いときしか知らないです。

今の年老いた母は、不安と心配で
すぐ頭がいっぱいになってしまい
我がままな母のことは、何一つ知らず…

87才の母の、そんな性格や心情も知らず、
「胃がん末期で余命3週間」ということを
「告知したほうがいい」と言います。

弟の言い分としては
「残り少ないなら、やり残したことをやっておきたい」
と思うはず。
俺ならそうしてほしい。…と。

弟の年齢や家族環境なら、それも充分わかります。
私も今なら、告知してほしい、とそう思えます。

ただ、誰もが
「余命宣告と告知」を必要としている訳じゃなく
耐えられる状況かどうか、年齢や性格などみんな違うので
一概に言えないいことですし、

そもそも87才の母に、
「入院したら足が弱って歩けなくなった」と
自分でトイレに行きたい、と嘆いている母に
あと3週間の命、と誰が言えるでしょうか。

今の状況で母には絶対に言わないでほしい、と
弟は、渋々納得しました。

結果、
入院当初には伝えなかった「告知と余命宣告」は
3週間が過ぎ、4週間目に入って
母の頭の中が静かになり、
眠っている状態で落ち着いている母に
私から伝えました。


母は、母なりに
今の状況を受け止め、納得でき、
だからこそ落ち着いて「死」を受け止められた、と
私は確信できました。


お昼過ぎ、静かに母に伝えてから
少しずつ呼吸が小さくなり
夕方、静かに息を引き取りました。


もしあの時、
あのタイミングで伝えていなければ
私はこの先ずっと後悔したと思います。

弟の言うように
入院早々、母に伝えていたら
もっと早く母が壊れてしまったかもしれません。


私は、これからの自分の人生のためにも
後悔することなく、精一杯やりきろうと必死でした。

突き動かされていた原動力は、
母への恩返しだったかもしれません。


葬儀会社の選択

弟と告知の話しをしつつも
私は精力的に葬儀会社を何社か回り、
場所の確認と、見積りを集めていました。

遠い先の話しではなく
確実にやってくる葬儀の段取り。


その中で、ある葬儀社の女性は
とても親身に相談に乗ってくださり
ほんとうに心強かったです。

この先、どのような出来事が起こるのか
まったく想像できない私に
一つ一つ丁寧におしえてくださり
私の気持ちに寄り添ってくれるようで
有難かったです。


余談ですが…

生まれたての赤ちゃんは
生きるために、
泣くことで思いっきり息を吐く。

命が尽きる時は、力が尽きる時。
息を吐けなくなり、
息を吸った状態で
つまり息を引き取ることになる。


こう教えてくれたのは
看護師さんでした。

母が亡くなる最期の3日間は
ずっと泊まり込みでした。
母とは意識もなく会話もできないのですが

看護師さんにあれこれ質問すると
丁寧に答えてくれたのでメモってあります。

その中である年配の看護師さんが
「息を引き取る」の意味を教えてくれました。

知らないことばかりでしたが
母の看取りから
たくさんの学びがあり、

母は最期に、
「生きること」と、命の尊さ、
そして、親のありがたさを
身をもって教えてくれたことと
有難く受け取ります。


長くなりましたので
続きはまた次回にします。



次回はお墓と21日に纏わるお話しをしようと思います。

最後までお読みいただき
ありがとうございました。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?