老化に抗う「挑戦すること」
ある程度の年齢になると歳をとることに漠然とした不安を抱えるのはなぜか。
身体が衰えるからか。
成長が止まるからか。
抱える責任や荷物が増えるからか。
残され時間を感じるからか。
無限の可能性を感じなくなるからか。
そんなことを考えると、Mr.Childrenの「GIFT」を思い出す。
いい歌詞です。
でも、本題はここではない。
不安を抱える要素はどれも間違ってはいないと思う。
お金はないけれども無限の可能性を感じていた20代
時間の価値もわからず、好きなように持てる時間を使っていた。
志と呼べるような芯の通った考えは無く、複利的に成長できるような自己投資も、意識してやったことはない。
30代後半になり、社会で成長、活躍している人たちが年下に多くなっているように感じ始める。そうゆう人が目立つ。
同世代のスポーツ選手が引退していく切なさ。
何かやるには遅いような気がしてくる。
今の自分に満足はしていないが、今更変われるとも思えない。
焦って何かやろうにも、すぐに結果を得ようとする。
何事にも時間をかける余裕がなくなる。
「論語」の中に「志」と「天命」の考え方があって、若いうちは、高い志を持ち、学び得たものに確信が持てるよう努力する。
経験を積んで、自分がわかってきた時、自分に蓄積されたものを最大限に利用し、天命を全うしようと考える。
まさに!と感じる。成熟期以降は、成長というよりは、天命の全う・・・。
今自分は天命を知っているのか。いや、知らない。
それまでは、もう少し時間があるのかもしれないけど、努力無くして天命は知り得ない。
一体どうすればいいのか。
私は「挑戦することをやめない」だと思っている。
とはいえ挑戦には適齢期というものがあり、今からサッカー選手にはなれないし、数学者にもなれないのは知っている。
しかし、本気で結果を追い求め挑戦し続ければ成功するものもある。挑戦する場所を考えるべきである。
その姿勢から得られる自分がいる。
挑戦する自分、結果を出す自分、成長できる自分、諦めない自分、律する自分
そんな自分を素直に認めたい。
このまま他人の成長や成功を素直に喜べなくなるのも嫌だし、比べてしまうのも嫌だ。
自分らしくなんて言っておきながら、本当は何もしていないのではないか。
何もしていない自分に目を瞑っているのではないか。
だったら、この瞬間から自分を変えて(挑戦して)みようではないか。
なぜ、少し熱くなってしまったのだろう。
そんな日もあるか。
今日もいい1日です。
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