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誰かに認められたいうちは、誰にも認められない。

誰かに認められたいと思っているうちは、自分を圧倒できていない。

これはどうなんだろう。
本来欲求として承認欲求はあるが、自分で自分を認めてさえあげれば満たされる部分も確かにあると感じる。
ということは、それを一つの指標に自分はどこまで積み上げることができているか判断できる。

私の中では、自分が頑張っていると他人に認められたいと思っているうちは、まだ足りていない。
その領域から一歩抜け出せば、努力が当たり前になる。誰からも認められなくても、デフォルトで習慣化できる。
それが結果的に側から見れば評価に値するレベルになる。

そう。自分の中では当たり前で、誰かに気づいてほしい・・・努力している自分を・・・と期待している段階で認められることを期待してはならない。自分のためにならない。

ある意味「他人の評価」という見返りを努力する糧にしていては、自分の影響力で操作できる領域から外れてしまっている。要は人に影響されてしまう。
評価されているのが、結果ならまだいいけど、頑張っている姿勢や行動であれば、何の意味も持たない。
戒めのためにも残すが、所詮結果が全てだ。

集団社会の一員として「魅せる」行動や態度はあってもいいけど、それとは目的が違う。

自分を成長させるためには、人と比べず、評価を求めず、真摯に自分と向き合うこと、その向き合い方の精度が大切になってっくる。

私もまだまだ未熟で、周りと比べたら頑張っている方だよな・・・とか思ってしまうこともある。その時にハッとする。自分はまだ何も得られていないし、結果も伴っていない。それなのに認められたいだなんて虫が良すぎる。

そんなことを思ったときに、自分の中では当たり前のことだけど人から評価されることもあると気づく。
例えば、日課の読書やランニング、食事に対する考え方や体重コントロールについては、それなりに自制心を持って続けているので、その内容を話したときは驚く人も中にはいる。
私にとっては日常で当たり前のこと。別に自慢にもならない。でも、この感覚だなと思う。

自分を成長させたいならこの領域に踏み入ることが努力の積み上げであり、大きな成果につながる。

ここまでの話は当たり前のことかもしれないけど、こうして頭の中で整理してみると自分でも努力がしやすいなと感じる少し雨降りの朝からスタートです!

今日もいい1日です。

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