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定期試験は生徒も先生もたいへん〜復習のまとめどり〜

中学校に入ると、定期試験(中間テスト・期末テスト)がある。
私はこの定期試験というものがとても苦痛だった。


理由その1 復習のまとめどり

ふだんの授業では、分からないことや疑問に感じることがあれば、先生に尋ねたり、友達と話し合ったり、自分で調べてみたり、そんなことが同時並行で行える。
面白いと思ったことをとことん考えることができて、大好きだった。
でも、定期テストでは授業でやったことや教科書に書いてあることについて、記憶を確認することが中心だった。
そのために他の友達は、テスト期間に入ると集中して勉強を始めるのだが、私は違った。
親からも「テスト期間なのに勉強しないね」とよく言われていた。

ふだんの授業で疑問に思っていることは調べたり聞くようにしていたし、教科書の内容も前日までに(もしくは前回の授業後すぐに)ざっと目を通して予習していた。
復習は「記憶を定着させるため」ではなく、「理解をより深めるため」にやっていたと思う。

新しいことや知らないことを学ぶのはとっても興味があったが、一度やったことを復習(精度を上げるため?)することには新たな発見もなく、そのために勉強する意義を感じなかった。

唯一違ったのは、中学のときの数学。
これは先生が授業で教えていないレベルの問題を必ず最後に出題する(配点はとても少ない)ので、それを解くのが楽しみだった。
テスト中に解けなくても、後でヒントをもらって友達と考えたりするのが楽しかった。

理由その2 友達との点数勝負

ふだんの授業では、
・授業中に早く解けた!
・早く完成した!

みたいに順番がつくことはあるけれど、共通のゴールを目指してお互いで協力しながら進めることができる。

でも、定期試験になるとその友達から
・理科の点数でお前に勝った!(負けた!)
とかそんなことを言われる。
ライバル視されることは嫌ではないけど、なんか切ない感じがした。

一緒に問題を解決していくのが楽しかったのだけど、テストが終わると急に仲間じゃなくなる感じがして嫌だった。

自分で理解度を確認することが本質で、他人との点数勝負はおまけみたいなものだと思うけど、順番が逆になっている気がする。

理由その3 評価のためのテスト(先生目線) 

今では、中学校や高校でも観点別学習状況の評価(観点別評価)が取り入れられている。

  • 知識、技能

  • 思考、判断、表現

  • 主体的に学習に取り組む態度

これらを総合的に判断して、学習成績がつけられる。
(特に高校で)以前は定期試験の得点を中心に学習成績がつけられているが、最近ではふだんの授業における取り組み状況を重点的に見るようになった。

けれども、実際には50分の授業ですべての生徒の学習状況を見たり、毎回提出物を集めて分析したり、といったことは難しくなっている。
その難しいことに挑戦しようとしているので、よけいに無理が重なるが…。
結果的に、定期試験でのウエイトが大きくなることがある。
もちろん、問題を工夫するなどしますが、それにも限度はある気がする。

私自身の感覚ですが、観点別評価に早くから取り組んでいた小学校ではうまく導入できていると思う。
テストの点数にこだわるのではなく、普段の学習活動を中心においた指導方針というのも大きいかもしれない。
中学や高校だとその後の受験につながることもあり、先生方を苦しめる要素にもなっている。
小学校でも時々問題になる「学力テスト」も、地域差や学校差を得点で図る、ことにつながっている。

定期試験で出る点数にどのような意味と価値があるのだろうか。

もっと知りたい、勉強したい、楽しみたい

学習評価の目的が

本来の学習評価の目的は、
「できた、できなかった」「考えた、考えられなかった」
という結果中心に行うものではなく、
「学習や指導の改善につなげる」
というプロセス中心に行うもの。

授業と定期試験が相互にリンクして、つながっていて初めて正しい学習評価になっていくのではないかな。
目的と異なる形になっている定期試験であれば、変えてみてはどうだろう。

定期試験よりも単元テストの再テスト制

一夜漬けより、学習の継続性を高めるためには、単元テストの方が向いていると思う。
早めにケアすることで、自分で気づかなかったつまづきなども認識することができる。
このあたりは私の意見よりも工藤先生の意見がきちんとまとまっているので、ぜひ参考にされるとよいです。

とくに子どもたちの学習意欲を掻き立てる効果が高いのが単元テストの再テスト制です。テストを受けるかどうかは完全に任意で、再テストを受けたら2回目の点数が成績になる仕組みになっています。すると子どもたちの頭のなかで何が起きるかいうと、クラスメイトに勝つか負けるかの発想から、1回目のテストを受けた自分に勝ちたいと発想が変わるのです。
1回目が不本意な結果だと自分の課題を解決しようという意思が働き、わからないものをわかるようにするためにはどうしたらいいかといろいろ考え、友達に聞いたり、インターネットで調べたり、教員に聞いたり、図書館に行ったりと自分なりに試行錯誤をはじめます。もちろんその間、教員からこれをしろ、あれをしろの指示は一切ありません。

テスト直前の一夜漬けをやめさせるため、敏腕校長が打ち出した意外な作戦
https://president.jp/articles/-/46411

このことは、親から学校の先生へ提案する、というよりも、親自身が家での関わりの中でできることを考えていく、と受け止めた方がよいです。
あるいは、親同士のコミュニケーションの中で話題にしてもいいかも。

もし「先生と向き合う」のではなく、「先生と協働して考える」ことができているのであれば、大丈夫です。
子どもたちのために、学校や保護者(あと地域も)で一緒になって考えて行動していけたらいいですね。
工藤先生だけでなく、学校の先生にもいろいろと考えておられる方もたくさんおられますよ。
以下の本は、おすすめです!

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