えらい、なんて
昨日の記事で鬱病を再発してしまったとき、
やばいなと思ってから配置替えをしてもらうまで少しの時間がかかった
半年近く前から会社でもここでは無理ですとお願いをしていたけれど、大きい組織なので配置替えに対する会社の腰は重く、なかなか聞き入れてもらえなかった。
藁にもすがる思いで先輩に相談したことがあった
「みんな我慢して頑張ってるんだよ、もっと頑張って欲しい」
最後の藁を、目の前でブチッと切られた気がした。
あ、私はがんばれてなかったんだ。努力、足りてなかったんだ。なのに辛いとか言ってたんだ。
死にたくはないけれど、「生きる」を続けるのしんどすぎる。
どん底のタイミングで、生きているだけでえらいなんて言葉が浮かぶ
なんの生産性もない、誰の役にも立ってない。努力が足りていない私に生きる価値はない。そう思っていたから、「生きてるだけでえらい」なんて簡単には飲み込めなくて、受け入れられなかった
だいぶ落ち着いた今なら素直に受け取れる。
偉いって言葉は何かをしてこそ他人から認められる言葉だけれども、
周りが褒めてくれない小さなことも自分だけは褒めてあげよう
よくやった、よくやってる。
人生は短距離走じゃない、この長距離走を自分のペースで自分の距離を走り抜くには必要なことだ