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支流が本流に流れ込むがごとく

野放図に枝葉を伸ばしていた大木が枝払いをして本来伸びるべき方向に幹を伸ばし、枝葉を広げるかのように、ここ数年やりたいようにやってきた色々なことが自然と取捨選択されて進むべき道へと収斂されてきた。
こういう時って、あらゆることがシンクロとなってメッセージを届けてくれる。めったに見なかった虹を立て続けに目撃したり、閉め切った家の中になぜかハチが飛んでいたり(それも3回も! しかもオオスズメバチー!)、数年ぶりに復活したという大きなお祭りに2週続けて足を運ぶことになったり、神さまがメッセージを送っているとしか思えないような流れの中で、わたしが長らく彷徨っていた自分の道が、霧が晴れるようにスッと見えてきた。

それは結局、ずっとやってきたことでもあるのだけれど、どこかでかすかに感じていた小さな違和感が消えて、自分との一致感が半端ない。
自然と涙があふれてしまう景色や歌や建物と自分の中の思いの共通点が見つかって、そのことにまた涙する。本当に美しくて、貴くて、魂が震える静けさを感じるものたちが、ひと筋の光の中にスッと整列して、私がそこを通るのを待ってくれている。
それは、折に触れて紹介する勤務校の創立の精神「生命の貴さを自覚し、明日の社会を築くよろこびを人々とともにしよう」という言葉そのものだった。
日本に脈々と受け継がれてきた文化、伝統、精神を受け継ぎながら、これからの時代に大切な思いを人々と共有して進んでいく。そのために自分ができること。美しさと静けさ、それを感じられる心を育むこと。日本という国の美しさを次世代に、さらにその次の世代に残すこと。残したいと思う国を創ること。
「国を亡ぼすのは悪ではない。愚かさである」先の創立の精神を唱えた創設者土光登美の言葉は、生涯学び続けていこうとする者たちへの時代を超えたエール。今、私たちは日本という国を守るために学んでいかないといけない時なんだと思う。
暗いニュースばかりが目に留まり、将来を悲観するような言葉がネットでは飛び交っているけれど、そんな表面的なことに惑わされずに本質を学び、よろこびを分かち合う。そんな学びの共同体を創っていく。まず、母たちから。賢さを手にするには女子教育が肝要であると登美は語ったという。母たちが学ぶ共同体。

天宇受売命(アメノウズメ)のようだと思う。岩戸隠れした天照大御神を再びかの地に戻すために半裸になって踊り狂ったと言われる神さま。暗い顔して岩戸の奥で子育てする母たちに、世界は明るく楽しいよ、こんな幸せな笑顔にあふれているよ、さぁ出ておいでよ、みんなで一緒に手を取り合って踊ろうよって誘なうの。そうだよ、だって母たちはみんな天照大御神だもの。太陽でしょ。岩戸に引きこもってないで一緒に踊ろう。大丈夫、しんどくなっても仲間がいるよ。どうしようもなくなったらまた岩戸に戻ってみたらいい。ずっと照り輝くのも疲れるよね。そんな風に寄りそいながら、一緒に踊ろう。

暗黒時代をさ迷っていた時、夜な夜な話に付き合って徹夜してくれた仲間たちがいた。どうしようもない私にとことん付き合って、自分でも気づいていない自分の本音に、否、無意識のうちに目を背けていた、自分を守るためにフタをしていた自分の本音に向き合う勇気が出るまでひたすら待ち続けてくれた仲間たちがいた。何年もかけて岩戸から出てくるのを彼女たちはずっと待っていてくれた。天照大御神はかつてのわたし自身。だから、一緒に踊りたいの。今、岩戸隠れしている母たちも出てくる時がきっとやってくるから。その時まで踊って待っていたいの。外に出ようと思った時に、そっと背中に手を添えられるように岩戸の前で踊り続けているの。それが私の役目なんだ。

数秘7の私は、本当は一人でとことん突き詰めて考えるのが好き。ぐぐぐぅって深く潜り込んで一人で考えに浸るのが好き。だけど、そんな私がどうしようもなく心惹かれるのは「共に」という言葉なの。一緒に世界を創造することにこの上ないよろこびを感じるの。小学校3年生の時に音楽で習った歌「友だちはいいもんだ、目と目で物が言えるから 困った時は力を貸そう、遠慮はいらない 1人はみんなのために みんなは1人のために 1人のために」なぜだか途方もなく泣けてきて、一人で号泣しながら歌ってた。中学2年生の時の合唱コンクールでは隣のクラスの「虹と雪のバラード」に泣いた。「町ができる 美しい町が あふれる旗 叫び そして唄」涙腺崩壊。「ヒロシマの有る国で」も「私の子供達へ」も泣かずに歌えない曲。
誰かと共に、そして次の時代を創る歌はどうしても魂が反応してしまう。この間のお神輿からも再び集って街を創っていこう、そんな思いが空気の粒になって全身に入ってきて身体中を震わせた。古き建物、いつの時代から見守っているのか分からないような大きな木々。時代を超えて受け継がれている物に宿る魂の声が自分の奥底と共鳴する。
なぜだか分からないけれど、今世で私が取り組むのは人々共に次の時代を創っていくことなんだと身体が反応して教えてくれている。なぜだか分からなくても、ここまで明瞭に受け取ってしまったメッセージに応えないわけにはいかない。すべてが一直線に並んで道を創ってくれた。あとは私が始めの一歩を踏み出すだけ。

賽は投げられた。alea iacta est.
行こうではないか。

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