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不朽の名作!R4 RIDGE RACER TYPE4 4大メーカー編

リッジレーサーの世界における架空の自動車メーカーを紹介。
車好きには嬉しい現実の自動車メーカーによく似た背景設定。
20世紀末の自動車業界図を紐解くようで面白い。

★ASSOLUTE (イタリア、ドリフトタイプ)

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アッソルートのエンブレムとRTSカラーのビゾンテ

創始者の名を冠するアッソルート社は、イタリアのみならず世界を代表する生粋のスポーツカーメーカー。
かつてエンキ・ジルベルトと張り合うほどの天才レーサーだったアッソルート氏が内臓疾患で引退後、自らのチームを結成しマシン開発のために興した会社である。
彼が市販車を作るのは「レース活動資金作りのため」とまで噂される。
膨大なレース活動による資金難から一時リザード社に身売りする話もあったが、「会社を売ってもレースにかける魂まで売るわけにはいかない」と折り合いがつかず話は立ち消えた。
現在高齢のアッソルート氏はレース活動からは身を引いたが、ニューマシン開発で変わらず陣頭指揮を執る。
かつてのライバル、エンキのRTSには技術や資金の支援を行う。

う~ん、どこかで聞いたようなストーリー。馬のマークを連想させます。

★Lizard (アメリカ、ドリフトタイプ)

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リザードのエンブレムとMMMカラーのディテクター

車社会のアメリカで驚異の60%シェアを持つ世界最大の自動車メーカー。
道路事情や国民性から、大きいボディを野太いトルク・ハイパワーで引っ張る、いわゆる『アメ車』を製造しており、小振りの欧州車とは対照的。
そんなリザード社はオイルショック後、軌道修正を求められた。
より経済的でより環境に良い車作りが求められ、それまではアメリカからの輸出がメインだったが、逆に日本や欧州から車が輸入されるようになり、リザードのシェアは減少の一途をたどる。
レース界でもリザードは苦戦を強いられ、特にコンパクトカーレースでは欧州勢に対抗できずに冬の時代を迎えていたが、後年、世界最大企業の意地とプライドで高性能新型車開発に成功し、雪辱を果たすことに成功している。

確かに20世紀末は、『車と言えばBig3』と言われた北米全盛時代でした。

★TERRAZI (日本、グリップタイプ)

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テラジのエンブレムとPRCカラーのトループ

車の魅力に取りつかれた1人の日本人がいた。大学卒業後家業の鉄工所を手伝う寺路正一郎である。
「いつかは自分で車を作り、サーキットで走らせたい」そんな少年の夢が前進したのは戦後。寺路は継いだ鉄工所をたたみ、趣味の四輪ではなく「社会が求めている安価で手軽な二輪車」の製造をスタートさせたのである。
幸いにもオートバイ事業は成功し、再び四輪車進出への夢が去来するが、既に数多くのメーカーが存在し生き残るのは並大抵ではない状況。
そこで寺路が打ち出したのは、車の徹底的な個性化とオートバイで培った技術を活かせる小型スポーツカーであった。最初はヒットしなかったものの注目を集め、一躍業界の風雲児となる。
今ではスポーツカーだけではなく幅広いラインナップを揃える国内中堅メーカーだが、確かな技術・個性的な車作りからテラジ信者と評されるほど熱狂的なファンが多い。

どうみてもモデルはHマークのあの会社ですね。当時は国内中堅だったんですね~やっぱり私はテラジを選びたくなってしまいます。これは性ですね ♪

★Age solo (フランス、グリップタイプ)

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アージュソロのエンブレムとDRTカラーのディリジャン

車が発明される8年前に生また創業者ルイ・アージュ氏は、幼い頃より自動車に惹かれ、21歳で見様見真似で最初の車を完成させ、腕に自信を付けると共にちょっとした大金を手に入れることに成功。会社を設立して本格的な車作りに着手する。
アージュは盛んになり始めていたレースへ参加することでの宣伝効果と、勝った時の満足感のため、積極的にレース活動へ参戦していくこととなる。
アージュの目指す車は「日常の生活に適した道具としての車」であり、レースでも軽量化と耐久性に力を注ぎ、次々と勝利を重ねている。他メーカーが大出力エンジンに移行していく中、小排気量を維持して総合優勝を奪うなどの快挙も達成。
戦後は不遇な時代もあり国営化されたが、今でも設立当初の軽量性と操作性は失われていない。
1998年、アージュはレース活動へのバックアップ体制を整えるべく、独立したスポーツカー部門『アージュ・ソロ』を発足させた。

モデルはF-1をも走らせる半国営のあのフランスメーカーですね。
現在も独立したスポーツ部門は健在。

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