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2024 大熊町はNeo-Ohkuma?
批判的?皮肉?
いや、書くしかない。それは確信にも似た決意。
2011年のあの日、この街は一気にworld-wideになった。
福島第一原子力発電所の事故。
凄絶な日々の積み重ねと、冷たい現実との対峙。
私はその様子を文字面で、ネットで、近くにありながら、どこか遠くの話しとして、耳目に入れていた。何のことはない。ただのニュースの繰り返しのように。
「大熊町は今……」
「あの原発事故の町は……」
10年以上の月日が流れた……
今の大熊町はどうなっているのだろう。
特段知りたいわけでもないが、隣町の浪江で働いていたこともあり、気になってはいた。
今の大熊は見かけ上、復興の道半ばだそうだ。
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へぇ。そうなんだ。巨額の資金を多方面から受けているんだろうなぁ。
そんなうがった見方をせざるを得ないほど、自分の心は荒んでしまったのだろうか。
ただ、手放しでは喜べない自分がここにいる。
学校もできたそうだ。住宅もできている。そして今でも建設は続いている。そしてこれからは病院など、多くのインフラが整備されるようだ。
なんだろう。キラキラした現実の後ろに見え隠れしているどす黒い違和感は?おもむろに大熊町移住のサイトを検索した。
ここで、大熊町の移住を説明している。
今、日本中から大熊町への移住者が増えている。
様々な補助金がここに出ている。移住で200万。交通費補助。家賃補助。
そう、ここには多くの金が詰まっている。そして、それに群がってくる人々。アパートの空きはないようだ。もともと地元の人々はごく僅か。
そして東京からの移住、他地域からの移住...そういう人たちでこの街は成り立っている。それが現実。それが悪いと言っているのではない、平穏に、そして穏やかに日々の生活を送っているならば、何も問題はない。
しかし現実はどうだろうか。もともとの地域に居られなくなった・・・どうして?とんでもない人がいないだろうか?
そんな隠れ家に使われてはいないか?
多くは語らないが、この街は現在「きな臭い」
そう「きな臭い」プンプンだ。
「町おこし」が名目であれば、どんな活動でもできる。そう、どんな活動でも。仮に助成金目的であっても。
そして、それがうまくいってしまうとどうなるのか。
それはもはや「大熊町」ではない。別の何かだ「Neo」なのか「新」なのか、はたまた「改」?
私は思う。それは、もはや「大熊」ではないのだ。
当時の人々の9割は新たな生活を新天地で送っている。そして「大熊町」は彼らそれぞれの心の中に今でも生き続けている。
静かにしておいてくれ……
今の大熊町はまるでロアナプラ。(引用:ブラックラグーン)
それに多くの人々が気付くのは何年後だろう。
自分はできるだけ距離を取って、冷静に見守りたい。
福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》