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VINTAGE【スーさんの笑顔と、これから】㉚

卒業式まであと2カ月弱。卒業論文も終わり、あとは大学図書館を利用しつくすだけだ。もう何もない。
社会人になるのは仕方のないことで、地元で働くこともほぼほぼ決まっている。そうなれば、諦めるしかない。このかけがえのない一日一日を大切に過ごしていこう。自分が大学生であったという確かな記憶をできるだけ多く残しておきたい。
卒業旅行でもして、友人たちとの思い出を残すのは、大学生として一般的なのかもしれないが、自分にとって大学に通いながら、帰りにVintageに立ち寄ることこそが大学生としてここに生きた証であり、何よりも大切な思い出なんだ。

水曜日の夕暮れVintageは週の真ん中で、くたびれかけた雑踏を眺めながらベーコンチーズトーストとコーヒーを食べる。
これが何よりの至福だ。7時前になると、スーさんがマスターを迎えに店に来る。
「こんちゃ!そろそろ卒業式だろ」
満面の笑顔で自分を見る。まるで親にように。
自分には父親はいない。覚えていないくらいのときに離婚している。
中学校1年のときに父親には会ったことはあるが、つまらない見栄っ張りだったことを覚えている。それ以降、自分は会ったことがない。というか、会うつもりのないのだが。

スーさんが何気なく声をかけたことが、自分にとっては父親のような包接を感じざるを得なかったのは、テレビをはじめとしたメディアが作りだした「父親」というステレオタイプにビタッと当てはまったからではない。どことなく、程よい距離感で「見守る」という意識を感じてしまったからだ。そして、この時感じた「距離感」を何よりも心地よいものとして、心に留めておくことができたんだ。

「地元に帰って、親孝行しなよ」
スーさんが何気なく言う。

「どうですかね、あまり地元に戻りたくないっていうのは今でも変わらない気持ちなんですがね」
苦笑しながら返した。

「一生そこに居ろって言ってるわけじゃないんだ。また、気が向いたら店に顔出してよ」

そうか、そういうことか。
自分はそこでハッとした。

決して一生の別れではない。

生活する場所がちょっと変わるだけで、ここへ禁足されているわけではないのだ。帰郷するとか、地元に帰るとか、そんなことはどうでもいい。

今まで、静かな絶望の中で帰郷を嫌がっていた自分の重い気持ちがふっと綿毛のように軽くなった。何事も考え方次第ということか。
別に自らの心までも故郷に埋めなくてもいい。大切なものはここに置いていこう。ちょっとの間だけの別れと思えばいい。永遠にさよならするわけじゃない。幸いにも、ようやく心からこの街を好きになれたところだ。

「さすがスーさんですね。なんでもお見通しというか……そうですよね」

一番奥のボックス席にゆったりと腰を下ろし、スーさんはニヤッとした。

粋な大人ってこういうことなんだな。言葉少なに表情が全てを物語る。こういう大人になってみたい。
地元が嫌いとかそういうことは言わず、そっと自分の気持ちを慮ってくれるスーさんはその日、誰よりもかっこよかった。

福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》