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VINTAGE【帰省との狭間で】⑰

ききコーヒーは『モカ・マタリ』でようやっと正解。

今日も今日とて日曜日に大学でTOEIC IP試験を受けた後、VINTAGEで夕暮れを待っている。毎週こうやって週末が終わっていくのだ。大学3年になって、そろそろ地元に戻るカウントダウンだろうか。地元に戻って何をする?結局のところ地元で就職し、勝手気ままなこの生活は1年と少しで終わりを迎えるのだろう。

「こんな日が今になって惜しいと思いますね」

ふと自分がそう言うと、マスターがとっさに

「社会人になりたくないってこと?」

少しいぶかしげな顔で僕を見つめる。

1/3くらいの自分の気持ちの的をえて射ていたため、バツの悪そうな顔になり、どう取り繕うか、戸惑った。

「いや、そういうわけではなくて、地元に戻りたくないなぁということですよ」

「でも長男なんでしょ?跡を継がないとだめじゃない?」

そう言われることは分かってはいたが、今回は自分の気持ちを少し話そうと思って、僕は話し続けた。

「でも、人に干渉されずに毎日を送れている今は大切にしたいし、できれば、こんな生活がいつまでも続けばいいなと考えてたりするんです」

干渉ね……東北の片田舎だと何もかも世間体でうわさ話が大好きな近所のババァがあることないことを風潮しまくる。そうした社会性だから必要以上に振る舞いは気を付けなければならず、自分の趣味や習慣に至るまで家族の干渉が入ってしまう。

家族が所謂「ご近所社会」から身を守るための監視社会がそこに根付いていたわけである。


今の自分は、そんなことを気にすることなく、大学帰りにこの喫茶店にいつも立ち寄り、ウダウダあーでもない、こーでもないと言っていられるわけで、窮屈な刑務所からシャバに出てきた囚人のように自由を謳歌していた。そして、それは自分にとってかけがえのない尊いものであった。

やがてSさんが自転車でやってきた。

「こんにちは」

挨拶を交わすと、今日も忙しかったらしくカウンターで煙草を一本。

甘い煙が辺りに漂って、ブレンドを一口。

「卒業したら、それでもここに居続けたいです。地元に帰らずに」

自分は決意表明のようにSさんに話しかける。

少し考えた様子で、Sさんはすっくりと自分の話に返答しはじめた。きっと地元の父母のことを言われるんだろうと覚悟はしていたが、意外とそうではなかった。

「……うん、君はそう決めたのなら、そうしてもいいと思うけど東北の田舎とここではそんなに違うのかな」

「そりゃ違いますよ。ご近所社会っていうか、噂話が好きなオバちゃん連中や世間体を気にして何もできないし、人の目を気にするような生活は10代でもう十分味わったし。ここの方が自分らしく生きられると思うんですよね」

Sさんは若造の世迷言と鼻にもかけないと思いきや、すぐに真正面から答えた。

「ここにだって世間体がどうのこうのってあるよ。自分も言われてるはずだし。要は自分がどうあるかっていうか、心持ち一つだと思うよ。どんなに周りに言われても自分がしっかりとある人はそんなノイズは聞こえないんじゃないのかな」

はっとした。自分は今まで確固とした自分がなくて周りに流されていたのかもしれない。世間体を気にするっていうことはそれだけ自分に自信がなかっただけなのかもしれない。

そう考えると、今までの自分がとてもみっともないものに思われて、恥ずかしく思えてきた。

「そうですね。もう少し自分って何者なのか考えなきゃいけませんね」


大学の残された時間。自分はもっと知らなければならないことがあって、まだ知らない自分の側面に出会っていないだけなのかもしれない。毎日をもっと重厚感をもって過ごさなくては。垂れ流すだけではなく。


ぼんやりとした決意のもと、関東の週末は終わっていく。苦味の増した冷めたモカ・マタリが自分にはとても美味しく感じた。

福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》