戦略的モラトリアム⑦

一九九九年 三月 中旬   

天気 すこぶる快晴    

場所 とある田舎
           

精神状態 妙な高揚感とちょっとした傷心   自宅にて

 

 今日もすこぶる天気がいい。ただ、卒業式だったらしく、制服姿の人をやけに早い時間帯から見かける。自主退学という形を取った僕にはまったく関係のないことではあるが、ちょっと心をかじられる風景ではあった。とっさにカーテンを閉め、ラジオのスイッチをオン!

ソツギョウシーズンニナリマシタネ。ミナサンハ、ドンナオモイデガアリマスカ?ワタシハ……ガーガー……ブチッ!

 ラジオの電源を無意識に切った僕はどうも面白くない。ハンパない疎外感を感じずにはいられない。ちょっと寂しい気分になって、それらは視覚、聴覚、ありとあらゆる感覚から刺激された。馬鹿な!まだ未練があるというのか?僕は新しい道を踏みだしたじゃないか。それも自分の意志で決めた道が。今更、学校とか、卒業とか、興味ないねっ。……強がっては見るが、どうやら限界……。

ボクダッテソツギョウシタカッタンダ……ホントハ……。

ちょっとブルーになった後、精一杯の空元気を振り絞って、
「さぁ、勉強、勉強。」
僕は僕の道を歩く、是が非でもね。そう決めたんだ。そして、東京の大学に行って、こんなところからは出て行ってやるもんね。もう少しでこんなところとはオサラバだ。だから頑張らねば。
僕は宅浪魂を再点火させた後、教科書や参考書を読み漁った。難しい受験手続は親と学校任せにした僕はどうやらまっとうな人間になったようであった。精神状態はきわめて良好。人生行路は視界良好!順風満帆!……だけど、周りの目を気にするあまり、外には出られないでいた。僕にもどうやら世間の目というものを気にする厄介な病魔が巣食ったらしい。
いやいや、大学に行くまでの辛抱じゃないか。一年間独房に入れられるって考えればいいだろ。弱気になるなよ、俺!
自らを奮い立たせるように頬を二、三発はった。落ち込んだとき、僕はいつもこうやってポジティヴな方向に無理やり自分を持っていく。ちょっと不健康だが少々の強引さはこの際、仕方がない。我慢しよう。

「ちょっと来なさい。」
夜の闇を劈く声。大きくはないが、ずっと部屋にいる僕には呼ばれるということはびくっとする原因の一つである。声から察するに母かな?
大検受験決定以来、僕は意識面で大きな革命を経験したが、親子関係や家族との仲は相変わらず冷戦状態だった。しかし、それは僕にとってありがたいことでもあった。生まれながらに一人っ子であった僕は常に家族の干渉下に置かれていた。交友関係も趣味も恋人も……。それが、不登校でなくなっただけでも僕は自由を満喫していたのかもしれない。だから、常に家族とは一定の距離多くことが僕にとって健全な状態であることは間違いない。最早、家庭内暴力という最終兵器を使わずとも、関係は良好である。
「予備校とか行かなくて平気なのか?」
一瞬、キョトンとしたが、どうやら集団で勉強する場を与えてくれるらしい。お言葉はありがたいのだが、僕は集団で勉強する場所をいったんはドロップアウトした人間である。そう考えると、今回の提案もうまくいくわけはない。丁重にお断りしようとした瞬間、ふとよぎった最悪の想定。

もし、大学入学資格検定に……どうするの?

もし、大学入学資格検定に失敗したらどうするの?

失敗?……失敗……シッパイ……失敗!

失敗!大事件だ。そうなれば、あのときに戻ってしまうことはまず避けられないだろう。あのとき……卒業不可能が決まったあの時……。考えただけで体中が最上の悪寒に襲われ、おびただしい鳥肌が表れた。
考えたくもないが、ありえる仮定……。こういうときこそ「石橋を叩いて渡る」ことを選択したほうがよさそうだ。ただし、予備校の指定は僕がする。そういう条件を家族にのんでもらい、集団生活の中にまた身を置くことに同意した。
集団生活に不安はあったが、僕にはひとつの企みがあった。それはできるだけ遠くの予備校に行くこと。今までの人生をリセットできるところを僕は探していた。きっと、同じ町や隣街では高校の知り合いだったやつや、向こうが一方的に知っているやつに出会ってしまうだろう。もしそうなれば、僕の新・集団生活は無残にも終わりを告げることになる可能性は高い。話題に飢えている田舎の人間には、不登校で高校中退の人間がいただけでも、話題の種となり、そのことを広める馬鹿が活気づき、しまいには、僕のあずかり知らないところで、尾ひれを伴いながら大衆受けする珍獣のレッテルを貼られることになる。そうなれば、健全な人間関係を形成することは非常に難しくなるであろう。いや、僕自身、他人との関係をそれほど重視はしていないのだが、悪くなっては、僕の思考や心的な健康に悪影響が懸念されることになる。
特に、同じ学校だったやつに会おうものなら、その瞬間にそいつの目がぎらぎらと輝きだし、まるで宝物でも見つけたような、衝動に駆られることだろう。僕はそんなやつの話題の種にはなりたくないし、話題を提供してやる気もないのだ。不思議なものだ。自分の『個』を大事にしていた自分は、何よりも他人の目を恐れていた。
 

福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》