復興シンドローム【2014/11/01~】④

「寒いですね」


昼にさしかかろうとしても、吹く風の冷たさに少し参ってしまいそうになる。通行証を確認する作業も朝を過ぎるとあとは警察車両が数台通るくらいで、さほど忙しいことはない。しかし、時間を持て余すというもっとも難儀な時間を数時間過ごさなければならない。これが何といっても苦行なのである。45分作業した後に15分の休憩。この繰り返しで午後1時まで乗り切ると遅番班とバトンタッチである。気楽な仕事と思いきや、半年に一度の血液検査と仕事の途中に線量バッジの確認、そして下番のときに線量測定がある。毎回の測定は少し気味が悪く難じる。これでもし異常が出たら……。高線量が出たら……。

「これ、もし高線量が出たらどうなるんですか?」

靴の裏を測定している測定員に思わず話を聞いた。

「○○さん。大丈夫ですよ。高線量なんて出ませんから……。もし出たら?測りなおしますよwww仕事できなくなるのは嫌でしょ?」

もはやこの作業自体が形骸化しているらしい。さほど怒りも込み上げてこなかったが、世の中そんなものかと簡単に物事を整理する気にもなれなかった。この6時間半の勤務で一万数千円が手に入る。1カ月フルで働けば30万後半の現金が手に入るということが、人間としての感覚を鈍らせるのか。
出稼ぎ労働者が復興関係に溢れているからこそ、人手不足の昨今、潤沢な資金と労働力に恵まれて、福島の復興が恙なく進んでいる。自分を無理やり納得させながら、帰りの車に乗り込む。

「お疲れ様です」

宿舎になっているホテルから自分は車に向かって帰路に着く。そんな毎日に慣れていけば、きっと経済的には楽になるだろう。しかし、人間としてすごく大切な何かを失っていくことにもなるのではないだろうか。このころのじぶんは日々この葛藤と戦っていた。

帰りの車の中から見える荒れ地にトンバッグの群れ。

無感情で眺めているつもりだったが、震災のことに思いを馳せてこの風景を脳裏に焼き付けている。自分が嫌っていた田舎の福島県がこれほどまでに感傷的に自分の中に入ってくるとは思ってもいなかった。

月末になれば、給料日で隊員さんたちの顔が緩む。実家に仕送りする者。返済に充てる者。そしてギャンブルに突っ込む者。

毎月恒例の風景だが、1、2カ月勤めると、顔見知りも増えてくる。もちろん地元の隊員さんではないが、人それぞれいろいろな人生を抱えて生きているのだなぁと考えさせられる出会いだった。

自分も給料を得た後はしばらく行っていなかった温泉や服に金を使い、それなりに満喫していた。
「これでいいか……」
自分の震災における葛藤はお金という魔力に薄まり、忘却の彼方に追いやられようとしていた。これを風化というのだろうか。

福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》