「あ、ありがとう」
お店を出てコートを着ようとした私のバッグを高梨くんはさっと持ってくれた。私がコートを着やすいように自然にフォローしてくれる。
「これが、奥さんにはできないんだよな」
コートを持ちながら彼がそう呟いた。お店で一緒に食べて飲みながら話していた話の続きだ。彼の奥さん、優子は私の友人でもある。その優子について彼はこんなことを言ってたんだ。
奥さん以外の女性のことは女性として扱えるし、女性の話にはきちんと耳を傾けて、たとえ退屈な話でも相槌を打ったり望むような言葉をうまくかけたりできるのに、どうして奥さんにそれができないんだろう、と。
奥さんを大事に思ってないわけではないけど、なんていうか、奥さんはこっち側の人間なんだ、と。
まったく同じだな、と私も思う。私も高梨くんにするような言葉かけ、「お仕事お疲れ様」とか「体、無理しないでね」とかそういう思いやるような言葉が言えないし、何かしてもらっても素直に「ありがとう」って言えてないな。
そんなことを考えながらコートのボタンを留めていたとき、突然、彼がフワッと私の髪をなでた。 高梨くんは優しい笑顔で「俺、美紀ならドキドキするし、いつも女性として見てるんだけど」と言って、私の目をじっと覗き込んだ。
もう何度もこういう瞬間はあったんだ。私が目をつむれば、彼はきっとそっと私に触れるだろう。彼が優子を妻として大切に思っていることを知っているけど、彼が私に好意を持っていることも分かっている。真面目な彼が少し迷いながらも、いつも踏み込もうとしていることに気づいている。
少し強い冷たい夜風が私の髪を揺らす。
あぁそういえば昨日、夫が私の作った夕食に文句を言っていたな、とふと思い出した。夜遅くにこの料理は濃いからどうのとか。不満げな夫の顔を思い浮かべながら、もう夫は私の目を見つめることもなくなったなぁとぼんやり考える。
私は、そっと目を閉じた。
高梨くんの唇が優しく私に触れる。私は忘れていたような暖かい気持ちに包まれたけど、少しして彼は私からゆっくり離れスッと目をそらした。彼の中に小さな迷いが見えた。タバコを取り出し火をつけながら優子を思い出してるんだろう。罪な男の空気をほのかに匂わせる。タバコの香りが私の何かを刺激する。 優子への裏切りからささやかな罪に酔っている彼に教えてあげようか。
高梨くん、罪の意識なんていらないよ、優子も他に彼氏がいるから。
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