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真冬のレモンは小さくて甘く切ない #クリスマス金曜トワイライト

手の中にある手紙は僕たちの未来。

君が東京を出る新幹線の時間が書かれていた。

未来を握る手紙が入っているなんて思ってもなくて、何日もポストの中を見なかった自分のバカさ加減を呪いながら、冬だというのに汗だくで走っている。

出世にしがみついて仕事に没頭していた僕を君が少し離れたところから見ていたなんて気づかなかった。いつその距離ができたかなんて、追われてばかりの日々の中で気づく余裕は少しもなかった。

君と初めて出会ったのは小さな美術館だった。偶然同じ絵を眺め、目があって会釈をしたら君は微笑みながら会釈を返してくれた。君の揺れる髪からは爽やかなレモンの香りがした。

書家である君の美しく凛とした文字を見たとき、細くてしなやかな君の手に初めて触れたとき、古い洋館のホテルで君のやわらかなうなじに口づけしたとき、いつもレモンの香りに包まれた。はじけるような瑞々しいレモンだ。

君が東京を去るなんて考えてもなかった。だって君はずっと僕のそばにいるんだと信じ込んでいた。レモンの香りはゆっくり遠のいていたのに。

駅の階段を全速力で上がる。人と肩がぶつかり舌打ちされる。混雑する東京駅を疾走するなんて迷惑だと分かっている。でも僕は間に合わなければならない。

どこだ? どこにいる?

汗は背中だけじゃなくて、首筋もじっとりと湿らせている。吐く息も熱い。

必死で周りを見渡したとき、人混みの隙間から新幹線に乗ろうとしている君が見えた。君の名前を大声で呼ぶと沢山の人が振り返って僕を見た。だけど僕の視界には君だけがくっきり浮かび上がっている。

「行くなよ!」

怒鳴るような声で僕は叫んで駆け寄った。

驚いて僕を見つめる君の瞳からは涙がいまにも溢れそうだ。でも何も言わない君。その沈黙の数秒が永遠の宇宙のように感じる。

発車のベルが鳴りやむと同時に君は車両に乗り込んだ。君の腕を掴んで引き戻したい衝動に駆られる。だけど君がそれを拒絶している気がして手が出せない。ただじっと見つめ合う視線の中で、ドアはゆっくりと閉まっていく。

「ごめんね」

ドアのガラス越しに君の唇が小さく動くのが見えた。君の声が聞こえた気がした。いや、聞こえたんだ。

ドアが閉まる瞬間に君は僕に手紙を渡した。2通目の手紙が握り締めていた手紙に重なる。

去っていく君に、励ましの言葉も別れの言葉も感謝の言葉も、何もうまくかけられない。君を失う現実を受け止めきれない。ただ数歩、新幹線を追うように足を進めただけで、君の姿は周りの景色に飲み込まれていった。

潮が引くようにホームから人がいなくなったあと、僕は長椅子に腰掛けて手紙の封を切った。

・・・・・

この手紙を読んでくれているなら、あなたに会えた時でしょう。身勝手な私を許してください。

本当は私は負けそうな自分が怖いのです。距離や時間が離れたとき、あなたが消えてしまいそうで。それが怖いのです。

ずーっと会いたかった。だけど言えなかった。あなたが仕事で活躍していけばいくほど遠くなった。

でもね、あなたに出会えてよかった。

ずっとあなたを感じていたいのです。あなたの頬や、あなたの唇に触れていたいのです。確かに一緒の時間を過ごした日々を心と体に焼き付けておきたいのです。

あなたが好きです。大好きです。

・・・・・

文字が滲んで見えた。僕たちは何を得て何を失ったのだろう。今は分からない。いや本当は分かっている。

僕たちの未来の上に愛と別れが降りてくる。

わずかに残されたレモンの香りを覚えておきたくて、僕は手紙に顔をうずめた。





こちらの企画に参加しています。

【追記】

・なぜその作品をリライトに選んだのか?

読んだときに涙が出るような切なさを感じたからです。

・どこにフォーカスしてリライトしたのか?

まず「手紙」を意識しました。二人の関係が終わるのか終わらなくて済むのか、その未来を握る手紙を。また、リライトし終わった瞬間の作品ではタイトルにもなっている「レモン」が物語で活かせてなかったので、作品全体に取り込むことを考えて練り直しました。

・リライトの感想

前回のリライト企画にも参加させていただきましたが、そのときは文章をどこまで残すべきなのかの加減が分からなくて、時系列を整えながらすべての文章を追うようにリライトしました。
今回の小説についてはとても完成されていて、どこをどう変えていいのか難しいと感じたため、それなら、と原文を丁寧に追うのではなく文章を思いっきり落として、おおまかなあらすじを踏まえる形でのリライトにチャレンジしました。ざっくり捉えたあらすじをもとに頭の中で物語を走らせ、必要な箇所はそのまま写し、自分なりの言葉も組み込みました。
今回は仕事を後回しにしてはいませんが、夕食の準備を後回しにしてしまいました。でも一気に書くことができ、自分に主人公の男性が乗り移った余韻が残っています。気持ちいい。
執筆時間は40分。その後、応募期間まで日があったので、何度も読みなおして手を加えました。手直しにかけた時間は2時間くらいかな。前回とはまた違う良い経験をさせていただきました。ありがとうございました。



お気持ち嬉しいです。ありがとうございます✨