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感覚の違いって気付きにくいね。

「感覚」というのはそれぞれのなかにあるもので、その分量は測ることができない。だから互いのそれを比べることもできない。そのことは理解している。でもしっかりとは理解していないものらしい。

うちの子供はわりと敏感な神経の持ち主で、上の子も下の子もそれぞれややこしさがある。おそらく二人とも感覚過敏がある。味覚や嗅覚にも過敏だけど、接触過敏というのかな、服のラベルがダメらしく全部切りたがる。たとえばそういうやつ。

菌に対する拒否反応も強い。潔癖とは少し違う感じがするけど、近いのかも。

えっと、ここからが本題だけど、うちの台所のプラゴミ用のゴミ箱のゴミが溢れることがときどきあってね、そうならないためにゴミを捨てるときにちょっとだけ奥に押し込んでほしいと子供に頼んでいた。子供はゴミをちょんと乗せるように置くから、次にゴミ箱を開けたらそのゴミがポロリとこぼれ落ちてくることが多い。私がそれを拾って捨てる羽目になる。

「ちょっとだけ押し込んでよ」とよく言っていた。プラゴミは週一でのゴミ出しなので少しは圧縮して捨てないとゴミ箱が溢れがちになる。つまりちょっとだけぎゅっと奥に押して捨ててほしいのだ。

これを全然してくれない。私が「やってね」と言うたびに、口では軽く「あ、ごめんごめーん」みたいに答えるし「分かったー」みたいにも言う。でもしない。

なぜしないのかについて、初めは面倒だからしないんだろうと思っていた。次の段階ではゴミは汚いからあんまりやりたくないんだろうと思った。だけどゴミが汚いなんて当たり前で私も同じだよ、でもゴミ箱が溢れちゃうから私はちゃんとちょっと押し込んでるよ、だからちゃんとみんなやってくれなきゃ、そう思ってた。

それがね、あることにようやく気付いた。

そうか、子供は私よりゴミへの抵抗感が強いんだと。

私が汚いと思う感覚と子供のその感覚が違う。はるかに嫌悪感が高いんだろう。

少し前に感覚過敏の気質に関する何かを見た。感覚過敏の話だったと思う。媒体もテレビだったかnoteだったかよく覚えていないけど、映像を見た。そこでそうした人にとっては電車での雑音はこんな風に聞こえます、みたいな動画だった。あまり詳しく覚えてないけど、とにかく一般的な人が感じる感覚とは全然違うみたいな話。光もだった。光の感じ方、光による負担も全然違う。

そのことをなんとなく覚えていて、それがこのゴミ箱の話に、ある日ピタッと繋がった。そうか、これが感覚が違うということなんだ。

子供にとってプラゴミをゴミ箱に少し押し込むという行為は、私が生ゴミとかに素手でぐちゃっと手を突っ込むくらいになるのかもしれない。あるいはもっとかも。そういうことにやっと気づいて、あー、これは強要したらかわいそうだなと思った(全然強要できてなかったけどね)

それから私はこのことを言わなくなった。まぁ仕方ない。それほど嫌ではない私が対処すればいい話だ。

感覚の違い、気付くのってなかなか難しいものだね。つい自分と同じ感覚で物事を考えてしまうから。人によって感じ方は違うって頭では分かってるんだけど、頭では分かっててもうっかり気付かない。

それにこれって当の本人も気付かないんだと思う。ゴミをちょっと奥に押し込む行為を自分がどのくらい嫌だと感じているのか、それは他人より強いのか、そんなの子供自身も分からないよね。「汚いからやりたくない」っていうのが我儘の範疇に入ってしまうのか、それとも人よりそうした感覚が過敏なのか、そんなの知識もない子供が分かるはずもない。そうなると親も子もどちら側からも気付きにくいんだろうね。

あ、プラゴミのゴミ箱を大きいものにしたらいいって? そうだよね、そう思うんだけど、場所がね。限られたスペースにピッタリのを使ってるから大きくするのはちょっとね。それについては難しいところなんです。

今日もみんな元気でね。



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