微笑み


100均に立ち寄った時の話。
ある子どもがレジで嬉しそうにオモチャを持ちながら親御さんと並んでいた。不意にその子と目が合ってこちらが笑うと向こうもニッコリと返してきた。なんと信用に足る笑顔なんだろう。

20代半ばを越えてから子どもへのリスペクトが尋常ではない。相手が成熟していれば笑顔の裏まで考えてしまう。子どもというのはただただ純粋でとてもその頃の気持ちを取り戻したくてしょうがない。その子の笑顔には裏がない。裏がないというか、表とか裏とか作る必要すらないのだ。
ただそのままでは生きていけない。彼はきっとここから沢山生きる術を学んで、優しい嘘や本来なくてもいいことも覚えていくんだろうな。

大人に近づくとその人の行動や言葉に何か意図があったりすることは比較的珍しいことでもなんでもない。だから疲れるし「察してよ!」なんて他力本願な状況だって生まれる。あーー、子どもの頃の気持ちのまま大人になる事はどうしてこんなにも難しいのだろうか!

話は遡って20代前半の頃、縁あって幼稚園で子どものお預かり保育のお手伝いをさせて頂いていた頃。子どもたちの常識を飛び越えた発想で繰り出される会話や言動にいつも驚かされていた。
その無邪気さが全て良いかといえばそうでもない。それで傷つける人もいるという事は紛れも無い事実である。ただ言いたいのは、大人になると自分の考えが常識から外れていた時に虚勢を張って、等身大でいられなくなることがあると思う。多数決で決められた常識という同調圧力はとても強力なものだからだ。

だからこそ自分の感性やありのままに感じる部分とそれを判断する理性。ここのバランスを偏る事なく丁度いい良いところで取れることが大人になった自分へしてあげられる事だと思う。

子どもの頃には気づかなかった娑婆世界の残酷さを子どもの頃に持っていた夢や希望、はたまたエンターテイメントなどによって少し現実をぼかす様な感じで。
身の程なんてわきまえなくていい。自分は未完成のままきっとこのまま生きていくのだろう。

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