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恋するマンスリーデイ

<タイトル・詞>

“マンスリーデイ”という言葉は1979年の休業宣言後、最後のライブを終え、その後メンバーでロスへ行き、その乗り換えでハワイの税関を通ったとき耳にしたもの。

桑田佳祐
「税関でハラ坊が急に“お腹が痛い”と言ったら、税関のおばさんが“マンスリーデイ?”と口走ったんです。で調べたら、メンスのことだとわかって・・」(中略)

「だから、この曲の詞を作る時もスムーズに詞ができたわけ」(中略)

「(レコ倫規定に引っかかって、この曲が放送禁止に)もし、そうなったら、日本の言論の自由は真っ暗闇。それこそ生理用品のCMもできなくなっちゃうじゃないですか。」(1980年)

↑この発言の翌年には生理用品のCMに出演しているあたり感慨深い。

レコーディングのヴォーカル録り用に書かれた歌詞(原詞)に添えられた“寸評”

桑田佳祐
「ユウコの名前を使った事実に関しては、これからの週刊誌、及びマスコミなどの反応を、おおいに意識したのですが、それがともすれば、たんなるイヤミ、もしくは“レコ倫”などの対象となる場合、私、桑田はまたひとり孤高の作詞活動を覚悟しています。」(1980年)

とにかくこの当時の桑田佳祐は既存の音楽業界に疑念を抱いていて、孤軍奮闘をしていた感が強い。上の発言は男っぽいしイカすぜ。


<背景>
実は、この曲には伏線がある。
この曲をリリースする前年の1979年、まだ「いとしのエリー」や「思い過ごしも恋のうち」がヒットしていた当時のインタビュー。

-この頃聞いているレコードとして、彼はボブマーリーの昔のライブやボブディランの武道館、ハワイで買ってきたゴスペルの話をしてくれた。

レゲエやゴスペルみたいな曲を1曲ずつでいいからやりたいとか、趣味の音楽の話しになると目が輝いてくる。

サザンは9月から全国30カ所余りのツアーを始める。その後、来春には新しいアルバムも作らなければならない。(注:この時点で翌年の半年間休業は決まっていなかった)

この秋もスケジュールは相変わらずの忙しさだ。

桑田佳祐
「これから10年間、テレビに出て、楽屋でドーラン塗って、おはようございますと言ってるタイプの人間だとは自分で思えない。自分たち自身ですごく苦痛なところもあるんです。

慣れちゃいけないと思うし、そういうことをいつまでも納得できずに繰り返している人間だとは、自分たち思いたくないしね。ヒット曲にしても、今のような音楽状況で、落ち着いているとは思えないですね。

たとえば今、ボブマーリーみたいな乗りで面白い歌詞をのっけてやったら絶対ヒットすると思う。
そういう時期に来てるんじゃないかと。」(1979年)

この時期の殺人的スケジュールの真っ只中で、よくここまで客観的に分析できているものだ。

↑この曲の4:00あたりから聞いてみてね。

<1999.10.11記>



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