掌編小説『遅すぎるダイイングメッセージ』

        あらすじ

 兄の良一は弟の良二を憎々しく思っている。親の遺産を等分に受け継いだ彼らだったが、会社を興した良一に対し、良二は音響博物館なるものをオープンさせ、浪費。そのくせ良一の会社が窮地に立たされても、援助は百万がいいところだった。腹に据えかねた良一は会社と家族を守るべく、良二の財産を戴くことにした。
 最初は音響博物館を舞台に、事故死に見せ掛けるつもりでいたが、ある突発事に見舞われ、計画は暗礁に乗り上げてしまう。

         本文

 弟にこの世から消えてもらうことにした。
 弟の良二りょうじは、音楽の才能なんてからっきしないくせに、音響博物館なる道楽に金を注ぎ込んできた。コンプレックスの裏返しなのかもしれない。
 だが、そんな物が兄弟間の情を上回っていいはずがない。
 親からの遺産を平等に分けて、そのあとどう使おうが、各人の自由だという見方もあろう。しかし、私の事業が不測の事態によってピンチに陥っているのだから、少しくらい援助してくれてもいいじゃないか。流行り病でこんなにも景気が落ち込むなんて、全く予想できていなかった。いざというときの備えもほとんどなかった。危機管理意識の低さは認める。その上で、頭を深く下げて頼んで、従業員にまで影響が及ぶことを切々と訴えて、出してくれた額が百万。たった百万円ではどうにもならない。わずかに延命できるだけだ。
 これ以上はどうあっても出すつもりがないというのなら、こちらも最終的かつ非常手段に出るほかなかった。幸い、百万のおかげで、弟を亡き者にしたあと、保険金と遺産を受け取るまでの期間はどうにかしのげそうだ。

 火曜日の午後、私は山奥にある音響博物館に弟を訪ねた。毎週火曜が休館日で、メンテナンスを弟一人で行うことは前々から知っていた。事故死に見せ掛けて殺すつもりだ。可能ならアリバイも用意したいが、証人をうまく確保できるかどうか微妙なため、そちらの方は運次第だ。
 正午を少し回ったくらいに行くと、良二は大ホールと呼ばれるメインの展示場にいた。以前から聞いていた通り、午前中に何やら大がかりな物の搬入が予定通り行われたらしく、奴は高さ五メートルくらいある透明な箱の前で、ご満悦を絵に描いたような笑みを浮かべていた。
「よう。昼飯でも一緒に食わないかと思って」
 私は高級とされる弁当の入った袋を掲げて、弟に挨拶した。
 弟は箱の中にある巨大なゼンマイのような物体から目を離すと、「兄さん、いいところへ」と反応した。
「いいところ?」
 私は殺意を隠しつつ、弁当を近くのテーブルに置くと、にこやかな表情に努めて弟に接近した。
「やっと調整が終わったんだ。このあと、テストしたいんだけれども、一人ではやりにくい。手伝ってもらえたら助かる」
 前回顔を合わせたときは雰囲気最悪だったのに、今の良二は無邪気なまでに笑みを絶やさずにいる。まったく、こいつの頭の中、大部分はこの博物館のことで占められてるんだろうな。
 私が殺人を決意したのも、ある意味、この音響博物館に後押しされたようなものだ。ここは音響をテーマにするだけあって、戸締まりをすれば防音は完璧になる。殺人という犯行にはおあつらえ向きだ。
 私は弟の話にいかにも関心があるふりをして、彼我の間を一層縮める。手には、用意してきたタイルボード――凶器として持ちやすいハンディサイズにカットした――がある。この博物館の一部フロアで使われている物と同タイプだ。これで頭部を殴打して殺害し、高所から転落したように見せかける。搬入作業があった直後なら、脚立を持ち出していても不思議じゃあるまい。どこに仕舞ってあるかも、把握している。
「この博物館には録音機器の類は置いてないと前に言ったろ?」
「ああ。それを聞いたとき、音の博物館のくせして、って思ったもんだ」
 受け答えしながら、まさか今日搬入したそのでか物は、録音機械なのか?と警戒した。もしも音を記録できる代物なら、作動していないことを確認しておかねば。
「そんなことを言うところを見ると、そいつは録音機械なのか? 電源は入っているのか」
「いや、電源はないよ。そもそも、録音機械じゃない」
 どことなく誇らしげに語り、右腕を開きながら謎の搬入物の方を振り返った良二。その後頭部の無防備なことと言ったら! 今こそ絶好のチャンスに思えた。
「そうなのか。録音機械じゃないのか。なら、安心した」
「何を言って――」
 弟は、こちらの台詞の真意を確かめようと振り返り掛けた。おかげで、狙った後頭部を外してしまったじゃないか。いや、これは弟のせいじゃなく、私が最後に声を掛けたせいだ。ちくしょうっ、ばかなことをしたものだ。
 だが、もはや後戻りは出来ない。私は凶器のボードをそのまま打ち下ろした。
 うずくまる良二。その呻き声は、カエルの低音の鳴き声を思わせた。
「に兄さん?」
「すまんな、良二。私と私の家族、それに社員達のためにおまえの命、もらうぞ」
 冷静さを装って話し、第二撃を与えようと凶器を振りかぶった。ところがその動作がまたいけなかったらしい。良二は意外にスピーディに横に転がる。ボードは床を叩き、私の手はしびれた。
「おとなしくやられてくれ。どうせ誰も助けに来ない」
「こ、後悔するよ」
「後悔しているのはおまえだろっ?」
 上体を起こそうとしている良二のそばまで、つかつかと歩いて行き、今度こそ凶器で殴りつけた。
「あのときもっとはずんで、貸してあげとけばよかった!ってな」
 良二は言葉で応じることなく、殴られた勢いを利したのか、そちらの方向へさらに転がると、床を血で汚しながらもふらふらと立ち上がり、何故か搬入物の方へ歩き出した。出入り口とは反対方向とまで言わずとも、遠回りになる。
 あ、それとも、搬入用に壁全体が開く仕掛けでもあったのか?
 まさかと思いつつも、追い掛けて、弟の襟首を掴まえた。思い切り引いたが、良二は搬入物の透明な箱にしがみついた。高価なおもちゃを買ってもらえずに、お店の柱にしがみつくガキのようだ。
「いや。やめてくれ。死にたくない。兄さんだって嫌だろ。殺人犯として捕まるのは」
「捕まりっこないさ。ちゃんと計画を立ててきた」
 本当はとうに瓦解している。だが、ここで隙を見せては、良二の奴を勇気づけてしまうかもしれない。早くくたばってくれ。
 ボードを縦に振り下ろすと、ちょうど良二の右耳に直撃した。耳が削げたような感触があった。実際、血が派手に流れ始める。
「や、やめろ。やめないなら、大声で叫ぶぞ!」
「叫んだところで誰にも届くまい。おまえ自身が立地に山奥を選んだんだろうが。あきらめろ」
 私の忠告を、良二は聞き入れなかった。透明な箱に張り付くように顔を寄せると、声を張り上げたのだ。
「誰かー! た、す、け、てー! 兄の加治田良一かじたりょういちに殺される~っ! ボードで殴り殺される~っ! 誰かー! 助けてくれー! 兄の良一に殺される!」
 繰り返し叫ぶ良二。大声ではあったが、閉め切った博物館の中にいることを忘れているのか? この程度なら、外にいても全く聞こえやしまい。
 私は余裕を持って、弟の後頭部を殴打した。

 計画は大幅に狂ったが、最低限の目的は達した。
 このままとっとと逃げるか。しかし、我が身を見下ろして、奇跡的に返り血を全く浴びていないことに気付いた。これを活かさぬ手はないのではないか。
 たとえば、速やかに警察に通報し、早期に私のこの姿を見せれば、弟を殺していないという証拠になるのでは。当初の思惑が崩れ去った今、そこに賭けてみるとしよう。昼飯を一緒に食う約束をしていて弟を訪ねたら、殺されているのを見付けた。これで行く。

 やがて乗り込んできた刑事の内、親玉らしき男はこれといった特徴のない、眼鏡の中年だった。と思ったら、前世紀の代物かっていうような携帯型のカセットレコーダーをいきなり取り出して、録音させてもらいますよと断りを入れてきた。
「メモを取るよりこの方が楽なもんで。あとで言った言わないの面倒も起きない」
 そう言われては承知するほかなかった。厄介な刑事に当たったものだ。警戒心を強めた私は、しかし無口にならぬよう心に留め置いた。
「じゃ、早速ですが、亡くなっているのは弟さんということで、間違いないですか」
「ええ。一目見て、分かりました。血だらけだったが、身体のフォルムで良二だと」
 博物館のロビーで交わすにしては物騒な会話である。苦笑を堪えるのに努力が必要だった。
「それではあなたがここへ来るまでの行動をお聞かせ願います。ご不快かもしれませんが、関係者には聞かなきゃしょうがないんで」
 刑事は録音中だというのに、メモを取る構えをした。よく分からない男だ。いちいち気にしていると向こうのペースにはまる気がする。こちらはこちらのペースを保とう。
「いいですよ。十一時前に家を出て」
 嘘の証言を始めたちょうどそのとき、突如として大きな声がロビーに響いた。
<誰かー! た、す、け、てー! 兄の加治田良一に殺される~っ! ボードで殴り殺される~っ! 誰かー! 助けてくれー! 兄の良一に殺される!>
 え、何で? 思わず声に出して呟いていた。
 死んだ弟の声が館内放送のようにロビーに流れ、しかもそれはあいつが死の間際に残した叫びと全く一緒だった。

 仕掛けを説明されると、馬鹿々々しいほど単純だった。
 良二の奴が当日搬入したあの巨大な箱の中身は、細い針金を巻いたバネのような物体だった。材質は鉛と何かから出来た合金と判明していた。その長さ、およそ千八百キロメートル。呆れるほど長い針金をぐるぐるぐるぐると幾重にも巻いて、弟は何をしたかったのか。どうやら糸電話ならぬ針金電話をこしらえたらしい。
 後に警察が行った実験によれば、片方の筒型に向けて喋った声が約十五分を掛けて針金を進み、反対側の筒型に届くそうだ。確かに電源はいらないし、録音機器でもない。だが、あの物体のおかげで捕まった身としては、こう叫びたくなる。
「あんなもんに大金を注ぎ込みやがって!」

 終

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