短編小説:太公望の根掛かり

        あらすじ

 頭を捻って考え、どうにかまとめた殺人計画。だが頭の中で思い描くのと、実際にやってみるのとでこんなにも差があるなんて。作者にとってのご都合主義は、犯人にとっての“不都合主義”? 次々と発生するハプニングに何とか対処していく犯人だったが……。

         本文

 これから綴られるのは、倒叙ミステリである。
 倒叙ミステリとは何かをくだくだと説明するのは面倒なので、簡単に言ってしまうと、主に殺人のような犯罪について、犯人側から描いた物語だ。徹頭徹尾、犯人側の視点を採る訳でもないのだが……著名映像作品の例を挙げるのが分かり易いだろう。「刑事コロンボ」シリーズや「古畑任三郎」シリーズにて描かれたようなスタイルの推理物だと思っておけば、ほぼ間違いない。
 なお、ビギナー向けに念のため断っておくと、叙述ミステリや叙述トリックといった用語もあるが、倒叙ミステリとはまた別物であり、くれぐれも混同しないように。

             *           *

 厄介な事態になったものだ。これでは間違いなく計画が大幅に狂う。
 だがもう殺してしまった。今さら取り返しようがないのだから、取り乱して動揺する暇があるのなら、善後策を講じることに力を注ぐべき。
 今、私の目の前には死体がある。人間の死体が一人分。この“犯罪の主体”さえ消し去れば、完全犯罪がなる。死体が見付からないことには、殺人の立件はできない。
 犯行現場となったこの家は、そこで死んでいる男――鬼頭平六きとうへいろくの住処である。好都合にも、人里離れた一軒家。秘書名目の若い女性、田ノ上たのうえアキラと二人暮らしだが、今日、明日、明後日……と田ノ上が戻ってくる恐れはない。大きな音を立てようが、気にする者は周辺にいない。殺しを行うとしたら、誰もがこういう場所を一つの理想とするかもしれない。
 現在午後四時で明るい。もう少し待って暗くなれば、死体を容易に運び出せるだろう。が、それでいいのか? 死体がこの場からなくなるだけで、世の中から消えてくれる訳ではない。どこかへ捨てねばならなくなるが、ではどこへ? そもそも、折角人目のない場所にいるのに、わざわざ搬出して、車で運ぶなんてのは愚かな行為ではないか。見付かる危険を高めるだけだ。
 かといって、この家の近くに穴を掘って埋めるというのも、飛び付きかねる案だ。ここが都会から離れた一軒家であっても、死んだ鬼頭は世捨て人ではない。超が付くほどのベテラン作家で、時代小説や歴史小説を大量に世に送り出し、人気を得た。今でもほどほどに名を知られているだろう。ここ数年はネタが尽きたのか時代物や歴史物を離れ、箸にも棒にも掛からない商業小説を数作書いたあと沈黙を続けてきていたが、それでもたまに編集者が足を運んで姿を見せると聞く。そうしてベテラン作家の行方不明が公になると、すぐさま捜索が始まり、埋めた遺体は見つかるであろう。
 運び出すのも埋めるのもだめなら、焼却か。しかし、家の中ではできないし、外でやるのはさすがにまずい。人が少ないとは言え、目撃されたら言い逃れのしようがない。煙や臭いが出るのも気になる。焼却案は却下だ。
 他に考えられるのは、解体か。死体をばらばらにして小さくすれば、いくらか扱いやすくなる。労力、手間を想像するとやりたくないし、何よりも精神的にきつそうだ。そういえば。死体を食べて消すという処分方法を描いたミステリがあったが、そんな真似は到底無理。薬品で溶かすとか、肥料にしてしまうとかも無理。せいぜい、動物に食わせるぐらいが私にできる限界だろう。
 動物……と呟いてみて、閃いた。辺り一帯には獣が出没すると聞いた。クマはいないが、イノシシやタヌキ、アナグマ等がたまに出るらしい。
 作家先生の死因は、後頭部を強打したことによるもの。イノシシのタックルを食らって、ばたんと倒れたことによる事故死に見せ掛けられるのではないか。解剖した訳じゃないから、年齢を考えると後頭部云々ではなく他の急病を発症した可能性だってないとは言えないが、頭の傷が致命傷なのはほぼ間違いあるまい。それに、心臓発作のような病死だったとしても、イノシシに突き飛ばされたショックで、という推定診断はきっと通る。
 死体をこの世から消し去ることに拘って、もっと簡単で現実的な案を見落としてしまっていたようだ。事故死に偽装なら、夜になるのを待って、外へ運び出し、そこいらの空き地に大の字に横たえておけば済む。できれば胸か腹の辺りに打撲痕を付け、周辺にイノシシの足跡を付けたいところだが、高望みはすまい。打撲痕の方はやろうと思えば、車をぶつけることで可能かもしれないが、下手を打って車の塗料が死体のどこかに転移したり、逆に鬼頭の衣服の切れ端が車に挟まったり、車体に傷を付けたりしては元も子もない。足跡にしても、ぼやっとした、獣の足跡らしきへこみを地面にいくつか付ける程度でいいだろう……。
 そこまで考え、室内を見回すと、トロフィーや表彰盾、酒瓶なんかを飾っている棚の一角で目がとまった。
 重々しい黒の平皿に、焦げ茶色の毛で覆われた棒状の物体が二本、載せてある。ご丁寧にタグが針金で付けられ、説明書きがあった。そこには年月日と、「記念 イノシシ罠に掛かる」と細い字で記されていた。
 つまり、この棒状の物体はイノシシの脚なのか。一年以上前の日付だから、防腐処理をしてあるのだろう。鬼頭自身が罠を仕掛けたのか、近場に住む農家か猟師が仕留めた物を、興味本位で分けてもらったのか。前者だとすると法に触れていそうな気もするが、私にとってはどうでもよい。この脚をうまく活用すれば、地面に本物そっくりのイノシシの足跡を残せそうだ。
 私と鬼頭は釣りを共通の趣味としていた。鬼頭愛用の釣り竿が、この家のどこかに仕舞ってあるはず。それを探し出して、使うとしよう。

             *           *

木本きもとさんは田ノ上さんと、いつ頃までお付き合いをしていたんで?」
 とうに把握済みであろうに、刑事はしれっとした態度で聞いてきた。その証拠に、別れてから一年足らずと答えると、「正確には十ヶ月と十日ですな」と応じてきた。
「色恋の縁は切れても、仕事上のつながりは残っていたみたいですが」
「どうしてそれを?」
 愚問であると分かっているが、敢えて尋ねた。
「あなたは評論家として、鬼頭平六氏の作品を批評されているし、解説の文章を引き受けられたことや対談をされたこともある。当然、鬼頭氏の秘書とも多少のやり取りはあったと見なせますな」
「確かに。そういう意味では、つながりはありましたよ。だけど、彼女の逃走を手助けするなんて、あり得ません」
 ニュースや週刊誌などで見聞きしたところによると、田ノ上アキラは現在、警察に行方を追われている。そう、鬼頭平六殺害の容疑で。
 実際、鬼頭を死なせたのは、この私ではなく、田ノ上アキラで間違いない。
 私は床に倒れている鬼頭の死体を見て、彼が田ノ上に突き飛ばされ、後頭部を強打した結果、亡くなったと早合点した。しかし、本当の死因は意外にも溺死だったのだ。この報道を知ったときの私の驚きようときたら――ああ、思い出すだけでも震えが来る。周りに知人がいたため、ショックを隠すのに非常な努力を要した。
 警察の捜査で、鬼頭は自宅の浴槽に張った水に、顔を押し付けられて死亡したものと判明。そんな溺死体が、野っ原で大の字になって見付かったのだから、無茶苦茶である。私の偽装工作は、何ら意味がなかった。それどころか、溺死ならまだ事故死の余地を残せたものを、小細工のせいで他殺の疑いを濃くしてしまった。解剖の結果、死因が溺死と特定できた上に、鬼頭の肺や胃、喉からは田ノ上の毛髪が何本も見付かっていた。
「彼女の居場所に心当たり、ないですか」
「ありませんよ」
 私は嘘をついていた。
 まあ、想像するに、田ノ上は鬼頭を溺死させたあと、濡れた死体を丁寧に拭き、髪の毛を乾かし、服を着替えさせたのだ。恐らく、年齢のいった鬼頭が普段の何気ない動作で足を滑らせて転倒、後頭部をしこたま打ったがために死に至ったというシナリオを思い描いていたに違いない。その程度の偽装で解剖が行われないと踏んでいたのだとしたら、とんだ無知だ。鬼頭平六がもし仮に推理小説をも書いていたら、秘書がこんな思い込みをすることもなかったろうに。
 あの日、そういった犯行をやってのけた彼女が、よりを戻すことを口実に、前もって私と会う約束を取り付けていたのは、アリバイめいたものをこしらえる意図があったんだろう。正確な死亡推定時刻なんて、一般人に予測できるものではなく、苦心のアリバイトリックを弄して、予測と大きなずれがあったなんてことになれば、目も当てられない。それならいっそ、曖昧模糊とした、ふわっとしたアリバイを用意して、運がよければ成立するだろうくらいの考えを抱いたとしても、不思議じゃない。
 一方、田ノ上のそのような思惑なんて全く知らなかった私は、会う約束に応じたときから、ある計画を立てていた。私のプライドを傷付けてくれた田ノ上アキラを殺害する計画を。
 とうに瓦解した計画であるので、今さら事細かに記す気力を持たないのだが、ざっと触れておくと、私は田ノ上を彼女の車の中で殺害し、そのまま人里離れた鬼頭宅へ直行。そこで鬼頭を自殺に見えるようなやり方で殺し、田ノ上殺しの罪を被せるつもりでいた。
 だから、鬼頭の家に上がり込んで、彼の死体を見付けた瞬間、私は驚きの叫びを上げるのもそこそこに、「ちぇ、これなら田ノ上の方を自殺に見せ掛けられる殺し方にしておけばよかった」と嘆いたものだ。まずいことに、私は彼女の腹を包丁で刺してしまっていた。
 さらに皮肉なことに、計画が狂って急遽、最寄りの港からこっそり海に投棄した田ノ上の遺体は、未だに発見されずに済んでいる。
「本当に知りません?」
 刑事は食い下がってきた。何故食い下がるのか。理由でもあるのか。
「刑事さん達もそれがお仕事だとは言え、あんまりしつこいと協力したくなくなるじゃありませんか」
「そう言われましてもねえ。一応、木本さんに話を伺う根拠はあるんですよ」
 ほら、やっぱり。隠していた。
「差し支えがなければ、その根拠を聞かせてもらいたいな。聞いた結果、場合によっては、積極的に協力する気になるかもしれない」
「そうですか。じゃあお話ししましょうかね」
 刑事は懐から紙片を取り出し、広げた。A4サイズと分かる。
「これはコピーなんですけど、鬼頭さんのパソコンにあった物です。執筆に使っていたパソコンに保存されていた、テキストファイルですな。私ら素人が見ても分かる、創作メモのようなもの」
 刑事は、ちらっとだけ表を見せてくれた。内容は全然読み取れなかったが、創作メモらしい箇条書きがどうにか視認できた。
「これ、最後に名前がわざわざ打ってありまして、鬼頭平六だけでなく、田ノ上アキラの名前も併記してある。多分、二人で考えていたんでしょう」
「ありそうな話です。鬼頭さん、アイディアの創出に苦しんでおられたようだから」
「興味深いのは、内容でしてね。ジャンルはどうやら推理小説みたいなんです」
「ええ?」
 鬼頭平六が推理物を? 似合わない。だが、時代物や歴史物の才能が枯渇し、商業小説で失敗した彼にとって、推理物に賭けようという狙いは分からなくはない。
「鬼頭さんの推理小説なら、私も読んでみたかった」
「メモだけでも読ませて差し上げたいところだが、捜査が優先なんで。まあ、さわりだけは今から話しますよ。女の犯人が、夫を殺し、そのアリバイ証明を愛人にさせるという筋書きで、印象からして、田ノ上さんが犯人役、鬼頭氏が夫役、そしてアリバイ証人が木本さんみたいなんですがね。人物属性や造形の設定が、それぞれそっくりでして」
「……」
「肝心なのは殺害方法だ。これがドンピシャリ。風呂場で溺れさせた夫を、転倒で頭を打って死んだように見せ掛けるというものなんですな」
「……」
 何て物を書き残してくれていたんだ。
「正直な感想を述べると、わざわざ溺死させた男を、転倒死に偽装するメリットが分からんのですよ。そのまま風呂場で溺れたことにすりゃいいのに。評論家先生なら、この粗筋の狙い、分かるんでしょうか?」
「生憎、推理小説は専門外でして……」
 前言撤回。
 鬼頭は推理物を書くべきではない。書こうとすら思ってはいけなかった。

――終わり

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