掌編小説『アイドルが“自己”主張するときは』

        あらすじ

所属タレントでアイドル声優の優衣が突如、仕事をしたくない、辞めたいと言い出した。芸能事務所社長の田野木は理由を聞き出そうと四苦八苦。ようやく聞けた訳に頭を悩ませることに……。


         本文

 社長の田野木たのきは長髪をかきむしりながら言った。
優依ゆいちゃん、急に辞めるだなんて冗談じゃないよ」
 それから両手を広げたり、上下させたりとオーバーアクションを付け加える。その様や喋り口調に恐さはないが、これでも怒っているのだ。
「でも」
 優依が一言、話そうとするのへ、社長は言葉を覆い被せる。
「やっと主役クラスを勝ち取って、これからというときに。何故よ?」
「その……」
 発言権が巡ってきたのを探るかのごとく、間を取ってから優依は答え始めた。
「声優だけならいいんですけど、イベントで唱ったり踊ったりはしたくないっていうか」
「何かと思ったら。あのさあ」
 さして広くない事務所の一角で、社長のため息の音が大きく聞こえた。とうに立ち上がっていた彼はデスクに片腕をつき、もう片方の手でジェスチャーを交えながら話す。
「声優のアイドル化が顕著になってから、もうかなりになるよね。君だって、声優を志望してきたくらいだから、その辺の事情を知らなかったはずがないじゃない」
「もちろん承知してましたけど、私は面接のとき、ちゃんと言いました。アイドル声優をするつもりはありません、声優一本でやっていきたいですって」
 さすがに表情を険しくする優依。しかし、田野木社長も負けていない。
「僕はそのときの面接官じゃないし、詳しくは知らないからねえ。だがね、今や声優一本と言っても、歌や踊り、トークに写真集まで含めるもんだよ、うん」
 暖簾に腕押しとばかり、あっさりかわされ、優依は「そんなぁ」と声を上げた。俯いて、“じと目”で見上げる彼女に、社長はさらに説いて聞かせる。
「だいたい、君みたいないかにもアニメ声を出せる子なんて、掃いて捨てるほどいる。その中から、まったくの素人で表現力も大したことなかった君を取ったのは、ルックスよ、やっぱ」
「……」
「あ、今は違うけどね。つまり、君をここまで育てるために、それだけ投資してるんだから、我々としても辞められると非常に困るし、損害を蒙る。番組スタート前とはいえ、役を降りるとなるとなおさらだ」
 静かに口を尖らせた優依を前に、社長は慌てて言い繕った。そしてそれはあながち嘘ではない。
 優依はでも、なおも首を横に振った。
「役を降りたいんじゃありません。お金がいるなら何とかしますから、歌や踊りだけは勘弁してください」
「馬鹿々々しい。唱わないんなら、役も降ろされるに決まってる。ロッシー、アンディ、ジェリーで三人組なんだから」
 ちなみに、優依はアンディの声を当てることになっている、のだが。
「じゃあ、番組が始まるまではイベントを入れないでもらえないかなあ……」
 椅子に腰掛けたまま、両方の手のひらを、指先だけ合わせてお願いのポーズをする優依。
「ふうん。それでどうなるの?」
「何話分かアフレコが終わったら、私、顔か足に怪我をするの。そうしたらイベントに出なくてもいいでしょ?」
「あのね」
 田野木社長はこれ見よがしに嘆息してみせた。椅子を軋ませて座り直すと、机に身を乗り出す。
「どうしてそこまで嫌がる? いつだったか、打ち上げのカラオケでは乗り乗りでリズム感もよかったし、運動神経もいいじゃない」
「とにかく人前が嫌なんです。上がり性で……」
 再び下を向きながら優依は言った。社長は即座に応じる。
「カラオケのときだって大勢いたよね。上がり性ってのも嘘だな。君が人見知りするところを、見た記憶がないんだよね」
「う~」
「他に理由があるんじゃないの。ま、どうせ、アキバ系、オタクと直に接するのが嫌とかだろうけどさ」
 お見通しさ、と明後日の方角を向いた社長に、優依から抗議口調の反論が上がる。
「そんなことないですよ。兄はそれ系の人ですし、私も子供の頃はたまに行きましたから、コミケ」
「ふむ。そういえばそうだったっけ。お兄さんに会ったことあるが、確かにあれは筋金入り。――じゃあ、何でよ」
 向き直った社長。真顔で見据えられ、今度は優依が目を逸らした。
「うーん……友達に知られたくない」
「全然、説得力ないな。今さら」
「声優をしてきたせいか、顔を出すのが恥ずかしい」
「昔、『特Qくん』のコダマ役をやったとき、小さい子を相手のイベントに出たし、そうそう、『スペースリーナ』ではラジオのイベントに他の人達と一緒に出て、ちゃんとこなしてたんじゃなかったかしらん」
「今度の『美レンジャー』が好きになれない、とか言ってもだめよね。……もう思い付かないよー」
 やり取りが途切れたところで、社長は「当たり前だ」と言った。
「辞める訳に行かないの。分かってるだろうに」
「……声優、辞めようかな。できちゃった結婚ていうことにでもして」
「ゆ、優依!? まさか?」
 社長は椅子から飛び上がった。優依は横を向いたまま、つんつんした調子で言う。
「嘘です。『ていうことにでもして』って言ったでしょ。本当だったら、認めてくれた?」
「そ、そりゃあ、そうなったときは、一時休業って形になるかもしれない……いやっ、仮定の話はしない。それよりも、だ。やりたくない理由に加え、そうまで本当の理由を言いたくない事情ってのは何なんだい? 理解できない」
 疲れた様子を露に、椅子へどっかと腰掛けると、社長は背もたれに肘を掛けた。若干派手めのスーツに、皺が大きく波のように寄った。
 優依は社長を一瞥し、迷う素振りを覗かせた。腰を浮かせ、事務所内をぐるりと見回す。
「誰もいないですね?」
「ああ」
「……」
「何? 話してくれるんじゃないの?」
「田野木社長。社長は私を守るためなら、どんなことでもできます?」
 声を小さくし、社長をじっと見つめる。
「ん? 守る、か。まあね。何と言っても、うちの大事な商品の一人だから、社長としては全力を挙げて守ることになる。これ、当然ね」
「これから話すこと、他の人には絶対に喋らないでくださいね」
「いいとも」
 軽く請け負った社長だが、優依にはそれが不満かつ不安だったらしい。眉根を寄せて、首を傾げる。
「社長が分かってるのか分かってないのか、私、分からない。重大な話なんです。本当に、物凄く重大な」
「……優依の気持ちは今、やっと理解できた。僕も本当に真剣な気持ちで聞くから、話しておくれ」
 田野木社長は優依に目を合わせた。普段の彼女にはない、厳しい雰囲気が漂っている。
 一分近くそうしたあと、優依が口を開いた。
「この前のお正月、私、里帰りしたでしょ?」
「無論、覚えてる。たっぷり二週間。てっきり、いつも通りの海外旅行だと思っていたから、少し驚いたね」
「実を言うと、実家で過ごしたのは一週間だけで、あとの一週間は、ツーリングしてたのよね」
「ツーリングって……バイクでかい?」
 幼い顔立ちや細身に似合わず、優依は免許を取って以来、バイクを乗り回している。250CCだったのがすぐに満足できなくなったようで、400CCに変えていた。
 優依は黙って首肯し、続けた。
「知らない土地を走ってみたい、と洒落込んだんです。その六日目、山陰のある町を走っていたときでした」
「ちょ、ちょっと待て。事故ったのか? 交通事故だな?」
 先回りした社長に、優依はにっこりと微笑んだ。
「そうなんです。夜で、月も星も出てなくて、見通しが悪くて。前方に、自転車が見えたんです。小太りのおばさんが漕いでました。私は車道の後方を見、余裕があると確認して、自転車を追い越しに掛かったんです。そして、私のバイクとその自転車が並んだ形になった、ちょうどそのとき」
 打ち明け話が佳境に差し掛かり、唾を飲んだ社長。それでも口の中が乾いている気がした。
「脇道から、乗用車が出て来ました。自転車の左側からです。自転車は、右に大きく膨らみました。私の方に寄って来る格好になります。私が一瞬でも早く追い越せていたら、問題なかった。でも、場所が……運悪く、カーブした上り坂で、スピードはそれほど乗ってませんでした。だから、私のバイクも右に膨らむしかなかった。だけど、後ろから来ていた車のライトが気になって。私、最小限の距離を取ったつもりだったのに……自転車に接触して、転倒させてしまったんです」
「……それで」
 掠れ声で尋ねる。優依の声は対照的に、しっかりとしていた。
「やってしまった!と思って、左寄せしつつ、ブレーキを掛けました。もちろん惰性でしばらく進みましたけど。それから乗ったまま、メットを取って様子を見たんです。後方では騒ぎになっていました。それがどんどん大きくなる……。私、恐くなって逃げました」
「……自転車のおばさんはどうなったんだ」
「翌日、新聞を買い、隅から隅まで見ましたが載っていませんでした。休みが終わるので、仕方なくこちらに戻ってから、地元の新聞社に電話で問い合わせてみました。そうしたら、亡くなった、と」
「電話したのか? まさか、名乗らなかっただろうね?」
「はい。答を聞いたら、すぐに切りました。電話したのも公衆電話からです」
「何という……」
 淡々とした物言いの優依に対し、田野木は絞り出すような声になった。文字通り、頭を抱えた。しばし机を見つめた彼だが、はっとして面を起こす。
「じゃ、じゃあ、優依ちゃん。顔を見られたって訳かい?」
「分かりません。あのとき、メットを取らなきゃよかった。取ったから顔を見られた可能性あるし、そうでなくたって私、結構特長あるでしょ、この長い髪とか。バイクのナンバーは大丈夫と思いますけど」
 自慢のロングヘアを撫で上げる優依。
「つまり……君が歌や踊りが嫌だっていうのは」
「全国規模の番組で顔が出たら危ないですよね? 事故が、全面的に私の責任じゃないにしても、人一人死んでいるのに逃げたっていうのは」
 優依の問い掛けに頷いてから、田野木社長は深く吐息した。全身の悪い空気を吐き出すかのように、ゆっくりと。
「どうしたもんかね……」
「え? 警察に言うかどうか、迷ってるんですか?」
「違うよ。優依ちゃんをそんな扱いする訳ないってば。最初に約束したしね。僕が今考えてるのは、どうやれば役を降りずに切り抜けられるかってこと」
 左手人差し指を曲げて作った、第二関節の角を眉間に当てる。こつこつ、こつこつと何度も。
「髪をばっさり切って、アクセサリーとかごたごた付けてみるか。プチ整形をしてもいいな。いや、しかし、今度のアンディ役はストレートロングで、清楚なイメージだから、かけ離れるのはいかにもまずい……」
 独り言をぶつぶつやり、頭のあちこちを掻く社長。デスクを挟んで彼の正面に座り、両頬杖をついて待っていた優依が不意に口を開いた。
「社長、本気ですね」
「あのね、当たり前だって言ってるだろ、さっきから」
 顔も上げず、ぶっきらぼうに返事した。すかさず、優依の声が耳に届く。
「怒らないでください」
「怒ってないよ。ちょっと苛ついてるの」
「そうじゃなくって。これから私の言うことに怒らないでって」
「ん?」
 やっと顔を起こして、優依を見た田野木社長。
 優依は何故か、笑うのを堪えている風だった。
「ごめんなさい。今までの話、全部嘘なんです」
「――はあっ?」
 体勢を整えようとした刹那、肘を机の縁にぶつけたが、痛みを感じている暇がない。
「ど、どういうことだ、優依!」
「もう、怒らないでくださいってば。悩まなくていいんだから、少しぐらい喜んでくれてもいいのに」
 しれっとして言うお抱えタレント。社長は机をどんと叩いた。
「説明をしろ、説明を。悩まなくていいってことは、事故も何もかも嘘で、歌や踊りなんかの仕事はきちんとやるのか?」
「やりますよー」
「~っ。訳分からんね。何で嘘をついた? 社長の僕がどこまで大事にしてくれるか、試したのか」
 口角泡を跳ばす勢いの田野木に、優依は「きゃあ、かみつかれるっ」などと言って、まだ引き延ばしをはかる。もう一度、机をどん!とやると、ようやく真面目に答え出した。
「試すつもりもゼロじゃあなかったですけど、本心はもっと別のとこ」
「何だ、本心て」
「社長、喋り方がいつもと違ってワイルドですよ」
「いいから話せ」
「はい。あのですね、アイドル声優として活動したら、そこまでのレベルだと思われるのが嫌だったんですよ」
「何だって?」
 片目を瞑り気味に、分からないと首を振る。
「私、アイドル声優をするのは一向にかまいません。でも、女優もやってみたいんです」
「それと嘘と、どういうつながりが」
「先輩達を見てきて感じたことなんですけどね。アイドル声優をやったら、アイドル声優としか見てくれない、そんな気がします。アニメ声だと外国の映画の吹き替えに使ってもらえる確率低いし、アイドルや歌手としてもいまいち中途半端。一部の特別な世界での人気や支持を否定するんじゃないけど、私はそれ以外の世界も覗きたいってこと。そのアピールとして嘘をついてみました、みたいな」
「……分かったような、分からないような……」
「あら」
 重ねて首を捻る田野木に、優依はさも心外そうに頬を膨らませた。そうして一転、顔をほころばせて言った。
「私、女優の才能あると思いませんか? だって、若くして芸能プロダクションを切り盛りする田野木社長その人を相手に、嘘をつき通し、信じ込ませたんですよ?」
「……」
 声優を引退したあとも安泰かもしれない、と思わないでもない田野木だった。

「あと、社長の倫理観、やばいかも」
「う~っ。さっきのは一時の気の迷いだ!」

――終

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