短編小説『白の奇跡よ、黒く染まれ』(1/3)

        あらすじ

 三月十四日の朝、ホワイトデーの名にふさわしく、雪が積もった。
 田町由香莉は想いを寄せる桜井茂から、バレンタインでの告白に対する返事を聞くために、通っている高校の第二理科準備室で早朝から落ち合う約束をしていた。
 今の時季、当地では珍しい積雪という奇跡に後押しされて期待を膨らませる彼女だったが、準備室に入ってみて驚愕することになる。桜井が死んでいたのだ。
 警察の捜査が始まる中、一男子生徒の名和は、幼馴染みの田町が犯人にされてしまうのではないかと心配でならない。そんな彼が出会ったのは、学内探偵を称する石動なる男子。二人は協力して真相解明に動く。


         本文

 ホワイトデーの朝、街がきれいに雪化粧した。
 天が名称のホワイトに合わせた訳ではない。そうと分かっていても、特別に気を利かせてくれたように感じる。ただでさえ滅多に雪が積もらない地域にいて、三月に一面の銀世界を見られるなんて。
 だから結構期待してしまった。奇跡も起こるんじゃない?って、気持ちが高ぶる。気温の割に身体は火照っていて。発売されたばかりのデオドラントの封を切り、スプレーしてみた。桜の香りを仄かに纏う。それでも興奮を抑えきれない。高校へと向かう途中、足取りが軽くなるあまり、前のめりに転びそうになったくらい。そうか、桜の香りのせいかもしれない。
 もちろん冷静になってみれば、雪は街のみんなに等しく降り注いだ。私だけの奇跡じゃない。それでも望みを託したくなる。
 彼、桜井茂さくらいしげるは私、田町由香莉たまちゆかりの告白にきっと応えてくれる。
 信じて、約束していた場所に急ぐ。彼が入り浸っている第二理科準備室へと。
 時刻を見ると、まだ五分くらい早い。けれども桜井茂は多分いるだろう。まさかの雪に、寒さで縮こまっているかもしれない。走ろう。校舎の中に入ったから、もう滑る心配はないはず。
 上履きにきちんとかかとを入れる手間も惜しんで、私は急ぎに急いだ。短い数段のステップを駆け上がり、一階の廊下を走っていく。誰もいないその空間を突っ切るのは心地よくもあり、若干の不安も感じたり。
 教室の札が見えた。第二理科準備室。鍵のことを忘れていたけれども、関係ない。さっき想像したように彼が返事のために来ているんだ。遅れてくるはずない。開いているに違いない。
 扉の取っ手に手袋をしたままの指先を掛け、横に引く。するっと開いた。息を整えるのを後回しにし、私は呼び掛けた。
「桜井君」
 決して広くない準備室は、ドアを全開にすれば中の七割方は見通せる。
 次の瞬間には、私は黙り込み、空唾を飲んでいた。
 桜井茂は、床に倒れていた。仰向けのままぴくりともせず、頭から血を流している。改めて返事をもらうのは、もう永遠に無理だとしれた。壁際にある長机の影に若干なっていたけれども、身体全体に生気がないのはすぐに分かった。苦しさ故か歯を食いしばりつつも、無理に開けて必死に呼吸しようとしたかのような、恐ろしくも滑稽さの滲んだ表情が、嫌でも印象に残る。
 奇跡は起きなかったが、私はするべきことをしなければならない。叫びたいのを堪え、桜井の身体のそばまで寄る。跪いてから、ポケットをまさぐる。そうしながら脳細胞をフル回転させ、ようく考えた。
 結論。第三者が入れぬよう部屋に鍵を掛けてから人を呼びに行く。

      *      *

「元々今は自習の多い時季だから、あんまり嬉しくないな」
 名和翔一なわしょういちは板書された文字を理解してから、ぽつりとこぼした。靴を履き替えたときに移ったのか、袖口の雪を払う。
「もっと嬉しくない事態になってるようだぜ」
 珍しく先に来ていた牛尾実彦うしおさねひこが、自身の席に座ったまま言う。教室を入ってすぐの最前列が、牛尾の机だ。
「今朝は早かったんだな。合流しないから寝坊したのかと思ったよ」
「俺には関係ないと分かっていても、ホワイトデーだとそわそわしちまって、早く目が覚めたんだよ。学生鞄、忘れるくらいにな」
 見ると、牛尾の机にあるフックには、白い買い物袋が掛かっている。「まじで忘れたのかよ」と呆れ口調になる名和。
「まともな授業はないし、これでいいだろって思ったんだ」
「だいたい、バレンタインならまだしも、ホワイトデーにそわそわって何だよ。まあいいや。自習の理由は? 普通に考えれば、嬉しくないってことはないだろうに」
「それがまさに嬉しくない事態に関係している。まだ正式に発表された話じゃなく、噂だけど、桜井が死んだらしい」
 急にひそひそ声になる牛尾。名和も声の音量を落とした。
「……死んだ?」
 桜井茂、クラスメートの一人。分類するなら、ちょい悪か。男から見れば“やな感じの二枚目タイプ”でよさが分かりづらいが、女子には結構人気がある。
 名和も牛尾も特別に親しいとは言えないまでも、普通に会話したり遊んだりはする仲だった。
「ああ。昨日から家に帰ってなかったみたいだ。でも、あそこの両親は共働きで、割と放任主義だったろ」
「そう聞いた。桜井もたまに外泊してたって。もしかして、どこかとんでもなく離れた地方で見付かったとか?」
「真逆だよ。見付かったのはここ。学校の中。まだ分からないけど、恐らく第二理科準備室だな。あいつがよく出入りしていたし、様子を見に行ってみたら、警察が来てテープ貼ってたし」
「警察、来てるんだ?」
 学年ごとの教室がある棟と、理科室などの特別教室のある棟は別々で、距離もあるためか、様子はほとんど伝わって来ない。
「学校側、騒ぎになるのをなるべく先送りしたいのかね。捜査員ていうの? 刑事や鑑識の人なんかをこっそり入れたんじゃないか。これは完全に想像だけどな」
 校内は携帯端末の類は一切禁止なので、情報漏洩はないはず。校内にくまなくジャミング装置を据え付けている訳でなし、飽くまでも建前としては、だが。
「で、牛尾。嬉しくない事態ってのは何さ?」
「お、そうだった。第一発見者として、田町さんが話を聞かれてる」
「田町さんが。何で?」
 クラスメートの顔を思い浮かべ、険しい表情をなす名和。女子の中では最も親しい同級生だ。
「だから、第一発見者」
「じゃなくて、どうして田町さんが第一発見者なんかになるんだ? さっきの話から推測して、見付けたのは今朝早くだろ? 田町さんが早朝、理科準備室に用があるとは考えにくい」
 第二理科準備室は、超常現象解明サークルが活動する際に、学校及び生徒会側の厚意により使わせてもらっている場所である。そしてそのサークルの主宰が桜井茂。だが、メンバーに田町由香莉は含まれていない。
「馬鹿、忘れたか。ひと月前のこと」
「……馬鹿と言われるほどのことではないと思うが、忘れていたよ。田町さん、桜井にバレンタインのチョコをやったんだっけ。本気の」
 正確には、忘れようとしていたから思い出さなかった。名和は田町とは幼馴染みのご近所同士で、恋愛感情を持ったこともある。高校に入ってからはそうでもなかったのだが、彼女がバレンタインデーにかこつけて、桜井に本気の告白をしたのだと知ったときは、多少動揺した。桜井が同じクラスにいることが、名和にとって今後何かと憂鬱にさせられる種になるのではないかと。
 と、その時点で、田町がふられるなんてあり得ない、桜井も即座にOKを出したのだろうと思い込んだ名和だったが、事実は違っていた。後日、田町が語ったところによれば、ひと月後のホワイトデーに正式な返事をするからと言われたそうだ。
 これでもまだOKしたも同然に思えた名和だったが、当の田町が言うには、ライバルが二、三人にて、桜井は迷っている節があると睨んでいた。自分が選んでもらえたなら奇跡だとも。
「今日、返事をもらいに行ったってことね。なるほど。……桜井が殺されたんだとしたら、ライバル達の中に犯人がいるって寸法か」
「警察の考えは知らんし、第一、殺されたかどうかもまだ不明。ただ、下手すると、田町さんが疑われるかもしれないぞって話」
「――」
 名和は自分の机には向かわず、Uターンして教室を出て行こうとした。その制服のベルトを、牛尾が後ろからぎりぎりのところで掴まえた。
「何をするつもりだ?」
 潜めた声で聞かれて、名和は「言うまでもないだろ」と答えるつもりだったが、ベルトから伝わる力の強さに、ふいっと冷静に戻れた。
「……何もできない。少なくとも現時点じゃ、情報が足りないな」
 だいたい、彼女はどの部屋で事情を聴取されてるのだろう。校舎内にいるのかどうかさえ、確証はなかった。
「行動するのは、もうちょっとあとでも大丈夫だと思うぜ。いきなり犯人扱いで連れて行かれるようなことでもあれば、大いに慌てるしかないが」
「そうだな」
 そういうことにしておこう。でないと神経が保たない。

 田町は約一時間後、通常であれば一時間目の授業の最中に、教室に来た。ドラマによくある流れだと、半日から丸一日は警察に拘束されているイメージが漠然とあったが、実際はそうとも限らないらしい。
 名和達は話をしたかったが、担任教師の中田がすぐあとに続いて入って来たため、それはならず。ホームルームが始まり、中田先生からは大まかな状況説明と、もしもマスコミから接触があっても一切応じないようにと注意があった。そして今日の残りのスケジュールだが、授業はテストの答案返却のみで他は取り止めとし、生徒は一斉下校と決められた。明日以降のことは各家々に今夜にも連絡が入るが、基本、通常通りに行う方針という。
 そうして迎えたイレギュラーな放課後、そして下校。足元に気を付けないと、溶け始めた雪が靴を濡らし、スリップも誘発しそうだ。
「一緒に帰れるってことは、疑いは晴れたのかな」
 牛尾が田町に、妙に明るい語調で聞いた。機械いじりが好きで没頭しがちな牛尾は、普段興味のないことには自分から口を挟まない。今お喋りに興じようとするのは、事件への関心と、田町を元気付けようという二つの気持ちが合わさってのことかもしれない。
「うーん、その辺りも含めて、あんまり言いふらさないでって注意されてるんだけど」
 手櫛で髪をすき上げる田町。肩を少し越えるぐらいの長い髪が、ふわっと広がる。何か花のような香りが漂う。
「黙っておくから。僕らから先には漏らさないようにすればいい」
 名和は牛尾に調子を合わせた。告白相手が死んでしまい、さぞかし精神的ショックを受け、落ち込んでいるだろうと心配して、情報の共有を図ったのだ。が、当の田町は案外、平気なように見える。
「そういうことにしとこうかしら。正直な気持ちを言うと誰かに聞いて欲しいっていうのはある、うん」
 両手の指先に息を吐きかけ、さらに擦り合わせてから田町は続けた。そこまで寒がるような気温ではないはずだが、もしかすると、事件を起因とする小刻みな震えが来ているのだろうか。
「色々と事情を聞かれて、何度も同じことを繰り返し答えていたのよね。それが、刑事さんと話してる途中で男の人が入ってきて、メモを渡して耳打ちして出て行った。で、新しい質問をされたわ。『昨日の夜十時頃、どこで何をしていましたか』って」
「昨日の夜のアリバイを聞かれたって?」
 名和は牛尾と顔を見合わせた。二人とも同じことを察知していた。
「死亡推定時刻が、三月十三日の午後十時前後と出たんだな。それで、田町さんはアリバイがあったんだ?」
 昨日は下校のときに一緒じゃなかったせいもあり、田町が途中で寄り道したのか、帰って何か特別な予定があったのかといった話は、全くしていない。夜の十時という時間帯に家族以外のアリバイ証人がいるとは、果たしてどんな場合か。
新井あらい先生、家庭教師の新井先生が九時過ぎに来られて、四月からの方針を決めていたの。本当はもっと早めに来てもらうつもりだったのが、雪のせいで遅れたのよね。結構時間を食っちゃって。先生が帰ったのが、十時を三十分は過ぎていたわ」
 女子大生の新井作美さくみは、田町の家庭教師をするようになって半年ほど。田町家とはそれ以上でも以下でもない関係だから、アリバイ証言は認められるだろう。
「逆に疑問なのは、桜井はどうしてそんな時間に、学校に残っていたのか」
 次に来る当然のクエスチョン。名和の発言を受けて、牛尾は関連する疑問点を挙げた。
「そもそも、どうやって残れるんだ?」
 彼らの通う高校では、午後八時の最終下校時間を過ぎると、当番の職員が見回って九時までには閉め切られる。通常なら夜間、その職員が残ることはなく、遅くとも十時には学校を出る。
「どこかに隠れていたとしか。トイレとか?」
「トイレは確か、横開きの金属製のドアがあって、夜八時を過ぎると、見回りのときにトイレスペース全体が完全にロックしちゃうんだよ。隠れていたら閉じ込められて、朝まで出られない」
 どうして牛尾がそんなことまで知ってるんだろうと、多少気になった名和。だが、今はそれどころじゃない。
「隠れるとしたら、教室よね。見回りって言っても、一つ一つじっくり確認してるわけじゃないんだし。閉じ込められていい覚悟があるなら、容易いんじゃない?」
「確かに。掃除道具入れの中や教卓の内側とか。そうそう、理科準備室だって狭いけど、棚が立て込んでいる上に、物がごちゃごちゃ置いてあって見通し悪いよな」
「もし仮にだけど」
 名和はあることに思い当たった。
「殺人だとして、夜の十時に校舎内で殺されたのなら、犯人はどうやって逃げた?」
「それは、うーん」
 牛尾は田町に、細めたその目を向けた。
「田町さん、刑事から何か聞いてないか? 校舎の戸締まりがどうだったか。一階のどこかの窓一つでも内側から開いていれば、犯人はそこから逃げたことになる」
「ううん、その辺りの話は何にも。考えてみれば、私が発見したとき、すでに学校は普通に始まっていたんだから、どこそこの窓がいつの時点で開いていたなんてこと、分かりっこないんじゃない?」
 なるほど、筋が通っている。名和は思った。
「極論するなら、犯人は犯行後も校舎内に止まり、学校が始まるのを待っていた可能性だってある。窓の鍵を開ける必要がなくなるね。寒さに震えつつ、だけど」
「どうなんだろ。うーん、分かっていることをはっきりさせたいな」
 牛尾は切り口を少し変えた。
「田町さんは今朝、何時に返事をもらう予定だった? 香水までして気合いを入れてたみたいだが」
「これ香水じゃないわよ。一応、制汗剤」
「この寒さで?」
「今朝は身体が熱い感じがしたのっ。ま、桜の香りだから、無意識の内に相手の名前と結び付けてたのかもしれないけど」
「この匂い、桜か」
 関心が薄い男子二人はお互いに目を合わせ、首を縦に振った。
「話を戻しましょ。私が約束していたのは七時五十分。登校してきたのが七時四十五分ぐらいで、五分早いけど行こうって思ったのを覚えてるわ」
 何事もないように答えた田町。一方、男子二人は「え?」となった。
「もしも先客がいたら、どうする気だったのさ」
「先客? ああ、ライバルが返事をもらっているところだったらってこと?」
「そうそう。何番目に返事をもらえるのか、事前に聞かされてはいなかったんだろ?」
「うーん、先客がいても気配で分かると思ったのかな。あんまりよく覚えてない。興奮してたし、高揚してたし」
「他に来る予定だった女子って、誰だか分かる?」
「ええ、もちろん。三人いて、二人は渡部わたべさんと児島こじまさん」
 渡部千穂ちほ、児島聡美さとみはともに名和達のクラスメートだ。タイプはだいぶ異なる。渡部は髪が茶色がかった巻き毛で、身体は比較的大柄で発育がよい。そのせいで遊んでいると見られがちだが、実は文学少女の側面を持つ。児島は黒髪ショートの高身長で、見た目通りのスポーツウーマン。ただ、幽霊やUFO等の超常現象好きでいわゆる“不思議ちゃん”がちょっと入っている。児島はバレーボール部、渡部は文芸部所属で、桜井主宰のサークルには校則で掛け持ち禁止のため入っていない。入会せずに、勝手に集まる分には止めようがないが。
「もう一人は、四組の大森隆子おおもりたかこさん。知ってる?」
「いや――もしかして、成績上位の貼り出しでよく見る?」
「そう。頭いいのよ。しかも桜井君と同じ中学出身で、元から仲がよかったの。私が一番の強敵だと思っていたのは大森さん」
「彼女達に、何時に会う予定になっていたのか、聞くべきかな?」
 名和が牛尾に意見を求める。
「何のために? 事件が起きたのは夜十時前後なんだから、関係ないだろ」
「たとえばさ、四人の順番を前もって知った誰かが、誰が断られて、誰がOKをもらえるかを想像して、独りよがりな結論に行き着いたとしたらどう? 断られるのを知って、他人に取られるくらいならと」
「動機の方か」
 合点が行ったように、首を縦に小刻みに振った牛尾。一方、田町は急にふくれっ面になった。
「ちょっと。どうして私も容疑者に入ってるのよ」
「え? そんなこと言った?」
 急いで思い返す名和。記憶力には自信がある。うん、言っていない。
「誤解だ。四人の順番を知った誰かがってだけで、順番を知った四人の内の誰かとは言ってないよ」
「え、そうだった?」
 これまた急に動揺を露わにし、田町は牛尾に救いを求めるような表情を向けた。
「ああ、こいつは田町さんを容疑から外しているよ、間違いなく。ていうか、端っから疑ってないだろ」
「もちろん」
 名和が請け合うと、牛尾は苦笑を浮かべたが、田町は安心したように息をついた。
「ついでかつ念のために、順番も確認しておこう」
 名和は田町に対して口を開いた。
「先生に異変を知らせに行ったあと、準備室に戻ったんだよね? そのあと、さっき言った三人が次々に来たはずだけど」
「そうね。私のあとが渡部さん、次に児島さん、最後が大森さんだったわ。おおよそ十分間隔で」
「ふうん。桜井の奴、意外と配慮がなかったんだな」
 死んだ者を悪く言いたくはないが、つい口走ってしまった。そんな名和に、田町が僅かに気色ばんだ様子で聞き返す。
「どういうこと、配慮がないって?」
「い、いや、それは言い過ぎたけど。誰にOKと答えるにしたって、田町さんを含めた同じクラスの三人を続けざまに呼ぶなんて。せめて一人、間に大森さんを挟めば、クラスメート同士が顔を合わせる可能性が減るじゃないか」
「……分かったわ」
 口をつぐんだ田町に代わり、牛尾が「第一、桜井はもてるから」と切り出した。
「もてるから、その全員がバレンタインにチョコをプレゼントしたとは限らない。行動に移せなかったって子も多いんだろうな。そういうのを想定したら、容疑者なんて絞れる訳がない」
「それもそうだ。動機だけじゃ無理か……」
「男子だって、好きな子が桜井君にばかり目を向けていたら、動機があるってことになるわよね」
 田町がさらりと言った。動機だけでは絞り込めないと結論を出したばかりなのに、そんなことを言われては、名和でなくとも少なからず狼狽する。が、田町の言葉にそこまでのニュアンスはなかったらしい。
「桜井の所持品がなくなっている、なんてことはなかったのかな。財布とか電話とか」
 別の動機がないか一応聞いてみる名和。
「財布も電話もちゃんとあったって。財布はズボンのポケットで、電話は床に転がっていたそうだけど、いじった形跡は特になしだって。衣服や学生鞄もね」
「金品目当てではないか」
「そりゃそうだ。金が目的なら、学校にいる人間をわざわざ狙うかよ。それも高校生を」
 牛尾が一蹴したところで、会話が途切れた。そのまま三人それぞれの分岐点に差し掛かり、少しばかり不穏なお喋りは切り上げられた。

 帰宅した名和が、母親に学校での出来事を伝えると、意外にも冷静に受け止めて聞いてくれた。そもそも、明らかに早く下校した息子に対し、何ら不思議がるところがない。それもそのはず、前もって学校から連絡が回って来たらしく、早ければ今晩にも保護者を集めての説明会が開かれるかもしれないという。
「テレビでは何か言ってた?」
「いいえ」
 言いながら、親子二人してつけっぱなしのテレビに目をやる。ちょうどニュースが始まった。先にローカル枠だったが、まだ記者発表が行われていないらしく、事件が報じられることはなかった。当然ながら全国枠も同様。正式かつ新たな情報が出たのは、結局、午後三時のニュースまで待たねばならなかった。
 その報道によると、桜井の死因は頭部を強打したことによるもので、警察は事故と他殺の両面で捜査に当たるらしい。死亡推定時刻は前日の夜九時半から十時半までの間と、少し幅を持たせてあった。遺体となって見付かった場所は校内とだけ出て、学校名はおろか区域名まで伏せている。インタビューを受けている生徒や保護者の映像もなかった。
「高校のOBに警察の偉いさんがいるっていう話、聞いたことがあるわ。ひょっとしたらその人が手を回して、マスコミを押さえつけているのかもね」
「へえ。何て人?」
 母親の口コミに、名和は何気ないふりをして食いついた。万が一にも、田町への疑いが強まるような事態になったら、その人に頼むことで事態の打開になるのではないかという思惑があった。
石動いするぎさんだったかしら。そうそう、あんたと同じ学年に、お孫さんだか甥っ子さんだかがいるとかいないとか」
「あやふやだなあ」
 口ではそう言いながらも、名和は“いするぎ”という名前を脳裏にしっかり刻んだ。あとで調べてみよう。
 自室に入った名和は、まずニュースで言っていたアリバイの時間帯を思い、改めて心配した。「田町さん、アリバイ大丈夫なのかな」と。下校中の会話を思い起こす。
(あのときは十時前後のことしか頭になかったから、注意が向いていなかったけれども。確か、家庭教師の滞在が……九時過ぎから十時半頃だと言ったはず。犯人には学校まで行き来する時間も必要だし、つまりアリバイ成立だ)
 改めて安堵する。無論、彼女は犯人じゃないと信じている。ただ彼女が疑われるのだとしたら、それだけでもたまらなく嫌だ。その無実を信じる気持ちを強めるためには、彼女に一瞬でも疑いの目を向けねばならない。矛盾が名和の心を苦しくさせる。
「犯人が早く捕まればいいのに」
 素直な気持ちを声に出してみて、犯人探しの衝動に駆られた。だが、どんな手順で進めればいいのか。現実に、聞き込みをして、他の生徒を疑ってという行動が取れるかというと、かなり高いハードルだ。
 ドラマや漫画みたいに探偵に依頼すれば……なんて空想したが、すぐに打ち消した。刑事事件、それも殺人に携わるような探偵は現実にはほぼ皆無であると聞くし、仮に見付けたとしても、依頼料を払えるとは思えない。霞や雲を食って生きる仙人のような探偵がいれば、無料で受けてくれるかもしれないが。
 そこまで想像して、ふっと思い浮かんだのが最前母がした話。石動という同学年の生徒が警察有力者の親族であるなら、今から近付いておいて損ではあるまい。
 名簿を調べると、四組に石動右手那うてなという男子がいると分かった。他に石動姓は見当たらない。名簿と言っても、クラス分けを知るための物なので、電話番号や住所は記載がない。さて、四組には誰か知り合いがいたっけかと名和が新たにリストを目でサーチしていると、電話が鳴った。
 当の石動からだった。

 五分後、石動右手那は名和の家の前までやって来た。溶け始めた雪だがまだ白く、そこに学生服姿の人物がいると、コントラストが際立つ。校則では校外での私服OKにもかかわらず、学生服をきっちり着用した彼は、生真面目なタイプなのだろう。銀縁眼鏡と高校生にしてはやや多めの白髪のせいか、どことなく老成した雰囲気があった。背は百八十センチほどあるが威圧感を欠いていて、でも押しには強そうな、しなやかな古木のイメージ。
 その第一印象はさておき、突然の接触に訝る名和に対し、石動は実は学内探偵なのだと身分を明かした。
「学校に関係する揉め事・トラブルが起きたとき、速やかに解決することを求められている。代わりに、そのために必要な力を行使する権限を付与されてもいる。たとえば全生徒の住所や電話番号、メールアドレスといった基本的パーソナルデータや、もう少し踏み込んだ誰と誰が同じ小中学校出身でどのくらい親しかったかというエピソードデータにアクセスする権限」
「待った。そのデータは、どこの誰が収集したものなのなんだ? そもそも、君に権限を与えているのは学校なのか? だとしたら、何故、君が選ばれたのか」
「まとめて質問されても、答える時間は変わらないぞ。データ収集は主に学校が行っている。元は、いじめなどの兆候を事前に察知するために始められたとされるが、その頃のことは大昔の話なので、詳しくは知らない。適切に運用され、特に問題がなければ、卒業と同時に破棄される。無論、在校生と紐付けされているデータは残さざるを得ないのだが。権限を僕に与えたのは、学校と警察だ。学内探偵のシステムは、ちょうど十年前から試みられていて、基本的に警察関係者の子息から選ばれる。学校は一応、聖域の一種だからね。何かトラブルが起きたからと言って、外部の力、特に警察を中に入れることを毛嫌いする向きが少なくない。そこに僕のような学内探偵が必要とされ、活躍する余地が生まれる」
「……今朝、警察が来た割には、あんまり騒がしくなかったのもそのおかげか」
「そのようだけど、僕は表立って警察に協力する訳じゃない。直接立ち会ってもいないから、よくは知らない」
「能力を疑う訳じゃないが、今までの実績は?」
「残念ながら実績はゼロだ」
「何だ」
 拍子抜けするとともに、がっかりもした。石動は心外そうに付け足す。
「飽くまでも、学内探偵としては、だ。学校関連の事件がこれまでに起きていないのだから、仕方がないだろう」
「じゃあ、学外なら、実績はあるっての?」
「ある」
 そうして石動は耳打ちレベルの小さな声で、ある有名な強盗殺人事件を挙げた。
「公表はされていないが、この事件を解き明かす重要なポイントを見付けたのは、僕だ。僕の進言によって、警察は事件解決に至った」
「本当なら凄いけど」
 確かめようのないことを持ち出されて、少々困惑を覚えた。そんな名和のこぼした台詞を、石動は気にした様子もなく、時刻を確かめる仕種をした。
「さて、自己紹介するには充分時間が経った。本題に入らせてもらおう」
「あ、ああ。ぜひ、彼女を守って欲しい」
 と、今度の名和の台詞には、眉間にしわを寄せた石動。
「何を言ってるんだ、君は。彼女とは田町由香莉を示している?」
「もちろ――」
「勘違いしているみたいだな。僕は君の依頼で来た訳ではないし、田町さんをピンチから救うために来た訳でもない。君に呼ばれた覚えもないしね」
 それもそうか。名和は思い出した。こちらか接触を図るつもりだったのが、向こうから来たのだ。自分の思い込みを恥じつつも、不満を込めて聞き返す。
「じゃあ何をしに来たんだよ」
「……本当に、何も分かっていないようだ。事態を客観視することを覚えなければいけない」
「客観視? つまり、僕自身の……?」
「君は容疑者の一人なんだよ、名和君。そうでなければ、簡単に僕が身分を明かすはずがないじゃないか」
「僕が?」
 名和は馬鹿みたいに自分を指差した。


つづきは
(2/3)https://note.com/fair_otter721/n/n8c4abdd70b02
(3/3)https://note.com/fair_otter721/n/neb36a46f4868


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