短編小説『白の奇跡よ、黒く染まれ』(2/3)

「そうだろう? 僕が掴んだ情報では、亡くなった桜井茂を巡って、四人の女子が争っていた。内一人が、第一発見者でもある田町さん。その田町さんに恋心を抱いていたのが君だ」
「そ、そんなこと、誰が言ったんだ」
 動揺を隠しきれず、名和は目元を赤くした。
「全ては小さな出来事の積み重ねだよ。僕はこの情報に信を置いているが、今の名和君の反応を見ると、念のために確認しないといけないな。この情報が偽りであるのなら、申し立てを聞こう」
「……嘘じゃない。合っている。過去のことだけど」
「過去だ昔だのは通用しない。客観的には、君が桜井茂を妬むあまり、手を出したという見方が成り立つんだよ」
 口をきけなくなった名和。しかし、ショックが去るのは早かった。そして、石動の言い方に最低限の配慮があったおかげか、怒りや焦りも不思議と感じないでいた。
「状況は理解したよ。ということは、君は……何をしに来たんだ」
「まずはアリバイだね。昨日午後九時半からの一時間。どこで何をしていたのか」
「昨日は学校が終わって、クラスの奴と一緒に少し寄り道したから、帰宅は夕方の五時過ぎで……」
 記憶を手繰るが、肝心の時間帯には家族と一緒にいたとしか言えなかった。
 名和は、これでは容疑は拭えないなと、恐る恐る石動を見返す。学内探偵はどこか満足げに頷いていた。
「なるほど。名和君がなかなか正直者らしいことは分かった」
「え? どういう意味?」
「すでに僕は、田町さんには一応のアリバイが成立していることを知っている。君も同様だろう。それならば、自身のアリバイ作りに彼女を利用できたのに、しなかった。たとえば、問題の時刻、彼女から自宅の固定電話に電話が掛かってきて、君が出たとかね。現段階では、電話の発信記録に照会する権限は僕にはないから、真偽を知りようがない」
 それは買い被り、もしくはうがち過ぎというもんだと名和は思った。単に、田町由香莉を利用した偽のアリバイ作りを考え付かなかっただけのこと。仮に考え付いていても、実行はしなかったが。
「そんなあとでばれそうな真似はしないよ。正直に答えるしか、僕にはできない」
「ふむ。では一つ、朗報をあげよう。実は午後九時半以降、翌日の登校時間帯を迎えるまで学校を出入りした人物はいない。防犯カメラと学校の近所に住む人の目撃情報で確かだ」
「防犯カメラは分かる。近所に住む人の目撃って?」
 普通、目撃者と言えば「学校を出た人物がいる」という場合であろう。いないものを目撃したとは、どういう意味なのか。
「昨夜九時半というのは、雪が止み、一帯にうっすらと積もった頃合いなんだ。学校の近所のとある家から、道路の雪を眺めていた人物がいた。いわく、学校の門の前に積もった雪がきれいなままだったという。生徒が変死したとの噂を聞きつけて、わざわざ証言を寄せてくれた第三者だから、信頼に足る。門を通らずに出入りするには、ブロック塀を乗り越える必要がある。だが、見られていると知らない限り、そんな真似をする意味がない」
「いや、門の鍵を開けられなかったとか、足跡を残したくなかったとか」
「門の鍵といってもかんぬきを下ろしただけの物で、簡単に開けられる。足跡にしたって、いかなる足跡なのか分からなくなるよう、ぐちゃぐちゃに踏み潰して進めばいい」
「う、それもそうだ」
「唯一、桜井の死を病気か事故に見せ掛けたかった場合は、足跡やそれに準ずる痕跡を雪に残したくないだろうが、人間の頭を殴打しておきながら、犯人は他に特段の偽装工作をしていない。つまり、病死や事故死に見せ掛ける気はなかったと言える」
「……あのさ、今さらっと言ったけれども、桜井が頭を殴打されていたのは確実なのか?」
「痕跡は二箇所あった。内一度は、現場にあった顕微鏡で殴りつけてできた傷らしい。要修理として、別に分けておいた物だから、計画的な犯行ではなさそうと言える」
「そうか」
 他殺か、よくて過失致死。
 名和は、自分の置かれた立場を思い出した。
「僕はやっていないからな」
「分かっている。いや、やっているかいないかはまだ知らないが、さっき言った足跡の件があるから。無闇矢鱈と犯人呼ばわりはしないよ」
「足跡のことを把握していたのなら、何で僕にアリバイを尋ねた?」
「反応が見たかった」
「それだけ?」
「まだ捜査中なんでね。それに名和君のアリバイは証明されたも同然じゃないか」
「ええ? 何でだよ」
 本人が言うのもおかしな話だが、名和は自身のアリバイが成立した実感がまるでない。
「下校したからさ。雪に足跡がなかった事実に対し、現時点で考えられる最もシンプルな答は、犯人は下校せずに校内にとどまり、朝を迎えたというシナリオだろう。目撃者の存在を知りようがないのに何でそんな行動を取ったのか、寒さを堪えられたのかっていう疑問は残るけどね。とにかく君が下校したのは間違いない。その後九時半までに再び学校に出向いた可能性は無論あるが、そんな怪しげな行動を取れば、防犯カメラに映ったとき、弁明のしようがない」
 弁明できないからしなかったとは断定できまいが、恐らく警察は学校周辺の防犯カメラ映像を、目を皿のようにしてチェックするのだろう。
「うん? ということは……」
 誰にも犯行が不可能なんじゃないか。脳裏にそんな命題が浮かんだ名和。足跡がないことを理由に犯行は誰にとっても不可能だったと結論づけられたとしたら、結局、アリバイがあっても容疑の圏外に出たとは言えなくなる。その旨を名和が訴えると、石動は予期していた風に首肯した。
「もちろんそうなる。当初、戸締まり当番が怪しいと考えたんだが、昨日その役目だった西谷にしたに先生は、八時五十分に学校を車で出ていた。電子記録及び街の防犯カメラ映像、その後に立ち寄った飲食店での目撃証人と、アリバイは完璧だ。そしてまずいことに、寒さと雪のせいで、意識的に早く帰ったと言っている。見回りを急いだせいだろう、校内には誰もいないと思い込んだ訳だ。桜井茂がいると気付いていれば、あるいは彼が死ぬことはなかったかもしれないのにね」
 名和は話を聞きながら、社会科の西谷先生の容貌を思い浮かべた。五十代半ばだがそれ以上に老けた外見。おじいさんと言って差し支えないくらいだ。髪が後退気味なのと猫背が年寄りの印象を強くしている。犯行が可能かどうかとなると、体力的にどうかと思うし、動機は不明。それでも一つ、思い付いたことがあったので口にしてみる。
「もし仮にだけど、西谷先生が犯人を手引きした可能性は?」
「ないと考えている」
 とっくに想定済みだったらしい。石動は即答した。
「西谷先生に限らず、教職員の誰かが手引きしたと仮定しよう。その人が出勤してきた時点で、犯人はすでに車の中にでも潜んでいたことになる。それから長時間待機して、夜になって行動開始。犯行をなした後に校内のどこかに隠れて、朝までやり過ごす。それから出勤してきた協力者の車の中に、再度隠れる。そこまではいい。このあとが問題。警察が来た時点で、簡単に下校できやしないよ。犯人は袋の鼠だ」
 一端話を区切ると、石動はしばらくの間、沈思黙考した。名和に値踏みする風な目線を投げ掛け、かと思うと、己の手の中の何かを確認するような仕種を見せた。
 話が長引いているし、家に上げるべきかなと名和が考え始めた矢先、石動の口が再び開く。
「どこまで話していいものか、迷ったんだけど。とりあえず、君自身は実行犯たり得ないし、信用してみることにする。そこで質問なんだが、名和君は第一発見者の田町さんから、現場の状況を聞いているかい?」
「う? うーん、ちょっとだけ」
 警察からあまり喋るなと田町は言われたらしいので、慎重に答える名和。
「鍵の状態については?」
「鍵? いや、それは全然」
 大きな動作で首を左右に振った。
「鍵は、田町さんが第二理科準備室に来たときには、開いていた。これって少々不可解だよね。前夜、戸締まりを受け持った西谷先生は、見回りこそいい加減なところがあったものの、マスターキーによる戸締まりは厳格にこなしたと明言している。当然、現場である準備室も施錠された。知っての通り、各教室の鍵は職員室の一角で管理される。特別な事情がない限り、その全てが返却されていなければならない。実際、昨日は全ての鍵が午後六時過ぎには揃い、その後は使われていないと判明している。そしてどんなに遅くとも午後八時五十分以降、全ての教室は施錠されていたと言える。ならば、九時半から十時半の犯行を、犯人はいかにしてやり遂げたのか?」
「えっと、まさかこれって、密室とかいう……」
「そうなるね。雪の件を含めれば、二重密室と言えなくもない。ただし、犯人が被害者とともに第二理科準備室に隠れ潜んでいたのなら、密室の謎は簡単になる。朝になるのを待って犯人は内側から開錠し、現場を立ち去ればいい」
 口ではそんな説明をしつつも、あまり信じていない気配が、口調の節々ににじみ出ていた。昨夜の寒さに加え、犯人にとってのリスクを考慮すると、遺体とともに現場にとどまるというのは承服しがたい構図と言えよう。昨晩の内から桜井の家族が心配して息子の居所を探し、校舎も調べようとなったらアウトだ。
「この説を採る場合、気になる点が少なくとも一つある。田町さんの証言では、準備室の鍵は桜井の制服のポケットに入っていたそうだ。おかしいだろ? くだんの鍵は午後八時五十分以降、職員室にあった。当然、職員室そのものにも鍵がかかって出入り不能になるから、犯人は持ち出せない」
「……いや、朝を迎えて準備室を抜け出た犯人が、早めに登校したふりをして、職員室に鍵を取りに行き、現場に舞い戻って桜井のポケットに入れたと考えれば」
「辻褄合わせというやつだよ、それは。犯人は何のためにそんなことをする? 現場を何度も出入りするなんて危ない橋を渡るだけで、メリットが皆無じゃないか。鍵を取ってきて外から施錠したならまだ分かるよ、発見を遅らせるためだとね」
 確かに。言われてみれば、頷かざるを得ない。名和はでも、田町が疑われているように思えたので、他の合理的な解釈を探す。
「桜井が死んだのが、朝だと思わせたかった、とかじゃないか。昨晩施錠されていた準備室の鍵が開けられて、中で桜井が見付かれば、普通、前の晩じゃなく、翌日の早朝に死んだとみんな考える」
「みんなが考えるかどうかは異論があるところだし、捜査能力を舐めすぎ。死亡推定時刻を調べれば、じきにばれる。いくら気温が下がろうとも、その事実を組み込んで時間を算出するのだから」
「――犯人以外の誰かが朝、鍵を取ってきて準備室に入ってみたら桜井が死んでいた。その誰かさんは驚いてしまって、とにかく鍵を持っているのはまずいと判断し、桜井のポケットに押し込んだ。これならどうだ」
「おお、さっきより随分ましだよ」
 石動はにやりと笑った。不謹慎だと思ったのかすぐにその表情を引っ込め、それもまだどことなく愉快そうな色を残しつつ、論をぶつ。
「その人物は何の目的で、朝早くから第二理科準備室なんてところに向かったのかな?」
「それは……想像するに……バレンタインの返事をもらいに。あれ? でも確か、返事を待っているのは四人で、一番は田町さんのはず」
「鍵に関する田町さんの証言が真実なら、残りの三人が、告白の答をもらう順番に関して嘘を吐いた可能性が生じるね。ああ、五人目が存在しないことは、こちらの情報網からして事実認定できるから、安心していいよ」
 田町が容疑圏外なら何だっていい。名和は心中でそう吐き捨てた。それから応える。
「田町さんのあと、三人はほぼ十分おきに現れたというから、桜井が十分おきに会う約束をしていたのも確定。となると、嘘を吐いたのは四番目しかいない。四番目以外が実は一番でしたってふりをしたら、嘘がその場で簡単にばれてしまう。つまり、大森さんだ」
「お見事。ただ、この説を採用すると、大森さんは現場に触れはしたが、犯人ではなくなるけどね。残念かい?」
「……論理的に考えてそうなるんだったら、しょうがない。それにさ、話を巻き戻すようで悪いけど、大森さんが嘘を吐いたっていう仮説を立証する術があるか?」
「警察では今朝方、第二理科準備室の鍵を職員室に取りに来た生徒がいたのか、いたのなら誰なのかを特定すべく、聞き込みを行っているそうだよ。女子なのは間違いないようだ」
 この学内探偵、情報を名和にちらちらと与えてくれつつも、大きなことを隠す傾向がある。多少の不信感を交えた視線をよこしてやると、石動は肩をすくめた。
「長居しすぎたようだね。このまま話し込むとお茶が欲しくなるから、ぼちぼち去るとしよう。それと名和君。今の仮説は、飽くまで仮説だ」
「それが何か?」
「大きな前提に立っていることを忘れないように。はっきり言うなら、田町さんの証言が偽りである可能性も検討しなければならないんだ」
「――」
「幸か不幸か、時間はたっぷりある。ちょっと考えてみてほしい。田町さんをよく知る、君の立場からね」
 そう言うと、石動はくるっときびすを返し、ぐちょぐちょと足音を残しながら立ち去った。

 意外に素直なところもある自分を発見して、名和は少し驚いていた。石動に言われた通り、別の可能性を検討し始めたのだ。田町の無実を信じての行為であるのは、論じるまでもない。
 当初、一人で考え始めた名和だったが、三十分もしない内にこれはよくないのではないかという思いが、鎌首をもたげてきた。一人でこそこそ考えなくても、田町にずばり聞けばいいのではないかと。
 その一方で、馬鹿正直に話せば、田町が機嫌を損ねることくらい、容易に想像できた。早とちりな面のある彼女のことだから、実態を上回る規模で名和を蔑むかもしれない。
 悩んだ名和が出した折衷案が、牛尾と二人で考えるという道。二人でならこそこそしているイメージは薄まり、田町にも隠し事をしていない証明になる。
「こんな用事なら、おまえの方が来いって言いたいぜ」
 牛尾は、名和の母親への挨拶を済ませて部屋に入るなり、荒っぽい口ぶりで言った。
「それは電話で説明しただろ。石動がまた現れるかもしれないから、こっちにいるのが都合がいいんだ」
 牛尾の家には石動が来ていないことを電話口で確かめ、名和はそう判断した。
「まあいいよ。俺は何をどうすればいい?」
 促された名和だが、話はほんの少し先延ばしに。母が持って来たお茶と菓子を受け取り、再びドアをきちっと閉めてからようやく本筋に入る。まず、石動から得た情報や推理を、なるべく簡潔にまとめて、牛尾に聞かせる。
「学内探偵なんて怪しげな存在だと思ったが、能力はありそうだな。門の前の雪とか目撃者がいたとか、俺達知らなかったもんな。おかげでアリバイ成立」
 冗談めかして言う牛尾。彼は自宅では離れに籠もって機械いじりをするのが日課で、家族によるアリバイ証言すら難しいらしい。今日も離れから直に学校に向かったという。
「朝飯どうしてんの? 飲み物はポットがあるからどうにかなるだろうけど」
 以前、離れに遊びに行ったときに見た情景を思い起こしながら、名和が尋ねる。牛尾は「食べないか、適当に菓子パンをかじる」と応じた。
「よく保つな~。こちとら、朝はあったかい白飯じゃないとだめだし、一人で食うのは寂しい」
「夕飯は家族揃って食べるさ。飯の話は切り上げて、本題に移れ」
「そうそう。要するに……田町さんが桜井の遺体を見付けた際の、鍵に関する証言についてなんだ。証言が偽りだった場合の検討をしてみたい」
「別にいいが、犯人特定につながるのか、これ?」
 首を捻る牛尾。考えるだけ無駄じゃないのかと言わんばかりだ。
「おまえと石動という奴の間で話した仮説だって、大森さんが嘘を吐いたってだけで、犯人が誰なのかには直接つながりはしない」
「うん、そうだけど、状況の整理に役立ちはしたと思う。とにかく、僕自身がすっきりしたいんだよ。だから……牛尾は田町さんが嘘を吐いたという前提で、筋の通った流れを考えてくれないか。僕がそれを崩す」
「ふむ。まあ、ゲームのつもりでやってみるか。ええっと? 田町さんは桜井の遺体を見付けてから、鍵をどうしたって?」
「鍵は桜井が身に付けていた。ポケットから取り出し、部屋に施錠した後、人を呼びに走った。施錠したのは、他の人達が現場に入るのを防ぐため」
「なるほどね。好きな男子が死んでいるのを見付けたばかりの割に、冷静に過ぎるきらいはあるが、理屈は合っている。さて、この証言が疑わしく見えたのは、鍵が桜井のポッケに入っていたことだ。実際には前夜、職員室に戻されたはずの鍵が。ここに嘘があると仮定する。換言すると、ポケットに鍵はなかったとしよう。田町さんにそんな嘘を吐く動機が果たしてありやなしや?」
 一気に喋って口中が乾いたのか、牛尾は出されたお茶――紅茶を一度に半分がた飲んだ。
「おい、確かめたいことができたぞ」
「何?」
「仮に鍵がポケットになかったとしても、第二理科準備室のドアに施錠したのは、間違いないんだろ。だったら、鍵は田町さんが最初から持っていたと仮定するに等しい。ということは、彼女は準備室に来る前に職員室に立ち寄り、鍵を借りた。その事実を隠したいとしたらどうだ」
「今日、三月十四日に鍵を最初に持ち出したのは自分ではなく、他の者ってことにしたいって訳? それこそそんな行動を取る意味、あるかなあ?」
「分からん。死亡したのが今朝だったのなら、桜井と最初に会った人物が最有力容疑者と見なされるだろうから、ごまかしたくなるかもしれないが、実際の死亡時刻は違うしな」
「あ。田町さんが犯行と無関係なら、死亡時刻を今朝と思い込んでも不思議じゃないぞ」
「そうか。いや、でも、容疑者扱いされたくないなら、第一発見者になるのを避けたがるんじゃないか」
「そこは、桜井を冷たい床にいつまでも横たわらせておくのが忍びなかったと」
「ううん、いまいち、ぴんと来ないな。なまくら刀で斬り合ってるみたいだぜ、俺達」
「自覚があるのなら、もっとしゃきっとした仮説を立ててくれ。僕が顔を真っ赤にして、必死で田町さんを弁護するような」
 名和が冗談半分でそう求めると、牛尾は足を組み直した。
「では……こういうのはどうかな。田町さんは昨日夕方、桜井と一緒に下校し、家に招いた。そこで殺害し、遺体を車で学校まで運んだ。家族も共犯なんだ」
「馬鹿々々しい」
 一言で切って捨てる名和。それだけだと名和自身のいらいらが晴れない。わざわざ言うまでもないのだが、「遺体をどうやって人に見られずに教室に運び込むんだよ、ばーか」と悪し様に罵ることで、ちょっとは鬱憤晴らしになった。牛尾にしたって、端から本気ではない。甘んじて受け入れる。
「だよな。他の可能性となると……嫉妬はどうだ」
「嫉妬? 話が見えないな、説明頼む」
「俺も思い付いたばかりでうまく言えないが、田町さんにとって鍵を職員室から持って来たことが、犯人に対して負けを認めるような形になるとかだったら、鍵は最初から現場にあったことにしたいんじゃないかなあ?」
「言いたいニュアンスは分かったけど、状況が特殊すぎやしない?」
「うーん、俺がぱっとイメージしたのは、複数の女性と付きっているモテ男がいて、部屋の合鍵を渡しているか否かっていうあれなんだけど。ドラマなんかでもたまにある」
 牛尾のその言葉を聞き、何かが閃いた気がした名和。
「……学校の鍵って、その気になれば複製できるのかねえ?」
「できるんじゃないか。実用第一、シンプルな造りだぜ」
「桜井は第二理科準備室をサークル活動に使うぐらい、入り浸っていた。こっそり、合鍵をこしらえていてもおかしくはない、かな」
「うむ。可能性を論じるだけなら、充分にありだろ。金さえあれば、鍵のコピーはできる。そもそも、元鍵があればそんなに高くないと思うし。持ち出すのだって簡単だ」
「じゃあ、桜井が合鍵を勝手に作っていたとしよう。それは付き合っている女子に渡すとかじゃないはず。決まった相手がいるのなら、今さらバレンタインで告白だの何だのって騒げるとは思えないから。だから、合鍵は自分のためだ。桜井は職員室に出向く手間を省くために、合鍵を作ったとする。もしこの仮定が当たっているなら、根本から考え直さなきゃならないんじゃないか」
 第二理科準備室の鍵が職員室に仕舞われ、昨晩の八時五十分以降は使えなかったとの前提が崩れるのだから。
「いや、待て待て。はっきりしない仮定を立てて可能性を追ったって、枝分かれの数が爆発的に増えるだけで、追い切れない」
 牛尾からストップが掛かった。
「なら、どうしろっていうんだ」
「合鍵を見たことないか、田町さんに直接聞け。彼女が知らなかったら、他の女子でもいいし、桜井と特に親しい男子もありだ。合鍵が実在するのなら、誰かが目にしているに違いない」

 一発目で当たりだった。
「ごめーん。騙すつもりじゃなかったの。ただ、桜井君が学校に内緒で合鍵を作っていたことが公になったら、色々と叩かれるんだろうなって想像したら、これは隠さなきゃいけないと思ったの」
 名和の電話による質問に、田町は名和の家まで駆け付けて弁明した。
「このこと、早く警察に言った方がいいよ」
 名和は怒らず、穏やかに促すにとどめる。牛尾の方は、もう一言二言、どやしつけたいことがありそうだが、どうにか飲み込んだ模様。代わりに、基本的かつ重要な問いを発した。
「頼むから、事実だけを話せって。桜井を見付けたとき、鍵はどうなってたのか」
「うん、だからね、部屋のドアは自由に開け閉めできる状態だった。桜井君が来ていると思ってるから、こっちは当たり前に開けたわ。じきに倒れている彼を見付けて、息をしていない、冷たくなってる、もう助からないと感じた。次に考えたのが合鍵のこと。隠し通すために、鍵が掛かっていたことにしようと一瞬思ったんだけど、あとでばれたら合鍵の存在を知っていた人が、私も含めて疑われる訳じゃない? 密室にしちゃうのはだめだと判断して、職員室に鍵を借りに行ったの」
「え?」
「借りたあと、一端準備室に戻って、そこで初めて遺体を見付けた風を装ったのよ」
「ええ? それだと、桜井のポケットから鍵を取ったっていう証言がおかしいって、疑われるだろ?」
「今のところ、何も言ってこない。朝の忙しいときだったし、鍵の貸し出しは厳密に記録を付ける訳じゃないし、何よりも先生達、大事な生徒の一人が死んだということで動転してるのかしら。警察に伝わってないみたいなのよ」
 そんな偶然が。論理的に考えていても辿り着けるはずがない。
「あれ? でもおかしいな。田町さんはその証言がまずいと理解してたんだろ。その上で、桜井のポケットに鍵があったと証言した理由は?」
 名和が率直に尋ねると、田町は思い出す風に斜め上を見つめた。
「鍵が開いていたのは事実なんだし、さっき言ったように密室にするとあとで疑われる恐れがあるでしょ。それと、桜井君が今日、バレンタインの返事をあの教室でする予定だったことも絶対にばれる。朝来た桜井君が、鍵を持って、中で死んでいたという状況が一番自然に思えたのよ」
「……何か変だな。納得できない。まだ隠してること、あるでしょ?」
 幼馴染みとして勘が働いたのかもしれない。もちろん、田町の言い分にすっきりしない点があるのも、追及を重ねた理由だが。
 名和がじっと見つめると、田町は顔を逸らし、ため息を吐いた。
「かなわないな。そうね、隠してること、あるわ。合鍵を預かっていたの、私なの」
「……」
 もう驚かないぞと、唇を噛みしめる名和。
「変に受け取らないで。特別な関係なんかじゃなかったんだから。単に、前日、桜井君から渡されたのよ。もしかしたら君の方が早く来るかもしれない、そのときはこの鍵で開けて待っていてくれって」
「それは昨日の何時頃?」
 牛尾が横手から質問する。
「鍵を受け取った時刻? お昼休みだったわ」
「昼か。分かった。話を続けてくれ」
「――それで、桜井君が倒れているのを見て、合鍵をどうしようって思った。駆け寄って、彼の服やズボンのポケット全てを探って、他に鍵がないことを確かめた。それから自分のポケットから合鍵を取り出して、考えた。準備室の鍵はかかっていなかったと正直に伝えたらどうなるか。前夜、戸締まりされた準備室が、遺体発見時点でまた開いていたということは、鍵を開けることができた人物が怪しまれる。正規の鍵がどうなっているのか知らないけれども、合鍵の存在がばれたらまずい。
 じゃあ、鍵が掛かっていたことにする? それもだめ。合鍵を持っている人物が怪しくなる。どっちにしてもよくない状況よね。だったら、私も曖昧な証言にすればいいんじゃないかって。あとで矛盾に気付かれても、多少のことなら、死体を目の当たりにしたショックで混乱していたから、で許される。そう踏んだのよ。さっきも言った通り、桜井君のために合鍵の存在を隠したい気持ちもあったし」
 田町の話が終わるや、名和と牛尾は同時に口を開いた。
「その合鍵は、今どこにあるの。いつまでも隠しておくのはよくない」
「アリバイ成立したんだろ。だったら正直に話した方がいい」
 声が重なり、分かりにくい。言い直すのを互いに譲り合ったが、結局、名和の言葉が優先された。
「合鍵は学校にあるわ。手元に置いておくのが怖くて」
「学校のどこ?」
「職員室。入ってすぐのロッカーの裏に放り込んだ」
 何てとこに隠すんだ。警察からすれば確かに盲点かもしれないけど。名和は呆れると同時に、感心もした。
「ま、まあ、ああいう場所なら、落としてしまったと言えば、どうにか言い繕えるか」
 次に、牛尾の言葉に移る。
「合鍵の件も含め、全部警察に伝えなって。それが田町さんのためだし、事件解決にもつながるんじゃないか」
「うん。理屈では分かるんだけど、やっぱり怖い気持ちもあって」
 踏み切れない様子の田町。名和は、ある名前を思い浮かべた。
「だったら、警察に直接じゃなく、学内探偵に話してみればいいんじゃないかな」

 名和家は“千客万来”となった。
 名和の母は、事件が起きたせいでみんな不安になっているから集まりたがってるのねと解釈したらしく、特別なこと――事件に関する重要な話し合いが行われるとは思っていないようだ。
「ゆっくりしていってね」
 そんな優しげな言葉を残して、ドアを閉めると、ぱたぱたとスリッパの足音も高く、去って行く。
「と言われたからって、ゆっくりしてもいられない」
 石動は単刀直入に始めた。田町に向けて問う。
「何か重大な証言があると聞いた。皆のいる前でも問題ないんだね? じゃあ話して欲しい」
 促された田町は、最前、名和や牛尾に伝えた通りのことを改めて話した。
 石動は、そんな告白をどう受け止めたのか。いくつかの指示や依頼を電話でしたあと、しばらくは黙したままでいた。が、やがて手のひらを凝視する仕種をしたかと思うと、田町に質問をした。
「念のための確認になるけど、合鍵は一本だけ? 新たにコピーが作られてはいない?」
「そのはず、です。桜井君が言っていた。たくさん作っても、先生にばれやすくなるだけだって」
「その合鍵、昨日預かってから、誰かに又貸ししたり、一時的にでも紛失したりはなかった?」
「も、もちろんです。大事な鍵なんだから」
「その大事な合鍵を、昨日の昼休みから今朝まで、ずっと持っていた」
「そうよ」
 どぎまぎしているのが手に取るように感じられた田町だったが、徐々に慣れてきたらしい。石動の方もようやく穏やかな顔つきになった。
「それなら大勢に影響なしだね」
「え、そうなのかい」
 無意識の内に聞いたのは名和。嬉しいことなのに、予想外の反応だったため、つい確認したくなったのだ。
「合鍵があっても、アリバイのある人物がずっと保持していたのなら、なかったのと同等だよ」
「そう……なのかな」
「雪の件があるから、死亡推定時間帯の午後九時半から十時半の間、学校が一種の密室状態だったことにも変わりがない。要するに、田町さんの行動に説明が付いたというだけのこと」
 それならばまあ喜ばしいことではあるが、どこか腑に落ちない名和。
「それとも何かい? もしかして名和君が彼女から合鍵を借りて、夜の学校に塀を乗り越えて侵入し、犯行を成し遂げたとでも?」
 名和は頭を左右に激しく振った。
「ならば合鍵の話は決着だ。まあ、確認は今取ってもらっているけれども。それよりも、僕が再度、ここに足を運んだのはもう一つの目的があったからで」
 名和から田町に視線を移動した石動。
「田町さんが確実にここにいると分かったから、来たんだ。聞きたいことがあるんだけど、答えてくれるかな」
「え、ええ」
 またどぎまぎが戻って来た様子の田町。名和は思わず、身を乗り出していた。
「そんな恐い顔をしないでよ、名和君。僕は粛々と探偵業に精を出すだけさ。疑いが晴れたら速やかに立ち去るし、必要であれば謝罪もする」
「……何か新しい発見があったのか」
「鋭いね。できれば人払いしたかったんだけど、君の家に来ておいて君に出て行けでは通らないだろうし、このまま進めるよ。――桜井茂の遺体を詳細に調べたところ、その制服の表面、胸や腹、背中から女性の毛髪が見付かった。色調、長さから田町さんの髪と非常に類似している。現在、より詳細に照合中だ。尤も、自然に抜け落ちた髪らしく、それだと完璧なDNAの鑑定は困難が予想されてね。田町さんの母君にDNAを提供してもらえるのが望ましいのだが、現状では強制できない」
 一息に喋られて理解に時間を要したが、つまるところ、現場に田町由香莉の物と推定しておかしくない毛髪があった。完璧な鑑定は難しいので、本人に直接聞きたいという経緯らしい。
 名和と牛尾は田町を振り返った。彼女はきょとんとして、それから小首を傾げた。
「それが何?」
「毛髪は極最近に抜けたものだ。仰向けの遺体の上半身に、上から落ちた感じだね。昼休みに会ったときに、胸や背中はともかく腹に着くとはなかなか考えにくい。昨日も結構寒かったから、制服の上を一時的に脱いだとも思えない。仰向けの桜井茂を見下ろす姿勢が一番納得が行く。昨日から今朝にかけて、田町さんは桜井に対してそういう体勢になった覚えがあるか、聞かせてもらいたい」
「何事かと思ったら。そりゃそうよ」
 緊張が解け、笑みを浮かべた田町。
「朝、私が桜井君を見付けたとき、すぐそばまで近寄ったと言ったでしょう? そのタイミングで髪が落ちたのよ、きっと」
「最初は僕もそう推測し、スルーしそうになった。だが引っ掛かるものがあって、ちょっと立ち止まってみたんだ。田町さん、君は今日の朝から、桜の香りをさせていたそうだね。今もだけど」
「香り付きの制汗スプレーを使ったから……」
「なるほど。ところで、遺体に付着していた毛髪は、スプレーを浴びた形跡はないようなんだ」


つづきは
(3/3)https://note.com/fair_otter721/n/neb36a46f4868


序盤は
(1/3)https://note.com/fair_otter721/n/n0b54a2ac223c

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