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喜びを与える人に―太宰治『正義と微笑』に学ぶ

Ⅰ 太宰治『正義と微笑』と出会う


 「なりたい自分」は、一生かけて目指し続けるもの、私はそんなふうに思っている。私が目指すのは、人を喜ばせることができるようになることだ。

 そう思うようになったきっかけは、今から25年以上前の大学時代に遡る。文学を専攻していた私は、卒業論文で何を取り上げるか、さんざん迷った末に、太宰治の『正義と微笑』(1942)という中編小説を取り上げることにした。

太宰治(1909〜1948)

 小説の主人公は、ブルジョワ家庭の少年である。小説は彼が16歳から18歳まで記した日記という形式をとっている。主人公は、16歳の誕生日にマタイ福音書の聖句をもとに、「微笑もて正義を為せ!」というモットーを作る。タイトルは、このモットーから来ている。

 キリスト教における、最大の正義は、イエスが十字架上の死によって、全人類の罪を帳消しにしたこと、つまりイエスが全人類に示した無償の愛である。だから、「微笑もて正義を為せ!」というモットーは、微笑しながら愛を実行しよう、つまり人を喜ばせよう、という意味である。

 主人公は、別居し、危機的な状況にあった姉夫婦の仲を取り持ち、身近な人を喜ばせる。身近な人に対して、モットーを実行することができたのである。主人公は、身近な人を喜ばせたことに自信を得て、今度は舞台俳優になって、自分の演技で観る人を喜ばせたいと願う。
 
 その願いを叶えるために二つの劇団の入団試験を受ける。自分に対して敵意をむき出しにしてくる俳優がいる劇団は、合格するが、入団を取りやめる。もう一つの、審査員が感じがよくて、自分の理想が叶えられそうな劇団の方に入る。そこで猛特訓を受け、初舞台を踏むのだ。

 作者の太宰は、演技で観る人を喜ばせたいという少年の願いに、小説で読者を喜ばせたいという自らの願いを重ね合わせている。このことは、小説の巻頭に掲げられた賛美歌からわかる。芸術で人を喜ばせたいという少年の願いは、作者太宰の願いでもあるのだ。

 大学時代の私は、少年の、そして太宰の願いに心から共感して、この小説を取り上げた訳ではない。舞台を観るのが好きで、舞台俳優に憧れていたために、これといった訓練も積まずにオーディションに合格し、俳優の道に踏み出す少年を羨ましく思っていただけである。

Ⅱ 喜びを与える人に

 卒論で『正義と微笑』を取り上げてから、25年以上が経った。太宰が亡くなった年齢もはるかに過ぎた今、私は思う。人を喜ばせたいという、主人公及び太宰の願いは、私の人生にとって、アルファでありオメガではないかと。
 人を喜ばせることができるような人こそが、私にとって、なりたい自分である。人を喜ばせたいと願い、生涯をかけてその実現に努めることこそが、なりたい自分に近づくことである、そう思っている。

 では、私にできることは何だろうか。私は教えることを生業にしているので、工夫を凝らして、目の前の子どもたちに読むことの楽しさを体感してもらえるようにすることである。また、ふだん接する人―親族、友人、職場の人―に笑顔で接すること、そして相手を思いやる言葉をかけることである。

 もう一つは、太宰が小説を書いたように、noteで批評やエッセイといった文章を書くことである。文章を書くことを通して、読む人に喜びを届けたい。
 
 太宰は志半ばで入水自殺を遂げた。私には太宰のような文学的才能はないけれど、自殺しないで生きて行く図太さと鈍さはありそうなので、残りの人生を賭けて、人を喜ばせることに邁進して行きたい。


『正義と微笑』は、青空文庫でも読めます。太宰の中期といわれる、生活が安定した時期に書かれており、ユーモア溢れる作品です。『人間失格』だけをお読みになられた方は、イメージが変わるかもしれません。



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