キャリアは未来をいかに捉えるかという「心の目(mind eye:認知構造)」にかかっている
ニュートン力学によると
マクロな世界では、原理的には
「未来は決まっている」と
考えられます。
マクロな世界とは私たちが
日常的に目にする、身のまわりの
世界です。
一方、量子論(量子力学)によると
ミクロな世界では常に一定の
不確実性があり、
「未来は決まっていない」と
考えられます。
ミクロな世界とは、電子や原子核
などの、ごく小さなものの世界です。
しかし、マクロの世界は
ミクロな粒子からできているはず
ですから、この矛盾をどう考えたら
よいのでしょう。
具体的にどこからどこまでがミクロで
どこからがマクロなのでしょう。
「未来が決まっているもの」と
「決まっていないもの」が、宇宙には
共存しているのでしょうか。
多くの人が思春期になった頃から
あるいはもっと早くから、
「自分は一体何者なんだろう」
「宇宙の果てのその先は
どうなっているんだろう」
「この世界にはじまりはあるのか?」
という疑問をもち、生涯これに
かかわることになります。
わかりやすくいえば「哲学」です。
人間が他の生き物と違うのはこの点で、
あらゆる疑問の中で
「人間とは何なんだろう」が
最大の疑問です。
この問題は人類にとって
その文明とともに古くからある、
ある意味では、人類共通の永遠の
テーマでもあります。
人間はその文明の源から
この問題を考えてきました。
そして、宇宙の全体を神々の物語として
理解しようとした神話の時代の後に、
同じ自然世界をもっと合理的な説明の下で
理解したいという欲求から、
2つの学問が生まれました。
それらの2つの学問は、
あたかも双子の兄弟のように
いつも一緒に成長してきた学問で、
それが「科学」と「哲学」です。
「科学」は、宇宙全体の組成や構造を
客観的な事実の側面から
理解しようとします。
「哲学」は、人間にはそうした理解や
説明がなぜ可能なのかを
問いかけるとともに、
そのような能力をもった人間が
宇宙の中に存在する意義についても
反省します。
これらの2つの学問は歴史の中で常に
不即不離の形で発展してきたのです。
私たちは毎日の生活のなかで
あれこれ感じたり、考えたり、
悩んだりしています。
毎日無数のことを感じたり、
考えたりして生きています。
自分の将来について思いを
はせているだけでも、何となく
自分自身を超えた、何か非常に大きい、
とてつもなく深い世界を目の前にして
いることに気づかされます。
”哲学”という思考の営みは、
この何となく自分自身を超えた、
何か非常に大きい、とてつもなく
深い世界について私たちが感じる、
素朴なミステリアスな感情と
密接に結びついていますが、
私たちが生きて考えたり悩んだり
している、この毎日の現実を見つめる
一方で、とてつもなく大きな
宇宙全体という極限の世界のことも
同時に意識して、私たちの現実世界を
それとの関係のもとで考えようと
するのです。
たとえば、
"どんな時にも人生には意味がある。
未来で待っている人や何かがあり、
そのために今すべきことが必ずある"
これは「生きる意味」に着目する
「ロゴセラピー」
(Logotherapy)の創始者
ヴィクトール・E・フランクル氏の
名言です。
過去から今を考えるのではなく、
"未来から今を考える"
ロゴセラピーの大きな特徴です。
フランクルは、人間には意味を求める
根源的な心の働きがあると考えました。
その根源的な心の働きを「意味への意志」
(will to meaning)と名づけ、
人間とは、人生に「生きる意味」を
求める存在なのだといいます。
そう感じられるならば、人は、
その辛い状況に耐えられると考えました。
一方で、「意味がない」と感じてしまうと
心の力がなくなり、生きる力が弱いものに
なっていってしまうというのです。
生涯に「27」の名誉博士号を
取得したフランクルですが、
決して学問一筋だったわけでは
ありません。
20世紀最大の悲劇と言われた
ナチスの強制収容所を生き延びた
心理学者であり、その時の体験を記した
『夜と霧』(みすず書房)は
世界的ベストセラーになっています。
友人の哲学者キルケゴールに
「君は精神医学の才能があるのだから
素直にそれを認めよ」と言われ、
”精神医学的自己実現”に向かって
生きることを決心したのだとか。
フランクルは強制収容所での
日々を冷静に観察し、
あることを発見しました。
悲惨な状況にありながらも、
それに「よく耐えた人」と
「耐えられなかった人」の違いです。
厳しい逆境に「よく耐えた人」は、
こんな特徴を持っていました。
「ナチスの強制収容所で証明された
ことですが(さらに後に日本と朝鮮でも
アメリカの精神科医たちによって
確認されたことですが)、
満たすべき使命が自分を待っていることを
知っている人ほど、その状況に
容易に耐えることができたのです。」
強制収容所の囚人たちに
フランクルは問いかけました。
「未来にあなたを待っている
誰かはいないか?」
「未来のために、今、すべきことは
何かないのか?」
この問いに対して、ある囚人は、
外国で子どもが待っていることを
思い出しました。またある人には、
やりかけの仕事が残っていました。
未来で待っている「人」や「仕事」、
つまり、「使命」を意識できると
「意味への意志」が満たされて
辛い状況に耐えることができたのです。
フランクルは、私たちが
理解できない究極的な意味が
この世の中には存在し、
それをのちに「超意味」と
命名したと述べていますが、
人は、しばしば避けられない苦しみを
受けなければならないことが
あります。
本人はなぜ、自分がこのような
仕打ちを受けなければならないのか
理解できません。
しかしながら、そのような場合にも
何らかの意味を実現する可能性が
潜んでいる、と
フランクルは考えたのです。
人間は宇宙の進化の終点では
ありません。
さらにその先の次元があります。
人間の苦悩の究極の意味に関する答えは、
この人間の世界の向こう側に
あるのではないか?
これがフランクルのいう
「超意味」の意味です。
すなわち、
この主張が正しいとするならば、
私たちが人生の課す苦悩に意味が
見出せない時、人生の意味深さを
理性で把握する能力に欠けている
自分自身に、ただただ耐えざるを
得ないことになります。
だからこそ、
フランクルは、人の主要な関心事は、
快楽を探すことでもなく、
苦痛を軽減することでもなく、
”人生の意味を見出すことである”のだと。
「人生の意味を見出している人間は
苦しみにも耐えることができるのである」
フランクルの人生の目的(生)は、
「人々がそれぞれの人生の目的を
見つけるのを手助けする」ことに
ありました。
時代を超えて読み継がれる
超ロングセラーになったのも
人間精神の崇高さに着目して
描かれたものであるからだと
思います。
ビジネスにおいては、
絶対的に成果が出る”正解”は
もはや幻想であります。
なぜなら、誰もが思いつく
実現可能な選択肢を選んでいる
だけでは、人が無価値になる
時代がやってくるからです。
”生きる意味の問い直し”を
求められている現代では、
キャリア(Career)に関する概念や
その意味も次第に変化してきました。
すなわち、
単なる仕事の経歴だけではなく、
「その人自身の人生の生き方そのものと
その表現の仕方」として統合的に
捉えられるようになってきています。
これからの時代に大切にしたいのは、
「キャリアスパイラル」という考え方、
これまで経験してきたことを大切にしつつ、
未来を見据えて必要な知識、スキルを
身につけ、いついかなる時も
「キャリアを磨き続ける」という
姿勢が求められるのです。
長い人生の過程においては、
「社会・価値・興味関心が変わる」
と考えられ、当然ながらそれに伴う
キャリアステージにおいて
キャリアに対する意識・態度・行動は
発達ととともに変容します。
ことに中期キャリアの時期は、
発達ステージにおける中年の危機に
あたり、多かれ少なかれ誰もが
自己のアイデンティティの揺らぎを
経験する時期でもあります。
たとえば、
Schein, E. H. は
「中期キャリア危機35-45歳」を
現状維持かキャリアを変えるか、
新しいより高度な仕事に進むか決定する。
家庭とキャリア間の欲求における葛藤が
発生し、その問題解決を行うために
さまざまな努力が必要となる。
Jung, C . は
40歳を「人生の正午」とし、
午前の人生から午後の人生への
過渡期 (transition)であるとしました。
すなわち、外的世界への適応から
自己の内的世界への「個性化」
( individuation)に向かう根本的転換が
起きる時期であり、自己の人生に対する
洞察を深める重要な時期と捉えています。
一方Sheehy,Gは
中年期に限らず成人期に
人は何度もtransitionを経験し、
人間の発達過程での自然なプロセス
であるといっています。
こうした変化の狭間である
各ステージごとの移り変わりの時期には、
それぞれ過渡期 (transition)が存在し、
安定期に比べ、不透明で不安定な時期
(career crisis)と一般的に
考えられていますが、
逆に、過渡期の存在があるからこそ、
そこでいったん立ち止まり自己と深く対峙し、
自分を見つめなおすことによって
自己のキャリアをさらに”質的”に
新しく発展させる自己再生
(self renewal)のための
好機でもあると思っています。
キャリア開発において重要なことは
キャリアサイクルと”transition”を
いかに上手にマネジメントできるか、
アメリカの人材コンサルタント
ウィリアム・ブリッジズ氏は
著書「Transitions」(1980 )の中で
Neutral Zone Managementについて
次の点が重要だと述べています。
①自ら責任と自覚をもち自己管理せよ。
②何が変化しており、その変化による
影響は何かを明らかにせよ。
③捨てるものは何かを決めよ。
④終了(した)するものは何かを
明らかにせよ。
⑤自己の感情体験をありのまま受容せよ。
(期待とともに悲しみや不安をも受容する)
⑥安定しているもの、 継続するもの、
維持するものは何かを明確にせよ。
⑦大きな決断をする場合には時間をかけよ。
時代は、正解を出すことに
頭を使うのではなく、
自分の答えを考えるために
頭を使うことが求められています。
キャリア開発において
これまでの左脳型キャリア開発から、
(診断テスト、情報分析、理論アプローチ)
今後はむしろ、右脳型キャリア開発
(創造、空想、夢、感性、直感)も
大切にすることの必要を強調し、
全能型(左右統合)キャリア開発を
提案しています。
そして、不確実の時代には
キャリアの未来に対する不確実性を
肯定的に捉えなおし受容することが
大切であるとして、
Positive uncertaintyの概念を提唱し、
キャリアの未来は個人が
未来をいかに捉えるかという
「心の目(mind eye:認知構造)」に
かかっていると語っています。
毎日の積み重ねが人生であるからには、
日々をどう過ごすかが人生を決め、
一日の過ごし方は自分の「選択」次第、
自分の心と身体の声を大切に、自分で
人生の主導権を握り続けられるよう、
他者とうまく付き合っていきたいもの。
そのためにも日ごろから
身体感覚にもアンテナを張り、
身体の状態に偏りが出ないよう、
調整しておく必要があると思います。
逆に、頭で100%納得できる話で
あっても、身体感覚レベルで
ゴーサインが出なければ、
かなり慎重になったほうが
いいでしょう。
東京大学名誉教授 小林寛道氏は、
『日本のバイオメカニクスという
動作分析は特に陸上関係では世界一です。
最近は、有酸素運動をすると
認知症になりにくいという
話になってきまして、やっと
運動と脳の関係に注目が集まってきた、
はっきり言って、これからは
体幹だけではダメで
体幹と様々な筋肉と脳の時代、
明らかに体幹深部筋が
脳に直結しているので
身体を使うことが脳を刺激して
脳が優秀になる。
本当に大事なのは自分の身体を
思ったとおりに動かせていますか?
これこそがこれからの概念です。』
と語っています。
私たちが人生の決断において
重視すべきなのは、
頭で考えるレベルの「判断」
よりも、身体感覚レベルの
「納得」です。
人生を賭けた大切な決断で
間違わないためにも、日頃から
身体感覚も磨いておくことが
必要なのだと思っています。
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