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たぬきの都、紫香楽宮。滋賀県甲賀市。グーグルマップをゆく #62

 グーグルマップ上を適当にタップし、ピンが立った町を空想歴史散策する、グーグルマップをゆく。今回は滋賀県甲賀市。

 忍者で有名な甲賀市であるが、忍術では甲賀流は「こうが」とも「こうか」とも読むが、地名としては「こうかし」(甲賀市)が正解らしい。滋賀県の最南端に位置するこの町は、東西に長く、東と西ではどうも習慣が異なるようである。

 甲賀市の西側に信楽というところがある。たぬきの焼き物で有名なこの地域は、陶芸の最先端施設もあり、町一帯が陶芸の町となっている。その昔、ここに「紫香楽宮」という離宮が置かれた。

 聖武天皇によって造営さた紫香楽宮であるが、当時は平城京を中心に恭仁京や難波宮、藤原京なども造られていた。そのうちの一つとして紫香楽宮がある。まずは平城京の北に位置する恭仁京が造られ、その後、恭仁京から紫香楽宮へのルートが開かれたようである。

 平城京以外に都が造営されている理由ついて、難波京については海外の貿易の拠点のためであるが、それ以外については当時、震災や天然痘の流行が相次いだため、避難を目的としたものが多かったようである。

 紫香楽宮が都として遷都されたかどうかについては議論が行われているが、よくわからない。しかし、立地を考えた場合、ここに都を置くだろうか?という疑問だけが残る。難波宮は海外との交易のため拠点であり、恭仁京と平城京や難波宮から近い。藤原京は都ではなく離宮であった。

 さて、紫香楽宮であるが、平城京や難波宮から離れてしまい、何を目的とした拠点かがわからない。唯一、伊勢神宮に近いということだけであるが、伊勢神宮に近いことはさほどメリットを感じない。

 紫香楽よりも北東、岐阜や伊勢を越えると関東とされているが、関東征伐はもう少し後の時代に活発化していく。余談ながら、聖武天皇が寵愛した家臣に坂上犬養という武人がいる。この人の孫が、関東の制圧に大きく貢献した坂上田村麻呂である。

 ちなみに、聖武天皇よりも後、桓武天皇によって平安京遷都が行われるが、京都というのは、平城京からまっすぐ北にあり、難波宮にも淀川を降ればすぐに行ける。中国地方や日本海側にも近く、背中には琵琶湖がある。拠点としては最高の立地である。

 からして、紫香楽宮は、山の中すぎるように思う。当時はどこも同じようなものだったとしても、やはり立地が良いように思えず、あくまで遊猟の血だったのではないだろうか。

 聖武天皇といえば奈良東大寺の大仏を造営したことで有名だが、大仏にしても都造営にしても、政治をコントロールしきれなかったため、気まぐれに権力を誇示していたようにも思うのである。

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