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両界山横蔵寺。最澄とミイラ。岐阜県揖斐郡揖斐川町。グーグルマップをゆく③

 グーグルマップ上を適当にタップし、ピンが立った町を空想歴史散策する、グーグルマップをゆく。今回は岐阜県揖斐郡揖斐川町。

 揖斐川町の近隣には大垣市と関ヶ原がある。関ヶ原は、壬申の乱以降に置かれた不破関があり、そのことからも古来より開かれた土地である。

 室町期、清和源氏の流れをくむ土岐頼貞が美濃国初の守護に任命される。土岐氏が明智荘という土地を拝領され、明智性を名乗ったことで明智氏の祖となり、後に明智光秀を輩出する。とは言え、不明なことが多く、どこまで事実かはわからない。しかし、この辺りが織田信長や豊臣秀吉、石田三成などとゆかりが深いことからも、戦国期における重要な土地であったことは間違いない。

 マップを眺めていると「両界山横蔵寺」と目に留まり、ストリートビューで散策をする。非常に趣のある寺である。調べてみると、天台宗の開祖である最澄が自作の薬師如来を安置し、創建したと伝えられているものらしい。

 平安末期頃までの寺史についてはほとんど不明であるようだが、伽藍配置は奈良期以降のものであり、寺院の建築が並行垂木であることからも平安期の和様による作りであることは間違いなさそうである。

 横蔵寺は美濃国の西北に位置しており、陰陽道でいうところの天門にあたる。陰陽道における天門は、怨霊や魑魅魍魎が出入りする方角で、これを鎮めると家運が永久に栄えて子孫が繁昌するとされいて、そういう意図もあって建立されたのかもしれない。ちなみに、比叡山延暦寺は、京都の鬼門である。

 最澄は比叡山坂本の生まれであり、この辺りまでなら来ていてもなんら不思議ではない。伝承を信じるとするならば、晩年、南都仏教との対立と比叡山延暦寺の確立のために精神を削ったことを考えると、自らが薬師如来を彫り、寺院を建立するなどに集中できた頃が僧としては一番充実していたのではないか。

 また、ミイラがある寺として有名らしく、妙心法師という人物のミイラが安置されているとのことである。このミイラは1800年代のもので、「法師」と呼ばれていることからも真言宗の高野聖が即身仏になったものだろう。それが天台宗寺院に安置されていることにおかしさを感じる。

 先にも述べたように、揖斐川は戦国期の中心舞台の一端である。もしかしたら、織田信長や豊臣秀吉、石田三成、明智光秀も横蔵寺に参ったかもしれない。


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