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一遍上人をたずねて⑩

 丹後を遊行していた一遍上人はある干ばつに苦しむ村に到着した。見かねた一遍上人が念仏を唱えたところ、海から大きな龍が現れ、雨を降らして村を救ったという話が「一遍聖絵」に描かれている。

 鎌倉期に新仏教の宗祖となる僧が6人出たが、そのような伝説が残されているのは一遍上人だけである。これは一体何を意味するのだろうか。龍にどのような意味があるのだろう。

日本におけるワニ

 私は龍について調べてみた。古代中国では龍がワニのことを指したという説があり、ひょっとすると日本でもそうだったのではないかと調べてみた。
古事記に「因幡の白ウサギ」という章があり、「隠岐の島からウサギがワニを並べて渡ってくる」という話である。一遍上人が念仏によって現れたのが実はワニだったのかもしれない。そう思って調べたが、龍がワニだったからと言って、結局のところ意味することはわからないままであり、この説は保留にした。

和邇氏

 ワニは和邇氏という豪族のことを指したとも言われており、実際に和邇氏が拠点とした滋賀県大津市の北部には「和邇という地名が残っている。ひょっとしたら、丹後で和邇氏に迎え入れられたことを意味しているのではないかと考えたが、丹後に和邇氏がいたという史料を見つけることができず、こちらも保留し、今後も調査していきたいと思っている。

龍が描かれた背景

 龍が出てくるほとんどの場合は、神を祀ることが多い、いくら神仏習合の時代とは言え、念仏で龍を呼び寄せた話というのは聞かない。これには一体どういう意味が隠されているのだろうか。
 一遍上人は、元々伊予の海賊・河野氏の出身である。瀬戸内海を領地とする河野氏は海洋信仰を持っていたのではないか。海に出る際に、海の神様に祈祷することは漁村などで見られる信仰であり、海を主戦場とした河野氏が海洋信仰を持っていたとしても不思議ではなく、一遍上人がその影響を受けていたとしても十分に考えられる。これが一遍上人にどのように影響を与えていたのだろう。

那智熊野と補陀落渡海

 33歳で再び出家した一遍上人は、四天王寺で得度を受けて賦算を始めたあと、那智熊野の熊野本宮大社に向かい、ここで熊野権現の神勅を受けたと一遍聖絵に描かれており、時宗ではこの時を立教開宗としている。
 当時、那智熊野は補陀落渡海のメッカとされていた。補陀落渡海とは観音の信仰者が補陀落に渡ることを願って海で入水することを指し、入水往生ともいい、捨身行の一つであった。一遍聖絵には入水が描かれている箇所もあり、熊野、丹後の龍、入水というキーワードが繋がるのである。

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